序章 青木和海は物語る

 読書感想文で自殺について書いた。

 とは言っても決して重々しいものなどではなく、太宰治の『人間失格』を読んで、そこから太宰自身の死について、少し広げて自殺そのものについて思うことを書いたという程度だ。坂口安吾の『不良少年とキリスト』を引用しつつ素朴な思いを書き綴ったら、なんだか校内図書室賞みたいなものを貰って、司書の先生のベタ褒め書評と共に全校生徒に知れ渡ることとなった。司書の先生曰く、「若者らしい瑞々しく柔軟な感性で、生と死についての洞察がなされています」とのこと。自分の書いたものが評価されることはもちろん途方もなく嬉しいのだけど、国語の授業中に指名される回数が増えたことなどは全く以て頂けない。何故読書感想文で賞を取ったからといって国語ができるということに繋がるのだろうか。安直すぎる。貴重な読書タイムが潰されるのでサイアクだ。どうやら我が拙作は校外のコンクールに進めるらしいのだが、司書の先生は「校外賞のためより良い文章を」と張り切って推敲のプレッシャーをかけてくる。


 そんなこんなで高校生初めての夏休みが終わって早くも一ヶ月。高校生活にも慣れ、友人関係もそれなりに出来上がった頃。話題の移り変わりとは早いもので、校内賞受賞について声をかけてくれたクラスメイトも今やほとんどいなくなった。話題に挙がるのは毎日毎日、テレビやら漫画やら新商品のお菓子やらそんなものばかりだ。もう誰も俺の話してくれない! ……いや、そんなことはどうでもいい。少しは文学を読みなさい、文学を。近頃の若者は活字を読まないという。事実ならば大いなる問題だ。何故名作が名作と評され続けているのかを知らないままでいることはあまりにも惜しい。文学には人の心の機敏や、生きることについての鋭い洞察が含まれている。読めば読むほど人生の深みは増し、世界の見え方は少しずつ変わり、それまで気づかなかったようなものに出逢うことができるのである! ……つまり、とりあえず何でもいいから一冊読んでみなさいってことだ。――そしてさ、一緒に太宰とか安吾とかの話をしようよ。ねぇ、寂しいんだよ、俺、みんなと共通の話題がないからさ。あ、ちょっと前なら校内賞受賞の威光を借りて皆にご高説垂れることもできた? なんて、実際そんな度胸もないよ。ブームの去ってしまったお笑い芸人なんてこんな感じなんだろうか。寂寥の感。いや、彼らと比べるなんて烏滸がましいかな。

 夕暮れの教室で、太宰の『斜陽』を読む。図らずとも知り合い中に「青木と言えば太宰」のような嬉しいレッテルを貼ってもらえることになったため、なんとなく以前読んだ作品も読み返している次第である。真っ赤な夕陽が教室に射し込み、斜めに射す光線が埃のひとつひとつを鮮明に浮かび上がらせる。まさに斜陽。実に良い感じである。時間が止まったかのような感覚の中で、窓際の、特に喋ったこともない誰かの席に勝手に座り、ひとりきりの教室で自分だけの時間を楽しむ。野球部の掛け声やら吹奏楽部の絶妙なハアモニヰやらが混ざり合って遠い喧騒を生む。心地良い。このままこの夕暮れがいつまでも続いたらいいのにと思う。季節はもうほとんど秋の入り口に差し掛かっていて、それでもしつこく居残る夏の背中では、多くの仲間に先立たれた蝉が寂しそうに鳴いている。どうだい酔つてゐるだらう。気取りブンガク野郎なのだ、小生は。

『斜陽』は、恋と革命の話だ。――で、あるらしい。いまいち実感を伴わない部分があるのは未だ恋というものを知らないからなのだろうか。生まれてこの方、この身を焦がすような気持ちで誰かを想ったことがない。メロスには政治がわからぬが、青木和海には恋心がわからぬ。今後そんな気持ちを抱くことがあるのだろうかと、ぼんやりとこれからの高校生活を想う。……。…………。……兎に角、青木和海には恋心がわからぬ。なので恋の話はオワリ。じゃあ残る革命の話をしよう。革命、革命とはなんだろう。恰好のよろしい言葉なのだけれど、実際その言葉が意味するところのものを戦争も学生運動も新興宗教の暴動も知らずに育った世代としてはいまいち掴みあぐねる。革命、例えば自己を改革すること。その考え方、生き方を塗り替えること。そんなことは、普通に生きていればまず起こらないような気がする。人間は目の前の環境に順応し、それなりの居心地良さを見出していく。或いは時には妥協をするだろう。そうして当たり障りなく日々をやり過ごしていく。十六年の僅かな人生でも、そんなことはなんとなく解ってきた。強烈な体験の基に人生観が百八十度ひっくり返るようなそんな出来事が、今後起きたりするのだろうか。……なんだか自分でも答えの出ない話をしてしまった。まぁ、そんな話は抜きにして、斜陽は大好きな小説だ。太宰の小説はフィクションであっても筆者の精神的自叙伝のようになっているものが多い、と言われている。斜陽もまた、それぞれに太宰の影を見ることができるような魅力的な登場人物たちが、「斜陽」という字の如く、ゆっくりと破滅の道へ傾いてゆく。けれどそこには、どこか耽美で確かに薫る生があるのだ。その絶妙な、暖かい虚無のような何かが作品全体を薄い膜で覆っているようで、そこに触れた時の何とも言えない儚さ、惹き込まれてゆくような感覚は筆舌に尽くしがたい。これこそ太宰文学の醍醐味であり、多くの人に愛される所以なのだろう。筆者自身の生涯の幕引きと共に『人間失格』が話題に挙げられる太宰であるが、斜陽もそれと肩を並べるほどの傑作であると俺は思う。


 ……さて、この長ったらしい自己陶酔モノローグはこの後、教室の扉を叩きつけるように開ける音に中断せざるを得ないわけだが……――


 これは、風変わりで奇抜でぶっ飛んだ、死を想うエキセントリックな先輩と俺の、邂逅の物語。或いはそれはもしかしたら、小さな革命――そうまさに! 革命のお話。

 改めて自己紹介。俺はこの物語の〝語り部〟、青木あおき和海かずみ十六歳。趣味は読書、好きな作家は太宰治と坂口安吾。ちなみに、語り部が主人公とは限らない。いや、俺が主人公だなんてそれこそ烏滸がましい。この物語の主人公は紛れもなく―――― 

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