第5話 騎士、深夜の襲撃を受ける
暗闇の中でうごめく影はエミリアのベッドの傍らに立つ。
息を呑むこともしない。振り上げた斧が静かにベッドに向けて――。
「何をしている、この無礼者が!」
振り下ろそうとしたその時、一陣の風が吹き抜ける。斧の柄が切断され、刃が音を立てて床に落ちた。
「……っ!?」
賊が振り向いた刹那、目の前で踊ったのは金色の髪。抜き放った剣の柄をためらいなくその水月へ叩き込む。
「はあっ!」
体勢が崩れた所で懐へ潜り込む。その足を払った勢いで床へ向けて叩きつける。
「な、何事!?」
「ふぇ……何の騒ぎですか?」
盛大な物音に、さすがにエミリアの目が覚める。ファリンも目をこすりながら顔を上げた。
「賊です。エミリア殿を殺そうとしていました」
「……うわ」
ベッド脇の床に突き刺さる斧を見てエミリアの血の気が引く。アンリがいなければ今頃首から上がなかったに違いない。
「ファリン殿、明かりを貰えますか。目的を問い質します」
「あ、はい。了解しました」
ファリンがその手に魔力を集め、火の魔法を発現させる。燭台に火を灯すとそれを持ってアンリに近づく。
「貴様、何者だ」
胸ぐらを掴んで侵入者の体を起こす。しかしその人物は手足を投げ出したまま、反応を示さない。
訝るアンリだったが、その手に伝わる感触から、すぐに何かに気づいた。
「こいつ……まさか!?」
力なく首が傾く。すぐにアンリが脈をとるが、そこから伝わるはずの鼓動はなかった。
「どうしたのアンリ」
「この者……既に死んでいます。死体です!」
「こ、殺したんですか!?」
「いえ、既に冷たくなっています。これは、死んでからかなりの時間が経っているはずです」
「で、でも今の今まで動いていたんですよね?」
「はい……これはいったい」
ファリンも火を持って顔を恐る恐る覗き込む。瞳孔は開き、見るからに生気のない顔。これが動いていたとは信じがたい。
「……ファリン殿、エミリア殿。武器を取ってください!」
アンリが剣を部屋の外へ向けて構える。闇の向こうから複数の足音がゆっくりと近づいてくる。明かりに照らされて現れたその姿はいずれも町や宿で見かけた人々だった。
「ちょっと待ってよ……まさかこの人たち全員?」
「――『
躊躇せずにファリンが風の塊を放つ。集団の中心でそれは破裂し、人々を壁に叩きつける。
「……げ」
思わずエミリアが顔を引きつらせる。床に倒れた人々がゆっくりと立ち上がり、骨が折れて腕や足が曲がっているのを意に介さず、こちらへと向かってきた。
「何よ、この人たち
「いえ、正真正銘の人間です。もしや死体が操られているのでは!」
「死体が……?」
ファリンがアンリの言葉に何か引っかかるものを感じた。魔王軍の中でそのような能力を持つ者に何人か思い当たる節がある。
「ええい、次から次へと!」
「アンリ、キリがないわ。外に逃げるわよ――って、うわぁ!?」
窓の外を見てエミリアが悲鳴を上げた。眼下に広がるのは宿を取り囲む群衆。そのいずれもが手を伸ばし、二階の彼女らをとらえようともがいていた。
「やだやだやだ。あたしこういうの大の苦手なのよ! お化けの方がいるかいないかわからない分まだマシだわ!」
「エミリア、後ろ!」
取り乱すエミリアの後ろに立つ影があった。最初に部屋に侵入した人物だった。
「ひっ――!?」
「エミリア殿!」
「エミリア!」
「ウオオオオッ!」
再び動き出した男の死体が猛然とエミリアにつかみ掛かる。
「だから――っ!」
その腕をとっさにエミリアが取る。
「嫌だって――っ!」
そして片腕を担ぎながら男の勢いを利用し、体を反転させて投げ飛ばす。
「言ってるでしょうがーーっ!」
窓を突き破り、男が外へ飛び出す。そのまま亡者のひしめく中へと真っ逆さまに落ちていく。
「……お、お見事です」
「……さすが戦闘訓練を受けた姫」
斬りかかろうとしたアンリ。魔法を放とうとしたファリンは二人そろって今の一連の動きに唖然としていた。
「もう嫌! 死人相手じゃグラオヴィールの威光も通じないし、どうしろって言うのよ!」
「ひとまずディオン様と合流しましょう」
「そ、そうですね。この数ではディオン殿もてこずっているやもしれませんし」
男性のディオンは三人の隣部屋に宿泊していた。先ほどから隣でも争う音が聞こえている。
「入り口が亡者で埋まっています。突っ切るのは面倒そうですね」
「仕方ありません!」
そう言ってファリンが両手の間に魔力を集めだす。次第にそれは渦を巻き始め、業火の塊と化す。
「ファリン、何をする気!?」
「壁を破壊します。お二人は離れてください!」
「エミリア殿、こちらへ!」
ファリンに迫る亡者を蹴散らしつつ、アンリとエミリアは距離を取る。その手で燃え上がる火の玉を構え、ファリンが詠唱を告げる。
「――爆ぜよ豪炎。我が前に立ち塞がる全ての障害を除き給え!」
魔力が指向性を与えられ、魔法として形を成す。壁に向けてファリンは構える。
「行きます!」
「伏せてください、エミリア殿!」
二人が床に伏せる。そしてファリンがその手の魔法を解き放つ。
ドゴオオオオン!
「――わひゃああああ!?」
なぜか壁が砕ける音と一緒にファリンが素っ頓狂な悲鳴を上げた。
顔を上げたエミリアたちが見たのは、震えて腰を抜かすファリンの姿だった。その目の前には向こう側から壁を突き破り、飛び出してきた何かがあった。
「きゃあああ!?」
「うわあああ!?」
散々殴られ、歪みきった血まみれの宿屋の主の顔だった。
「む、貫通したか」
「……はい?」
ディオンの声がして、血まみれの顔が壁の向こう側に引き抜かれる。
そして、向こうからディオンが穴を通って姿を見せた。
「って、ディオン様!?」
「む、ファリン。なぜ腰を抜かしている?」
「……あの、一応聞きますが、今のはディオン様の仕業で?」
「当然だ。死体を棍棒にして壁を壊せる奴が私以外にいるか?」
「まず普通は死体を振り回しません!」
魔法を放とうとした瞬間、壁から血まみれの顔が生えてくれば驚くのは当たり前だ。危うく気を失いそうになったほどだった。
「……お前。死者に対する敬意はないのか」
呆れ返ったような声がした。だがそれはこの場にいる者のものではない。
「……誰です、今の声?」
「しまった、思わずツッコミを入れてしまった」
「まさか、魔物か!」
「姿を見せなさい!」
「ちっ、仕方ない。だが、わが姿を見て生きていられると思うなよ!」
死体たちが力を失い、次々と倒れていく。そしてその口から紫色の気体が吐き出される。
「……やっぱりですか」
ファリンが先ほど抱いた疑念が確信に代わる。死体を操れる力「ネクロマンシー」は一時的な生命を与え、術者の意思通りに動かしたり、ゾンビやスケルトンを作り出すことができるのだが、こちらは昼間、普通の人間として生活している姿を彼らに見せている。
死体自体を操る力。そういった能力であれば自ずとその使い手は絞られてくる。
「ガス状の体を利用して死体を中から操っていたんですね」
「そんなことができる魔族と言えば……ガス生命体のこいつが筆頭だな」
ディオンがため息をつく前で、その魔族は誇らしげにその名前を告げた。
「我が名はギャスパー。さあ、恐怖せよ人間ども!」
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