第4話 死の三姉妹
リリアとジジ様は青年の顔を覗き込む。青年は二、三回咳き込むと、今度は深呼吸をする。そしてゆっくりまぶたが開いた。青年の両眼は紅かった。リリアはその鮮やかな眼の色に一瞬心を奪われた。
「おお、意識が戻ったようじゃな。気分はどうだい?」
ジジ様は優しく青年に語りかかる。
青年は虚ろな眼をしていたが、徐々にその眼球に光が戻りはじめた。目の前で自分を覗き込んでいる少女と老婆をゆっくり見る。白銀の髪、褐色の肌、とがった耳。
「・・・ダークエルフ?」
小さく青年は呟いた。
****
その日、ユリシール王国領・エーデル平原にあるひとつの村が死んだ。消滅したのではない。家屋が建ち並び、商店が軒を連ね、村を囲む土壁は形を保っている。村はそこに存在している。外から眺めると、村は円滑な営みを送っているように見える。だがこの村、ミカルデ村はすでに死んでいる。
ミカルデ村は人口約120人の中規模の村だ。エーデルの平原を利用した畜産業が村の主な収入源だった。広大な土地で運動し、栄養価の高い草を食んで育ったミカルデ村の牛や豚は、一流料理人からの評価が高く、一部貴族からの人気も高かった。そのためわざわざ遠く離れたユリシールの王都から取引にくる商人も少なくなかった。安定した収入と豊かな自然に囲まれたこの村は、王国の最端に位置する田舎でありながら、非常に恵まれていた。
そのミカルデの住人が、わずか一晩で全滅した。
「やっぱり処女の血が一番ね」
女はそういうと唇の端から垂れた血液を長い舌で舐めとった。ごとり、と女の足元に少女が崩れ落ちる。少女の肌は蒼白く変色し、すでに体温は失われている。光の消えた二つの眼は虚空を見つめていた。少女の首筋には小さく穿たれた跡が二つ並んでいる。吸血鬼の咬み跡だった。女は足元の死体を眺め、満足げに微笑んだ。
美しい女だった。外見年齢は二十代後半といった所だろう。切れ長の目元、鋭利な鼻梁びりょう、輝くような金髪が腰の辺りで揺れている。女は真っ青なドレスを着ている。装飾はほとんどなく、デザインもこれといって目新しさを感じさせない普通のドレスだったが、それゆえ生地の上質さが目立ち、女はまるで貴族のように見える。
女の背後には、15体の少女の死体が重ねられている。今食事をした少女を入れると、16人の処女を殺したことになる。
女がいるのはミカルデ村の教会の中だった。教会には窓が無く、壁で蝋燭が揺れている。いくつもの椅子が並び、中央に祭壇がまつられている。初めて見る教会だ、と女は思った。どのような宗教や神を信仰していたのか知らないが、それらは村人を助けてくれなかったらしい。
「シャルロッテ姉様、陽が上りました」
教会の扉が開き、陽光を背に二人の女が入ってきた。ひとりは美しい金髪を肩のあたりで切り揃えた赤いドレスの女。蒼いドレスの女、シャルロッテと瓜二つの顔をしているが、こちらの方が少し幼い。
「シャルロッテ姉、クロディーヌ姉、どうします?眠りにつきますか?」
もうひとりはさらに幼い、女というよりは少女といった容貌だった。艶やかな金髪を両耳の上のあたりで結んでいる、ラビットスタイルと呼ばれるツインテール姿だ。彼女は黒いドレスを着ている。
「ミシュリーヌ、ぼくたちは陽の光を恐れるような低級吸血鬼じゃないんだよ」
赤いドレスの女、クロディーヌが冷たい眼を傍らの少女、ミシュリーヌに向ける。
「ごめんなさい」
ミシュリーヌは謝ると、うつむいてしまう。
「もう、喧嘩しちゃ駄目よ。私たちは姉妹じゃない」
微笑みながらシャルロッテは両腕を広げる。
「二人をともおいで」
クロディーヌとミシュリーヌはシャルロッテの腕の中に飛び込んだ。シャルロッテは二人を強く抱き締め、顔を二人の髪の中にうずめる。すべらかで柔らかい、冷たい肌。鼻先をくすぐる繊細な金髪。甘く、くすぐるような妹たちの匂い。そしてそれに混じった血と臓物と絶望の香り。特にミシュリーヌから立ち上る異常なほど濃密な血の匂い。
「ミシュリーヌ、今回もずいぶん楽しんだのね」
それを聞くとミシュリーヌの顔がパアッと明るくなった。ミシュリーヌは嬉々とした口調で喋り始める。
「今回はすっごく楽しかったです。この村、カッコいい男の人がいっぱいいて、すっごく迷いましけど、リッカルドって人が一番好みで、わたし彼の家に行ったんです。そしたらリッカルド、結婚してて子供もいたんですよ。なんだかわたし赦せなくて、リッカルドだけじゃなく奥さんと子供でも楽しもうと思って、三人に金縛りをかけて村外れの小屋に運んだんです。リッカルドは「妻と娘には手を出さないでくれ」って、涙を流しながらわたしに懇願するんです。その姿は凄くよくて、わたし興奮しちゃったんですけど、でもよくよく考えるとわたしを見てない。彼は妻と娘の事しか考えてない、そう思うとイライラしてきて、やっぱり赦せなくて、だから奥さんと娘から楽しんだんです」
その見た目の可愛らしさとはかけ離れた残虐性をミシュリーヌは持っている。彼女は気に入った獲物を時間をかけて嬲(なぶり)、精神を崩壊させ、最後に血を吸う。本人は「その方が血が美味しくなるの」と言っているが、おそらくそれは言い訳だ。つまるところ拷問はミシュリーヌの趣味なのだ。嗜虐しぎゃくこそが快感なのだ。彼女の内側には残虐な衝動が潜んでいる。
「クロディーヌはどう?美味しい血は飲めた?」
「はい。美味しくいただきました」クロディーヌは笑いながら答える。それから少し考えるような顔をして「ただやっぱり、ぼくは人間の血よりエルフの血の方が好きですね」
「クロディーヌは美食家ね。確かにエルフの血も美味しいわね。特にダークエルフの血は濃厚で芳醇で、たまらない味がするわ」
「そうなんです。あの味が忘れられません。でもこの国にはエルフがいないらしくて」
クロディーヌが残念そうな顔をした、その時
「ダークエルフならいるぞ」
教会の暗闇から声が響いた。三人の吸血鬼は身を離し、声のした方向を見る。男がひとり、腕を組んで壁にもたれていた。
「バルガス、貴様いつからそこにいた」
クロディーヌが低く鋭い声を出し、男を睨み付ける。
バルガスと呼ばれた男はクロディーヌの視線を受け流し「さあな」と嗤った。
屈強な肉体の男だった。太い首、太い腕、太い脚。短く刈り込まれた頭や無精髭の生えた頬にはいくつもの傷が刻まれている。黒いシャツの上に革のベストを羽織り、砂色のズボンを穿いている。ベストには何ヵ所にもナイフホルダーが付いていて、全ての場所にナイフが収まっている。腰元を見ると、二本の鎌が腰で交差している。男は狩人(ハンター)だった。しかも王国ギルドで八闘級はっとうきゅうと認められた、一流の狩人だ。
「あなたこの国にはエルフがいないって言ってなかったかしら?」
シャルロッテが尋ねる。
「ああ、確かにこの国にエルフはいない。そもそもユリシール王国は人以外の種族を毛嫌いしている。王都や街ならまだしたも、村、はては王都領地に多種族が棲んでるだけで気に食わないらしい。それで勃発したのが20年前の多種族廃絶運動さ。以来王国に多種族が住み着いたことはない。追い出された奴等は博愛主義のオルマ国や領地なんて存在しない未分類の土地に消えていった」
「ならどこにいるの」
「ここから北東に50キロほど進むとヌルドの森がある。その森は何処の領地でもない。その最深部にダークエルフの村がひとつある」
「詳しいのね」
「情報を集めるのも狩人ハンターの仕事なんでね」
バルガスは厭らしい笑みを浮かべる。
「で、この情報の見返りは、いったい何で払えばいいのかしら」
「なに、こいつは俺からのサービスだよ。あんたら三人には儲けさせてもらったからな」
バルガスは壁から離れると、教会の扉を開け、陽光の中に消えていった。バルガスの残り香だけがゆるやかに漂っている。
「人間がっ」
憎悪を込めてクロディーヌが吐き出す。
「シャルロッテ姉様、どうしてあんな人間を使っているのですか?」
「わたしも、あの人間は無礼で嫌いです。殺しちゃダメですか?」
二人の妹は不満を抱いているようだが、シャルロッテはバルガスを気に入っていた。二人を嗜めるようにシャルロッテは言う。
「あの男は使えるのよ」
バルガスの実力は本物だ。戦士・剣士・傭兵・騎士・冒険者・狩人など危険な職業には一から十までの闘級が設定されている。この闘級が高ければ高いほどギルドから危険な依頼や凶悪なモンスター討伐を引き受けることができる。八闘級とは大物貴族の護衛やコカトリス・バジリスクにはじまる凶悪な魔法を操るモンスターの討伐など、重大な責任や危険が付きまとう物ばかりだ。そういう世界で生きているバルガスが弱いはずがない。
しかしシャルロッテがバルガスを買っている理由は違う部分だった。確かにバルガスの戦闘能力は高いだろう。おそらく奴一人で吸血鬼を殺すことなどぞうさもない。しかしそれは低級吸血鬼の場合だ。シャルロッテたち上級吸血鬼は、バルガスなど楽に殺せる。バルガス自身、それは自覚しているはずだ。それなのにバルガスは一人でシャルロッテたちの前に平然と現れる。殺される事などあり得ないというような自信を身にまとい、息ひとつ乱さず上級吸血鬼の前に立つ。シャルロッテはバルガスのそういった剛胆さを気に入っているのだった。
睡魔に襲われていることにシャルロッテは気づいた。16人の処女の血はシャルロッテに満腹感と幸福感を与えたのだ。まぶたが重くなる。シャルロッテは二人を抱きすくめる。
「少し眠りましょうか。そして目が覚めたら」
まどろみの中でシャルロッテは楽しそうに二人に言う。
「ダークエルフを狩りに行きましょう?」
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