シュレディンガーの僕
武石こう
シュレディンガーの僕
それはそれはある日のことで、僕は胸に固い決心を持っていた。夏の終わりが一番成功率が高いと聞いていたので、あえてこの季節を待っていた。
それは僕ぐらいの年頃ならばやるであろう行動にして、とんでもなく身近で大きいこと。大人ならばもっと仕事のプロジェクトであるとか、企業買収とか色々あるであろうが、個人的にはそれに匹敵するのだ。
告白、だ。
漢字にして二文字、ひらがなにして四文字。しかしスケールはそれを遥かに超える。人生が決まってしまうかもしれない、いや決まってしまうと言っても過言ではない。と本気度が伝わってくれるほどにしつこく繰り返してみる。
僕は別に騙そうとしているわけでもないので明かしておくけれど、男である。こういうお話は結構オチとかに女の子でしたなんてものがあるので、そうじゃないことをあらかじめ。もちろん相手が男だとかそんな臭いこともしないのであしからず。ただの普通のどこにでもいる男子高校生の告白だ。
それでそれでこれからそれを実行しようと動き始めたところであって、すでに昨日に呼び出しは完了している。来てくれると約束しているので、一人待ちぼうけなんてとんでもない事態には発展しないはずだ。
午後一時、そこからまず遊んで最後に。上手くいけば僕はついに大人の階段をのぼることになるかもしれない。それもあの娘(こ)と。おお、これはなんと信じられないお話なんだ。あんな感じでこんな感じでそうして、こうして、はっはは。
気持ち悪い、本当に気持ち悪かった。と少しばかり枕に頭を数回ぶつけて正気を取り戻す。そんなことではない、まずは上手くいくかどうかなのだから。
今の時刻は午前九時。実はあまり寝ていない。精神状況的に休まる感じではなく、つねに戦場のど真ん中に立っているようだった。立ったことはないがきっとそうだ。
「ホントホント、なんでそんなに浮かれてんだって話」
突然僕しかいないはずの部屋に、僕の声が響いた。自分でも何を言っているのかわからないが、確かに僕の声だった。けれど断じて喋ってなんていない。まさか完全に無意識だった。そんなことあるはずがない、いくらちょっと寝不足でテンションが高いからといってそこまでは。
「こっちこっち」
まただと思いながら首を向けてみると、なんとまあ不可思議なことがあるものか、まぎれもなく僕が立っていた。記憶によると生き別れの双子の弟が居ないことはわかっているので、それは僕である。わかりやすく言うなら別の僕。
「あ、あれ意外と驚かない。まあ流石は僕、おかしいと言われるゆえんだ」
呆れているのか、感心しているのかわからない言葉を言って、僕が僕の目の前に現れた。そうか、ここは普通の流れで行くと「な、なんじゃお前はー!?」とかリアクションをしないといけないところか。それならそうで悪いことをしてしまった気がする。
「もちろん双子の弟でもないので、あしからず」
「ああそんなものの言い方、間違いなく僕なんだ」
「あっさり受け入れてくれてどうも」
「で、君はどういうこと?」
ほほう、よく訊いてくれましたと言わんばかりににやっとして、親指を自分自身に向ける。
「シュレディンガーの僕だ!」
「え、何? 猫じゃないの? 猫なら聞いたことあるけど」
「ふふふ、そう言うと思ったよ。しかし僕はあえて言う、シュレディンガーだと!」
「僕が考えそうなことで解釈をしてみると、なんだその、やっぱりわからない」
一体何が言いたいのかわからないので、とりあえず答えが出るのを待つことにした。反応がなければ自分から喋りだすのが僕であるはずなので、これが最善策だろう。
「そうそうわからないだろう。つまりだ、僕は“告白をした世界”から来たってことなのだ!」
何一人でテンションが上がっているのだろうか、朝っぱらから声が大きい。近所迷惑だからもうちょっとボリュームを下げて欲しい。
「ああ多世界解釈から“シュレディンガーの僕”なのね。いやでも、おかしくないかそれ?」
「へ?」
「そもそもシュレデインンガーの猫は量子力学の考え方を批判することであって、別に君が告白をしたことはミクロな話と関係ないだろう。よく勘違いされてるけど、もし君がシュレディンガーを名乗りたいんだったらそうだな……」
「うるさいうるさい! 僕ってこんなに理屈こねこねのうるさいやつなのか!?」
「残念だけど、そうみたいだね。気づけてよかったじゃないか」
僕、まぎらわしいから「した僕」と呼ぶことにして、した僕は何やら伝えたいことがあってやってきたみたいだ。
「もうめんどくさいから、単刀直入に。まだの僕よ、告白するのは止めるが良い」
「な、何でお前にそんなこと言われなくちゃならないんだ」
「僕は告白をした君だぞ。そんな僕が言うのだから答えは見えてるじゃないか」
「……フラレル?」
「それもあっさり」
今、ひどいネタバレを聞いた気がする、じゃなくて聞いた。こいつは僕の未来を確定してしまったのだ。
「悪いことは言わない。今日は遊ぶだけにして告白は止めろ。色々と妄想してきたけれど、それのどれもが行われることはない。もちろん大人の階段ものぼれない」
何とも僕のためを思ってという雰囲気を出してはいるが、それが気に食わない。なんでこいつはわざわざこんなひどいことを言いにこんな世界を飛び越えてまで来てしまったんだ。
「怒りたい気持ちはよくわかる。けど、僕は僕にこんな思いをして欲しくないんだ。あれはもう辛いもので、二週間近く喉にご飯が通らなかった」
「そんなことないだろ」
「大げさなんかじゃない、ホントだ。僕はそれほどに気持ちを込めていたし、何だか妙に成功しそうに思っていた。だけどどうだ、実際にこうしてみると保留もされることなくあっさりと断られて、挙句の果てにこれからも友達でいようなんて優しい刃物で刺されて。それに――」
「うるさいうるさい! 彼女の悪口を言うな!」
「ご、ごめん。だけど……これでも告白する?」
「うっ」
そこで僕は威風堂々「する」と答えることは出来なかった。ちょっと考えてからでも出せず、ただ俯いてしまってどうも。
「わかってくれると思った。だって僕だから」
「で、でも、僕は……」
「もっと良い娘居るって。だって生きてるんだから、絶対会える」
「でも君まだ童貞だろ」
「君もだろ!」
「僕は振られることは確定しているにしても、それからはわからないからね」
「無理だ、だって僕だもん」
「……説得力ございますね」
そんな完全に落ちてしまった部屋の空気をひしひしと感じつつ、まだ帰らないした僕と適当に話していた。すればするほど彼は自分自身なのだということを痛感させられるので、なんとも嫌な気分だった。
上手に積み上げていた積木は崩されて、いやそもそも積み上げられていなかった。そんな気分になっていただけで、何もなかった。きっと周りはそんな僕を見てノータリンだと何だと笑っていただろう。悔しい気分は不思議となかったが、悲しさが流れてきて、目がサウナのような暑さを感じた。
「それじゃあ、僕は帰るよ。ごめんな」
「いや、ありがとうわざわざ教えてくれて」
そうしてどこかへ行こうとしたときだった。
「あきらめんな!」
「へ?」
僕とした僕の声が重なって飛び出していた。しかし反応を見るとどうやら言ったのは彼ではなくて、つまり。
「シュレディンガーの僕、“告白しなかったバージョン”参上!」
ヒーローみたいな名乗りを上げて、また僕が新たに現れた。カッコをつけているつもりだろうが、言っていることはなんとも情けない。というより僕はこんな恥ずかしいことが出来てしまう男だったのか。
「はいはいまったく、お前はひどいやつだな。まだ何も知らない彼にこんなひどいネタバレをして」
「決まってるんだから仕方ないだろ」
「いいやわからないね。告白はするべきだ!」
「結果がわかっててもか!?」
「そうそう」
僕の目の前で、僕と僕が言い争いを始める。手は出ないだろうが、ずっとぐちぐち言い続けるに違いない。
「そんなバカなことはない!」
「人生は長ーい道だ。結果が決まっててもやったことに無駄なんてない。そりゃあ死ぬかもしれないとかそんなことならやらないけれど、今回は告白なんだ。絶対に後に活きてくる」
「それでこんな辛い目に合うんだって」
「僕はそれでも実際に告白したかった!」
しなかった僕は今、とても気になることを言った。それでも告白したかったと。それはストレートに受け取るならば、したくても出来なかったということだ。それは一体どういうことなのか、気になって耳をすませる。
「いくじなしだったんだ。何だかこの関係を壊したくなくなって、結局何も言うことが出来なかったんだ。これはホントに辛くて、二週間近く喉にご飯が通らなかった」
「そんなことないだろ」
「大げさなんかじゃない。それほどに僕は自分が行動出来なかったことが悔しかった。比べたら君はとても勇敢で、けれど臆病者だ。その経験は今一番欲しいものだ。けれどもうそれは手に入らない、このタイミングだと」
「う、ううん……」
した僕も同じ僕だけあって、唸って何も言わなかった。まさか彼自身もこんな自分が現れるとは思っていなかったらしく、汗を流して頭を掻き始める。
告白一つでこんなことになってしまうのだから、他のみんなは幸運だろう。別の世界の自分が現れることなんてなく、思ったままに行動できるのだから。僕は頭が痛く、果たしてどうするべきなのか渦巻く。
「だから告白してくれ!」
「いやそれでもやっぱり告白するな!」
「どうするんだ!?」
自分に追いつめられるなんてもう勘弁な話だったので、適当に決めてしまおう。どうせ嫌なことに彼女が恋人にならないことは確定しているのだから、どちらにせよ同じだ。ただどちらのルートに入ってしまうかの差なのだ。
「……しない、告白しない」
「ナイス判断!」
「な、何で!?」
二人が正反対のリアクションを取る。同一人物でも出来事だけでここまで変わってしまうものなのか。
「だって冷静に考えてみれば、僕はどちらにせよ恋人にならないんだろ。だったらちょっとでも楽な方向に行きたいじゃないか」
「ち、チキン……」
「でも君と違ってすでに君を知ってるんだから、そこまでは落ち込まないと思うよ。せいぜいちょっと後悔するぐらいかな? え?」
僕はちょっとひらめいた。これは間違いなく、ひらめいた。自分の言葉に違和感を感じてそこから思いついたのだった。
「ちょっと待てよ、二人ともはこういう状況になったの?」
少し首を捻ってから、横に振った二人。
「だったらさ、多世界的に解釈するなら僕はすでに第三の僕だってことじゃないの? 君たちはイベント前にこうなっていないんだから、違うルートなんじゃないのか?」
「どういうこと?」
「だから、した僕、しなかった僕、僕で流れるところが違うってことじゃないかな。した僕としなかった僕は限りなく近いけれど、僕は違うだろう」
そこでようやく「ああ」とため息にも混じった声が漏れた。
「ホントだ、した僕としなかった僕は君と違う」
「つまり、展開が違うんだよこのルートだと!」
そうだそうだ、僕はまた別の僕だったのだ。そのことが心にまた熱いものを取り戻す燃料になって、どんどん沁みわたっていく。
さっきまでとんでもないやつらだと思っていたが、来たことによって未来はまた不確定になった。良い意味で一寸先は闇、足元が見えなくなったのだ。これほど嬉しいことはそうないだろう、だってこんな体験は限られた人しかしたことがないはずだから。
「とりあえずなんだ、僕らナイスアシストだったわけだ。なあ」
「うん、ルートが違うならば恋人になる可能性だって十分にあるからね」
「ははっ、どうもありがとう! これで僕はわからなくなったぞ!」
完全に浮かれ始めていた。自分でも自覚できる程にどんどんテンションが上がっていって、周りの景色がどんどんとかすみだしていく。そこに居たはずの二人も例外ではなく、視界から消えていった。お前たちとは違う、そう、あなたとは違うんです。そうやって指差して笑ってやりたい気持ちになった。
「でもなんだ、こいつちょっと」
「君も思ったようで」
「ちょっと一発」
「合わせて二発」
「あれ、どうしたのそのばんそうこう」
「ち、ちょっと階段から落ちて」
僕が浮かれていると、いきなり拳が飛んできたのだ。それも二発分。さらに同じところにクリーンヒットするというおまけつき。色々と衝撃的なものと痛さが相まって少しばかり記憶がなくなっていた。意外と自分のパンチは威力があるものだ。
とにかくちょっと浮かれてしまったけれど、僕はホントに僕に感謝している。した僕もしなかった(出来なかった)僕も、ちゃんと自分のことを考えてくれたのだ。結果がこうなるとは予想外だったようだけれども、それはそれで良いだろう。
「その、別の自分って信じる?」
「別の自分?」
「別の可能性の自分って言えば良いのかな? 例えば僕がじゃんけんで勝った僕だとして、別の僕は負けた方ってこと」
「うーん、難しい話だね」
するよ、告白。どうなるかはわからないけれど、するよ。まあもし失敗したとしたら二人みたいに世界を越えて、会いに行こう。すればまたそこのルートも変わるだろうし。無限数の僕たちがかかれば不可能なことはないはずだ。しかしせこい。
「いつもそんなこと考えてるの?」
「ううん、たまたま」
でもわかったんだ、先のことってやっぱり不確定なのだと。
そうした楽しい会話を続けていると、誰かが前を遮った。それはもうどたばたとしていて、道の砂利を巻き上げるかのように止まった。明らかに一人ではない姿に、僕は冷たい汗を流し始めた。
「あ、あれ、そっくりさん……?」
彼女が驚きの声を上げるのを無視して、そして。
「何でこの娘!?」
シュレディンガーの僕 武石こう @takeishikou
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