修羅場モード
子供たちが1歳を迎えてしばらくして、二人連れの親子が家を訪ねてきた。それがトラブルの発端だった。呼び鈴が鳴り、佳代さんが玄関に向かう。直後短い悲鳴が聞こえてきた。慌てて俺も玄関に向かう。
「あら、初めまして。うちの跡取りを迎えに来たんですよ」
老齢に差し掛かろうとしている女性がにこやかにそう伝えてきた。後ろにいる俺より少し年上くらいの男性はうんうんとうなずいている。
「どういうことですか?」
「佳代が男の子を生んだでしょう?あれは元々うちの嫁なんだから生んだ男の子はうちの跡取りなんです」
「は?」
あまりに意味不明な言葉を言われると志向が止まるものだ。こんな体験はしたくなかった。
「お引き取りください」
口を突いた言葉で自分はこんな冷たい声を出せたのかと驚く。
「ですからうちの跡取りを受け取ったら帰りますよ。こんな出がらし女が生んだにしても、今のところ元気みたいだし」
後ろの男がにやにやしている。何だこいつら、日本語しゃべってるはずなのに話が通じない。言ってることを理解できない。いや、理解したくないのか。
「不退去罪という言葉をご存知ですか? ここの家主は私です。わたしが帰れと言って帰らなければ警察に通報します」
そういうと女性は口から怪音波かというくらいのひっくり返った声で叫び始めた。とりあえず玄関から押し出して強引にドアを閉める。しばらく玄関先で大声をあげたりドアをたたく音が続く。これはいかんと思って110番にダイヤルすると、すでに近所からも通報があったことを教えてくれた。ほどなくサイレンを鳴らしてパトカーがやってくると、玄関先で騒いでいた二人はいつのまにか消え失せていた。
警察官に事情を聴かれ、あの二人が佳代さんの元夫とその母だということが分かった。顔を青ざめさせて震える姿に今更ながらも怒りがこみあげてくる。先方の無茶な言い分を伝え、しばらくパトロールを強化してくれることを約束してもらい、警察官は帰っていった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい・・・」
「佳代さんは悪くない。大丈夫、俺が守るから。大丈夫だよ」
ぎゅっと抱きしめる。寝ていた子供たちがよちよちと歩いてきて佳代さんに抱き着く。子供たちを見ると佳代さんの目に光が戻った。
「ごめんなさい、迷惑かけて」
「大丈夫、俺が佳代さんと子供たちを守るから」
「うん、ありがとう。うれしい」
「当り前じゃないか」
「けどね、私もこの子たちを守らなきゃ」
「そうだね。一緒にこの子たちを守ろう」
翌日から警察をはじめ、いろんなところに相談した。幼い子供がいること。日中は嫁さんと子供だけになること。昨日の騒ぎで名前を聞いていた警察官のことも伝え、パトロール強化と最寄りの交番の案内をしていただいた。交番にも顔を出し、警察署から連絡が回っており快く迎えてくれた。
そのあとで実家に連絡し、現状を伝えた。母さんが今からでもこっちに来ると息巻いており、来るなら塔参加おじさんと一緒に来てくれるよう伝えた。なんで? と聞き返してきたが、あなた女性でしょうがと、俺と同年代の男も一緒にいるので、危険であることを伝えた。母のリアクションは予想の斜め上で、息子に心配されたと浮かれまくっていい年こいて乙女モードに入り、父さんをうんざりさせたと後で聞いた。
それからしばらくは何事もなく日々が過ぎていった。母は孫と過ごせる日々に目じりが下がりっぱなしで、息子が初めて意味のある単語を話したのが、「ばーば」だったとドヤ顔で話す。
実際にはパパとママはすでにしゃべっているが、最初に名前を呼んだ相手がタマだったことはまあ、内緒にしておこう。柴は子供たちの良き兄としてふるまっている。最高のベビーシッターだ。
最近はぐずっているときにしっぽを振ってあやすなど非常に賢いわんこだ。ポチ(猫)はほっぺをなめたときざらついて痛かったのか大泣きされてからは遠巻きに見守っている。だが、子供が泣いているときなどはわんこがあやし、猫が呼びに来るという役割分担がされていた。よくできたペットである。
そんなある日、タマが唸りだした。もともと無駄吠えを全くと言っていいほどしない。だからこそ違和感が際立った。呼び鈴が鳴る。警戒しながらスコープをのぞくと、いつぞやの女性が立っていた。一人で。そして背後からガラスの割れる音が聞こえる。慌ててリビングに戻ろうとすると、なぜか鍵が開いた。ドアチェーンのおかげでドアは開かなかったが、ガンガンとドアをたたく音がする。そして怪音波のような叫び声が聞こえてきた。内側からドアを蹴っ飛ばし、わずかに開いていた分が閉まる。ドアから鈍い音が聞こえてきた。気休めだがロックをかけ、リビングへを取って返す。
「なんでだ、なんでだよおおおおおおお」
先日の男が床に転がって泣きわめいている。
「なんでお前はこんなに幸せそうに笑ってるんだよ、俺があんなに愛してた時はどんどん無表情になって、何しても笑わなかったくせに!」
あまりに異様な光景に立ちすくみかけるが、佳代さんの前に立つ。
「母さん、警察!」
「子供もちゃんと生んで、俺のときは出来損ないしか出来なかったのに。これじゃ俺が出来損ないじゃないか、なんでだあああああああああああああ」
とりあえずイラっと来たので、取り押さえた。適当なひもをとって、地面で駄々っ子のように泣きわめいている男をひっくり返し、後ろ手に縛りあげた。
「あー、ゆーくん、ちょっとやっちゃったんだけど、大丈夫かな?」
「ほへ?」
「佳代ちゃんすごかったのよ。飛び込んできたこいつを手に持ってたモップで一撃!」
「あー、そういえば剣道の段持ってたよね・・」
よく見るとこの駄々っ子(推定30代)は盛大に鼻血を噴いていた。
「あはははー・・・」
「まあ、子供が後ろにいたしね。正当防衛でしょ」
ふと子供たちを見ると、リビングのベッドでスピスピと眠っていた。ベッドの下では柴が、上では猫が全身の毛を逆立たせて威嚇していたのがいっそほほえましかった。何となく修羅場が突き抜けた雰囲気の中、遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえてきた。
元旦那親子は警察に連行された。ちなみに、元旦那の父親もかなりアレな人間で、警察に殴りこんだそうだ。一応田舎の権力者(笑)なので、警察に顔が利くといって乗り込んだようだが、公務執行妨害と傷害の現行犯で逮捕と相成ったそうだ。
ことが事なので、弁護士を入れて処理してもらった。ついでではないが、佳代さんの診断書や通院履歴などがDVの証拠となり、不貞による浮気であったことも含め、かなりの慰謝料をいただいた。とりあえず引っ越し費用となったが。ご迷惑をおかけしたご近所には丁重にお詫びして回った。
この事件後、佳代さんはすごく明るくなった。いい意味で過去と決別できたのかなと思う。そしてこの人を怒らせるのはやめようと、ひん曲がったモップの柄を見るたび心に誓った。そして、引っ越しが終わって落ち着いたころ、佳代さんが口元を押さえてリビングから出ていった。さすがにストレスが来たかと心配になり、病院に行ったところ・・・おめでただった。たまたま一緒に来ていた親たちと輪になってくるくる踊ってしまい、看護師さんにたしなめられた。そろそろ2歳になる子供たちは訳も分からず、舌足らずな声でばんじゃーいと笑っていた。
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