第二章 朱夏の『絢』雨 PART4

  4.


「茜ちゃん? あの茜ちゃん? 確か式年遷宮の時に一緒に遊んだのよね」


「そうそう」茜はにっこりと笑って葵の顔を見た。「私達はまだ小さかったから、神社の外で一緒に遊んだじゃない」


「うわぁー、懐かしいね」


 茜と意気投合していると、リーは蚊帳の外にいるかのように佇んでいた。彼をこっちにこまねく。


「リー君、こっちは榎本茜ちゃん。小さい頃に遊んだことがあったみたい」


 リーは納得したように爽やかな笑顔を浮かべて挨拶した。


「なるほど、お友達だったんですね。はじめまして、リー・シュンといいます。一応葵さんに付き合って貰っています」


 茜はリーをしげしげと見ながら呟いた。


「羨ましい……。こんな格好いい彼氏ができて……」


 そういうと茜はこほんと空咳をして一間置いた。

「ではせっかくカップルで来て頂いたので、ご案内しましょう」


「茜ちゃん、大丈夫なの?」


 葵は口を挟んだ。

「箒で掃いている途中だったんじゃないの」


 茜はふりふりと首を振る。

「大丈夫よ。お客さんに付き添っていれば怒られないし。それに久しぶりに葵ちゃんと話がしたいしさ」


「そっか、それならお願いしようかな」


 茜は二人を本殿の隣にある宮へ誘導し、リーの方に視線を向けて口を開いた。


「葵ちゃんは知ってるかもしれないけど、リーさん。この出雲大社になぜ様々な神様が集まるか知っていますか?」


 目の前にはたくさんの宮があった。これは神有月に来る神様の寝床だ。


「いえ、わかりません。是非教えて下さい」

 リーはわざとらしくか細い声を上げる。きっと答えを知っているのだろう。


 だが茜は得意げに咳払いをし話を始めた。

「ここにある建物は十月に他の神様が来ても泊まれる宿泊施設です。十月は旧暦では神無月というんですけど、出雲では神有月というんです。それは日本全国から神様がここに集結することから来ているんです。出雲は古墳時代までヤマトとならんでとても大きな国で、日本の中心の一つだったんですよ」


 リーは感嘆の声を上げながら茜の話に夢中になっている。葵も合わせて話を聞くことにした。


「なぜこの出雲に集まるかというと、それはオオクニヌシ様が日本の国土を開発した神様だからです。各地に息子や娘を配置し、それぞれ土地を管理させていたみたいです。遠く離れた親戚同士を結婚させる場として集めたのが主な理由となります。それで縁結びの神様と呼ばれるんですよ」


 リーは合点がいったように頷いた。

 茜は正殿を指差して続ける。


「オオクニヌシ様のご子息は天皇家の血筋でもあるんです。オオクニヌシ様のお孫さん・事代主神(ことしろぬしのかみ)は第二代・綏靖(すいぜい)天皇と結婚されて、第三代・安寧(あんねい)天皇を生んでいます」


「つまり国づくりというのは天皇の家系を指すのですね?」


「そうです。ただし神話の中で、ですが」


 彼女の説明はこうだ。


 第九代までの天皇は実在しないといわれている。それは初代・神武天皇を筆頭に神と交わっているためだ。

 一般的に第十代から第十四代までの天皇は実在している可能性があるといわれているが、それも断定はできない。モデルになった人物がいて、それを通して物語を作っていると考えた方が筋が通るからだ。


 全ては日本書紀に基づいた話になっている。


「一つ、面白い話があります」


 茜はにやにやとリーを覗き見ていった。

「事代主神は『武内宿爾(たけうちすくね)』という人物がモデルではないかといわれているんです」


「『武内宿爾』?」リーは首を傾げて葵の方を見た。


「『蘇我』氏の祖先にあたる人よ」


 葵はリーに説明した。


 武内宿爾は天皇を補佐する大臣だ。今でいうと内閣総理大臣のようなポジションにあたる。

 彼は第十二代・景行(けいこう)天皇から第十六代・仁徳(にんとく)天皇までの五代に渡る大臣を務めている。もちろん、それほど人間の歳は長くはないため(推定で二百歳)、フィクションが混じっていると考えていいだろう。


「神話・天皇の物語である古事記・日本書紀は持統天皇が作ったんです。なので神話には彼女の思惑が練りこまれている可能性があるんです」


「なるほど……『蘇我』の祖先が天皇の神と関係があるのか」


 彼は感嘆の声を漏らした。きっと頭の中では再び思考が巡っているのだろう。

「日本の神話は本当に奥が深いのですね。他に面白い話はないですか?」


「そうですねぇ……」


 彼女は息を飲んだ。

「ここには出雲大社と呼ばれる赤椿があるんです。しかもですね、七夕の日には仄かに火を帯びたように光るという言い伝えがあるんです」


 リーは葵の顔を見て目を大きく開いていた。彼の切れ長の目が一瞬にして光を帯びる。


「茜ちゃん、それってここにある椿が全部光るの?」


「いやいや、あくまでも伝説よ」


 茜は葵の勢いに押されて一歩退いた。

「本殿の奥に咲いているらしいだけど、その赤椿だけが光るっていう話があるだけ。それにその品種は本来冬に咲くものだから、花自体がついていないと思うよ」


 リーは眉間に皺を寄せて茜に尋ねた。


「その木を見ることはできないんでしょうか? もちろん光ってなくてもいいんです」


 茜は申し訳なさそうに頭を下げる。


「すいません、私自身も入ったことがないんです。神聖な場所なので、宮司しか入れないんです」


「……そうですか」リーはがっくりと頭を下げた。


 茜は不思議そうな顔で二人を交互に見つめてくる。


「どうしたの? そんなに興味がある話だった?」


 葵は熱田神宮にあった青椿の話を始めた。茜は予想通り驚きの表情を見せている。


「えっ? そんなことが本当にあったの? 知らなかったなぁ。私てっきりおじいちゃんが作った伝説だとばっかり……」


「なんとかその木を見ることはできないでしょうか?」


 リーは茜の手を握って懇願し始めた。

「もしそれが本当なら、面白い仮説が立てられるんです」


「面白い仮説?」茜が訝しそうな顔でリーを眺めている。


「ええ、冗談だと思ってもらって構いません」


 リーは葵に説明したように内宮の秘密を話した。茜の顔がみるみる高潮していく。こんな話、神職携わる者がまともに聞けるはずがない。だが彼女はリーの丁寧な説明を受けて納得したようだ。


「……面白い推理ですね。神話というものはもちろん現実に起こりえるものではありません。だけど……」


 彼女は箒をぶんぶんと振り回していった。

「その説が正しければ日本の神道が変わっちゃいますね。だって天皇の神様が変わる可能性があるんでしょう?」


 二人とも沈黙を貫いた。ここで掛ける言葉はないからだ。しばらく黙っていると、茜はぽつりと声を漏らした。


「……うーん、私も見たい」


 どうやら彼女の心に火がついたようだ、瞳が輝いている。

「潜入できる方法を考えてみましょう」


「本当ですか?」リーが歓声を上げた。


「ええ、私に任せて下さい。あそこに入る鍵は家にありますから」


 茜は宙にやっていた視線を葵達に向けた。

「今日の夜、ここを出た食事処で待っていてくれませんか? 出雲蕎麦で有名なお店です。黒い屋根が目印になります」


 彼女は付け加えるように続けた。


「よかったらそこで食事を済ませて下さい。親戚の者がやっていますので、味は保障しますよ」

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