第二章 朱夏の『絢』雨 PART2

  2.


「本当にいい天気になってよかったわ。ほらほら、リー君。あっちの山を見て。綺麗じゃない?」


「そうですね」


「ほら、あっちの方も見て。なだらかな曲線になってる。あそこはきっと水が美味しいでしょうね」


「どうしてそんなことがわかるんですか?」


「木が密集してるからよ。海が近いから雨もたくさん降るだろうし、それを蓄える土壌があると美味しい水ができるの」


「なるほど」


 七月七日、晴れ。どうやら今年の梅雨は早々に明けたようだ。太陽が激しく照っている中、葵達はレンタカーに乗り込んで出雲に向かっていた。高速道路は割引が改訂されたためか、走っている車は思っていた以上に少ない。


 リーが安全運転をしている中、葵は山をぼーっと眺めていた。山はそれぞれ一つとして同じ起伏はなくその形を目でなぞるだけでも楽しめる。夏場ということもあり新芽が若草(わかくさ)色から萌黄(もえぎ)色、常盤(ときわ)色へと見事なグリーンのグラデーションを作っている。


「こうやって山を見ながら走るのって好きなの。大学の時のアパートの前には見晴らしのいい山があっていつもそれを眺めていたんだ」


「そうなんですね」リーは相槌を打ち頬を緩ませる。


「色が変わっていくのって本当に綺麗。この時期なら鬼灯の実が特に綺麗よ。青い実がどんどん熟して赤くなっていくの。最後にはカラカラに乾いて種だけが残るんだけど、それがまた綺麗なの」


「確かお盆にお供えする植物でしたね」


 リーは説明を受けながら続ける。

「やっぱり農学部出身の方は自然が好きなんですね。ここから島根県に入るみたいですよ」


 葵の目にも看板が入るが、他に当てはないので、そのまま出雲まで一直線で向かう。


 山を越えると今度は田んぼの画一的な淡い若草色のみが無限の大地を覆っていた。規則正しく並んだ苗達は後一月もすれば倍くらいの身長に伸びるだろう。


「本当に懐かしいわ。大学のゼミで使った田んぼもこんな感じだったの。すごーく広くて、全ての視界がグリーンで覆われるの」


「……行ってみたいなぁ」


 リーは口元を緩ませた。

「研究に没頭できるのって素敵ですね。お金に余裕があれば僕も星の研究がしたいです」


「星の研究? リー君はすでに詳しいじゃない」


「いえ、そうではなくて。自分だけの星を見つけたいんです」


 彼は笑顔でいった。

「名のない星を見つけることができたら自分の好きな名前がつけられるんですよ。それって最高だと思いません?」


 ……ま、眩しい。


 リーの白い歯から光が零れる。たまに彼の無邪気さについていけなくなる時がある。

 自分の心の汚さに愕然としていると、木で出来た大きな鳥居が見えた。その前で大学生達がそれぞれ独自のポーズで写真を撮っている。


「みてみて、リー君。あの子達も大学生じゃない?」


 リーは目の端で鳥居を捉え頷く。


「……そうかもしれませんね。名古屋の学生とは違って皆さん少年のような格好ですね」


 リーの的確な表現に思わず口元が緩んだ。

「そういえばそうね。何だかリー君と同じで皆、純粋そう」


「僕なんか全然ですよ」


「リー君より純粋な学生はいないと思うよ」


 彼を再び見つめていう。

「宮崎にいる友達もね、あんな風に純粋そうな人達ばっかりだったわ。友人の一人は種苗(しゅびょう)会社に勤めているの。今頃向日葵(ひまわり)でも育てているんだろうなぁ」


「向日葵ですか」


「うん。それに大学に残って稲の研究を続けている人もいるのよ。変わりものだけど、一途な人だったなぁ。リー君みたいに」


 彼は苦笑しながら答える。

「それは褒め言葉として受け取っていいんでしょうか?」


「ごめんごめん。例え方が悪かったわね、もちろんいい意味でよ」


 道沿いを走り抜け出雲大社の駐車場に着いた。日光を遮る薄めの長袖を羽織りながら神社に向かうと、今までに見たことがない大きさの注連縄(しめなわ)が悠然と佇んでいた。


「わぁ、大きな注連縄ですね。あそこにいる人たちは何をしているんですか?」

 リーは訝しそうに注連縄の近くにいる集団を指差した。


「あれはね、注連縄にお金を刺そうとしているのよ。あれにお金が刺さったら願いが叶うといわれているの」


「刺さらなかったお金はどうなるんです?」

 下に落ちている小銭を見ながら彼はいう。


「…………神社のお賽銭になるんじゃないかな、たぶん」


 注連縄の前に来ると、リーはおもむろに小銭を取り出した。


「いくらでもいいんですか? お賽銭というのは」


「そうねぇ、五円玉がいいかもよ」


 真剣に考えているリーを見て葵は微笑んだ。

「五円玉には御縁という言葉が掛けてあるの。縁がありますようにってね。これを掛詞(かけことば)というの」


「なるほど」


「でも……神社としては五円玉より五百円玉の方がいいかなぁ」


「それはなぜですか?」


「……どこの神社も経営が苦しいと思うから」


「……なるほど」


 リーは小さく笑いながら五百円玉を小銭入れから探し出しスナップを効かせて上空に放り投げた。五百円玉は空を切り手裏剣のように俵の中にめり込んだ。


 その直後、リーはその場でぱんぱんと大きく手を叩き注連縄に向かって目を閉じて拝み始めた。周りの人達は彼に対して好奇な目で見始めている。葵自身、その状況に笑いを堪えることはできなかった。


「くくくっ。そういう意味じゃないって。あっちが賽銭箱。これは単なるおまじない」


「あ、そうなんですか?」


 リーはきょとんとした目で彼女を見つめる。

「てっきりこれが賽銭箱かと」


 聴衆の視線を痛い程受けながら彼女達は賽銭箱に五円玉を二つ投げ込み再び手を合わせた。


「リー君、ここでは二礼して四拍手なの」


「そういえば、神社によって参拝の仕方が違ったんですよね。なぜここでは四回なのですか?」


「スサノオが率いている祓戸四神(はらえどよんしん)に対してよ。この神社の主はスサノオの子孫なの。この四つの神がこの世の穢れを別の世界に持っていってくれるの」


「なるほど。それで四柱の神にお参りする意味を込めて四回叩くのですね」


「うん、そうなの」


 礼を終えた後、葵は再び五百円玉を取り出した。


「リー君、見て。これは桐(きり)の花なんだよ。日本の硬貨には花の絵が描かれているの」


「あ、本当ですね。全然気づかなかったです」リーは頷き絵柄を確かめている。


「リー君、花歌って聞いたことある?」


「花歌? いえ、初めて聞きます」


「…………そっか。やっぱり日本だけの歌なんだね」


 葵は小さく声を出して歌を口ずさむことにした。


 春ツバキ

 夏はエノキに

 秋ヒサギ

 冬はヒイラギ

 同じくはキリ


「この歌はね、花の名前を覚えるための短歌なの。語呂合わせで漢字を覚えようという歌なんだ。季節に木片を加えれば全部その漢字になるのよ」


 リーはノートに椿、榎、楸、柊、桐の字を書いていった。その字を見て一人で納得している。


「あ、ほんとだ。木に同が加わると桐と呼べるわけですね」


「……うん」


 再び注連縄を見直す。リーが投げた硬貨はきっちりと縄の中に入り込んでいて見えなくなっていた。


「それにしても見事な遠投だったね。忍者が手裏剣を投げたみたいに刺さったからびっくりしたよ。ひょっとして投げたことがあったとか?」


「まさか。初めてですよ」


 葵と同様に注連縄に視線を映す。

「賽銭箱に注連縄に二つもお金を入れたんですから、きっと願い事は叶いますね」


「うん、叶うと思うよ。何をお願いしたの?」


 リーはにっこりと笑って答える。

「天の川が見られますようにとお願いしました」


 確かに正しい願い事だ。だけど今いって欲しい言葉ではない。もっと彼の気持ちを伝えて欲しい。


「葵さんは何をお願いしたんです?」

 葵の顔色を伺うように上目遣いでこちらを見ている。


「……ううん、私も同じよ」

 できるだけ声のトーンを落とす。そこには自分の気持ちを知って欲しいという願いを込めている。


「そうですか。お互い叶うといいですね」


 リーは白い歯を見せて笑ったが、彼女は面白くなかった。自分が望んでいる言葉をいって欲しかった。そう考えると、また自己嫌悪に陥る。

 自分ばかり気持ちが募るのは悔しいが、行動で示さなければ伝わらない。


「……リー君、あっちにいこ。あっちには本殿があるわ」


 彼女はリーに伝わるように彼の手に指を絡めて、引っ張った。

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