第6話 変調
「……ん?」
新宿のとある高層ビルの室内で、黒野大介はパソコンをいじっていた手を止め、顔を窓の方へ向ける。
しかし、そこから見えるのは朝日で反射して光っている隣のビルの窓だけで、別に何も変わったことは見られない。
そこに目を向けた理由は……チクリという感じの刺激が窓の方向から脳へと伝わったからだ。
黒野はパソコンの画面を閉じ、屋上へと向かう。屋上は基本使用禁止となっているのだが、現在の時刻はまだ9時前。出勤時間まではまだ1時間ほどあるため、ここにいる社員はまだ数人程度だ。屋上に行ってもばれる心配はほとんどないだろう。エレベーターで最上階の27階まで上り、外に続くドアを開ける。屋上には、ソーラーパネルが幾つも取り付けられている。2018年から10階立て以上の建物に取り付けるよう義務づけられているのだ。
黒野は念のため辺りを見回し、誰もいないことを確認すると、携帯電話を取り出し、電話をかける。通話の相手は《YURI》と、アドレス帳に登録されている。
『黒野か、どうした?』
電話越しから落ち着いた感じの、女の声が聞こえてくる。先ほど起きたばかりなのか、その声はとても眠たそうである。
「おはようございます、ユリさん。こんな朝早くに電話をかけてしまって申し訳ありません」
『ああ、その心配には及ばない。いつもはもう起きている時間なんだが、情けないことに、寝坊してしまってな。 ……ま、私のことはいいさ。黒野が私に電話をかけてくるんだから、どうやらよほど知らせたいことがあったようだな』
「はい、そのことなんですが……この近くで、新たな《能力》の発動が見受けられました」
『ほう。ようやくか。それは、どっち側の組織の能力なんだ?』
「残念ながら、我々とあちらの能力者の人数から考えて、恐らく《EVE》かと。それで、私はどう動けばいいのでしょうか?」
『んー、そうだなぁ。とりあえずはお前の仕事が終わるまでは動いてもらうわけにはいかないから、お前の仕事が終わるまでに他の1、2人に動いてもらう。今日は何時に仕事を終えられる?』
「夕方5時前には終わるかと」
『よし。すまないが、仕事が終わったら今度はこっちで働いてもらうぞ』
「了解しました」
そう言って、通話を終える。通話時間、5分程度。黒野はまだ時間に余裕があると判断すると、虚空から弓を取り出す。
弓の能力名は《ケイロン》。黒野が使うことができる、唯一の能力だ。
黒野がこの能力に目覚めたのは、ほんの数ヶ月前である。
当時、入社8ヶ月であった黒野は、自分の社会人としての存在意義に疑問を持っていながらも、毎日の仕事を淡々とこなしてはすぐに自宅へと帰るという生活を送っていた。そのため、他の社員からは「完璧ロボット」だの、「便利な社蓄」だの呼ばれ、ひそひそとバカにされていた。
そんな黒野がこの能力に目覚めたとき、最初は正直、何に使えばいいのかが全く分からなかった。伝説上の弓が使える?それで人でも殺すか?
……いや、それはさすがにぶっ飛んだ考えである。普通にこの弓を使って猟師になるのもいいし、アーチェリーの選手になるのもいいだろう。
だが、それでもし成功したとしても別に楽しくはないだろう。何なのかも分からない異様な力を使って有名になっても別段嬉しくはないし、すぐに飽きそうだ。しかも、この弓はいつでも使えるわけではなく、気まぐれで発動し、出てくるため、不便極まりないのだ。黒野は、数週間でこの能力に対する興味を完全に失った。
そんなとき、出会ったのがユリと名乗った女性である。年は20代くらいであろう、白いワンピースを着た彼女は仕事帰りの黒野に声をかけた。
……その能力、自分の役に立ててみない?
それから彼女は黒野に、何のためにこのような能力が存在し、そしてどうして黒野がその能力を取得できたのかを教えてくれた。黒野は、自分が世界に数千もいない、選ばれた存在であることを知った。さらに、その能力を最大限に活かした、最上に興味深く、イカれたイベントの存在を教えられた。それからは、今の仕事をこなしつつ、ユリの指示に従って生きていくことを決心した。その指示が、全く関係ない人を殺すことだとしても、黒野は自分を必要としてくれる人のために、そして何よりも自分のために能力を発揮し、必ず実行する。
そして今日、ついに自分が輝くことが出来るイベントが始まろうとしていた。そのイベントとは、《ADAM》と《EVE》という二組織の能力者による、日本を舞台として行われる殺し合いである。先ほどの新たな《EVE》の能力者の発見により、この地域にいると推定される10人の能力者が全て、明確にその存在を証明された。このことはユリを通じて
黒野は、弓を引く真似をすると、笑い声をあげる。それは、生まれて初めての心からの笑いだったかもしれない。
いつもと同じ作業ではあるが、今日のはいつもより楽しく感じられるかもしれないな。そう思いながら、ちょっと早いが、仕事をしにエレベーターで再度職場へと戻った。
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