中居芽衣

 どうしよう。もうすぐ深琴くんがここにやってくる。師匠がここにいるだけでいいと言ってくれたから、ここにいた。なのに来てしまったからには足止めしなきゃいけなくなってしまう。足止めできる気はしない。けれど止めなければいけない。

 師匠から二つのことを聞いた。一つはこの世界のことを聞いた。この世界には争いが多すぎる。それも多種多様。だからこそ争いを怪人に一元化する必要があるという。その言葉に私はたしかにと思った。例えば物心つく前から芸歴がある私はあまりそういう目に遭ったことはないけれど、物心付く前からその光景を目にしてきた。出る杭を打つのは当たり前、むしろ出るように仕向ける人もいた。

 長年そういう人達を見てきたせいか、ある程度の共通点が見えてきた。いや、感じられるようになった。彼らは独特の空気感を纏っている。けっして見た目が逸脱しているとか、言動が突飛とかいうわけではない。もちろん薫くんみたいに、中にはそういう人もいるけれどやはりそれ以上に纏っているものが違う。語彙力がなくて上手くはいえないけれど、例えるなら何しなくてもついつい目立ってしまう人物だろうか。言うなら日常という舞台で映えしてしまう人だ。

「体は大丈夫そうだな」

 そうそれは深琴くんもそうだといえる。

「心配かけてごめんね」

 深琴くんはダルそうに頭を掻く。

「いや、まだ心配はしてるんだけどな。頭の」

 そう言って深琴は私を指差す。正確には私が来ている服を。

 まあ、心配する気持ちはわかる。私だって助けに来た人がこんな格好をしていれば正気を疑う。こんな露出が高いレザーボンテージを着ていればそう思う。それに私だって以前の映画で着た衣装をもう一度着る羽目になるなんて思わなかった。クランクアップしてようやく二度と着なくていいと晴れ晴れしたものだったのに。

 深琴くんには見られることはないからと言った師匠にはあとでどういうつもりなんだと問いたださなければ。

「言いたいことはわかるわ。けどそこだけは武士の情けでツッコまないでいてくれないかしら……」

「……悪い」

 謝らないで。ほんとこっちがいたたまれなくなってくるから。

「……こちらこそ申し訳ないわ」

 ああ、もう恥ずかしい。穴があったら入りたい。てか深琴くんに早くどっかいって欲しい。けどこの先は絶対に通せない。

「お帰り願うことはできないかしら?」

 深琴くんにジッと見られる。

「やっぱり頭大丈夫か?」

「……大丈夫よ」

「そうか」と深琴くんは言うと「そこ通してもらうことはできないか」と訊かれた。

 それはできない相談だった。この先には師匠がいる。そこにだけは通してはいけない。この世界を安定させるためにはあと数時間あれば、この世界として安定する。そうなれば人と人が足を引っ張り合う社会はなくなるはず。怪人とヒーローの戦いもこれが最終決戦で、これ以上の戦いは発生しない。みんなが幸せになるんだから、頑張ろう。相手が深琴くんでもこれは譲れない。怪人が勝たせて貰わなきゃそうはならないんだから。

「その衣装は映画か舞台のやつか?」

「え、ええそうよ。夜の女王様と介護士の二足のわらじを履いた人が主人公の映画の衣装」

「着させられたのか?」

「そうよ。よくわかったわね」

 深琴くんは両手を腰に当て、天井を見て大きくため息をつく。

「悪いこと言わない。そこ通らせろ」

 私は実験室へ入る扉の前で両手を広げる。

「駄目。いくら深琴くんの言うことでもそれは聞けない」

「どうしてだ?」

「みんなが幸せになるために必要なことなの」

「それもそう言うように言われたのか?」

「いいえ。これは私の意思よ」

「なら言うが、俺は人の幸せなんてどうでもいい」

「はい?」

 そんなはずない。深琴くんはあの日、あの時、私を助けてくれた。見ず知らずの私を身体を張って、その場から逃がしてくれた。あんな物語に出てくる王子様のような人が人の幸せを願わないなんて嘘に決まってる。

「そんなはずない。そんな人がここまで来るわけないわ」

 私は胸の前に拳をつくる。力が入り、震える。

「芽衣」

 名前を呼ばれる。拳の下にある心臓が飛び跳ねた。

「あの変質者がいて、周りに誰もいなかったから助けただけだ。助けられたから助けただけで、他に誰かいたら無視してた」

「そんなはずない。周りに誰かいても助けたはずよ!」

 大きな声をあげていた。嘘だといって欲しかった。肯定して欲しかった。

「助けない。絶対に」

 言い切られる。

 足元がおぼつかなくなる。まるで虚構という砂糖のお城が、幻想という水に溶けて崩れるようだった。

「なら、なんで甘えさせてくれたの」

 迷惑だったはずだ。家にまでおしかけて。幼馴染と一緒だったとはいえ、お泊りして。邪魔だったはずだ。

 深琴くんは目をつぶり、片手で髪をくしゃくしゃにする。

「あー俺は甘いんだよ。自分でも嫌になるくらい」

 へたり込んだ私に視線を合わせて、深琴くんは頭に手を置く。

「まあ、赤の他人ならともかく知り合いになら助けを請われたら助ける程度には優しいから安心しろ」

 そのまま立ち上がり、師匠がいる部屋の扉へと近づいていく。

「ねえ!」

 その背中を呼び止める。

「なんで絵上手いのに、原作つけないのー?」

 振り返って、「見たのかよ」とぼやく。

「自分で全部できた方が楽しいだろ」

 その答えを聞いて馬鹿なことをしたと思った。

「そうね。応援してるわ」

 もう一度近づいてきて、再度視線の高さを合わせられる。申し訳なさから視線を外す。

「人のこと構うより、もっと自分のこと優先しろ」

 思わず笑ってしまった。

「それ深琴くんが言えることじゃないよ」

「俺は無理矢理にやらされてるだけだ」

「甘いんだから」

「うるせえ」と笑いながら立ち上がり、師匠がいる部屋――実験室へと入っていった。

 私は背中から床に大文字で寝そべる。

「余計なお世話だったわね」

 もう一つは深琴くんの才能を世に知らしめることができるということだった。あの力さえあれば、きっかけを作ることは容易だった。もっとも良い物だと洗脳するのは流石に野暮だと思ってする気はなかったけれど、それ以前の問題だった。

「嫌われちゃったかな。けど――」

 深琴くんは言った。自分のことを優先しろと。

 なら好き勝手しよう。後悔するぐらい、好きだって言おう。みんなのことを気にする以上に、深琴くんに気にしてもらえるようになろう。でもこれだけは言わせて欲しい。

「みんなのヒーローだったけど、私にとってもやっぱりヒーローだったわ」

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