野崎千恵

「ついていきたい」

 ワガママを言ったとは思う。けど、これは如何なものだろう。桃色映像的に例えるならば、導入部分なしにいきなり本番を見せつけられるという侘び寂びもあったもんじゃないという風だ。

「イーッ!」

 私と変質者もといマイティマンと名乗る次郎さんが乗っていた車は総計五十人ほどの全身黒タイツの輩に囲われていた。

 非常にシュールな光景ではあるが、さすがにこの人数に囲われると身の危険を感じ始める。これらが全員スタイルの良い女性だったら眼福なのにな、と思う程度には焦っていない。ちなみに隣の変質者は今朝の出発時からピッチリボディースーツなので、正確には五十一人の変質者と美少女一人というどう考えてもやっすい桃色映像のタイトルっぽくなっている。

「私が道を開く! 君はそこから逃げてくれ! 君の足ならば逃げ切れるはずだ!」

 これまたやっすいヒーローショーに巻き込まれた子供のようにわかりやすく指示を投げ飛ばされる。

 けれどその言葉に従うことにした。昨日の刃物の影が脳裏をチラつく。何があってもおかしくないんだ、こうなった世界では。芽衣ちゃんだって囚われた。それに睦月ちゃんはさっき電話で言っていた役目を与えられた人以外はいてもいなくても一緒だと。安全は保証できないから、役目持ちの言うことは守った方が良いとも。だからアタシは走りだした。

「おっちゃんも無事で!」

 変質者が作った道を一気に駆け抜ける。すぐに追手が変質者の脇を抜けてくるも、その手をすり抜けて距離を伸ばしていく。

「そのまままっすぐ進めば睦月くんと合流できるはずだ!」

 その言葉を信じ、ひたすら走り続けていると二十分も走った頃、ハザードランプを点けて停車していた軍用車を見かけた。灰色と緑の中間ぐらいの色合いの車体の脇には迷彩柄の服を着た三十代ぐらいの男性とカットソーの上にグレーのスーツを纏った女性が立っていた。彼らはまるでアタシが来るのを待っていたかのように遠くからずっと、じっと視線を送られた。どこかで見たことあったかなぁと訝しむも構わずに走り続ける。アタシが近くまで通りかかると、女性の方が片手で通せんぼした。

「野崎千恵さんね。待ってたわ。夏目さんのところまでお連れするわ」

「夏目?」

「あなたにとっては睦月さんと言った方がわかりやすいかしら」

 あの綺麗系の見た目に反して朝チュンとかいう冗談が大好きなお姉さんのことかと納得する。先ほどの電話でこちらが襲われていることを伝えたから迎えを寄越したのだろうか。――いやいや、と思い直す。こんな軍用車で迎えを寄越せる個人なんているわけないと。

「自衛隊か何かですか?」

 女性は懐から名刺入れを取り出すと、その中から一枚を私に両手で差し出す。そこには特別情報局局長 椎名悠希と書かれていた。

「こういう者だけどわかるかしら」

「いや、さっぱりです」

「まあ、そうなるわね。とりあえず時間ないから乗ってください」

 軍用車の後部座席に乗り込むと、椎名さんが対面になるように座る。車が走り出すとともに椎名さんは話を切り出した。その椎名さんの話によると、特別情報局とは怪人に対抗する組織の一つだという。ただ、その中でも特別情報局の前身は軍部だったため情報という名前に相応しくなく、武力行使で怪人に対抗しているらしい。今日ここにいたのは国家中枢とコネがある睦月ちゃんの家がアタシとマイティマンを護送するために寄越されたとか。その時点でスケールの大きさに睦月ちゃん家、ぱねえっていう感想しか持てなかった。

「睦月ちゃんって何者ですか?」

「華族の末裔よ。今では華族が廃止されたのは知ってると思うけど、その成り立ちに深い理由がある華族の家系は影響力は薄れないもんよ」

 まず華族とはなんぞそれだった。けれどそれを聞いてはバカっぽいのでそのまま話を進めることにする。

「理由とは」

「占いよ。お偉いさん方はみーんなお伺いを立てて、今後の相談をするんだ」

 そういう話はドラマか何かでよく聞くけれど、本当にそういうことがあると聞くと「何をやっているんだ。我が国は」と呆れてしまう。けれどこれはどっちの話なんだろう。この世界になってからの設定なのか、元々ある設定なのか。

「てか今回の事件のことも占ってもらえば平和に解決できるんじゃ」

「どういうわけかこの件に関しては助言する気はないみたい。このままじゃ大変なことになるってのに」

「大変なこと?」

 もうアタシ主観でも、椎名さん主観でも今でさえ大変なことになっているのにまだ何か大変なことがあるのか。

「戦争が起こるわ」

「戦争って」

 いくらなんでも話が飛躍しすぎていてワケワカメだった。

「いやいやいや、いくらなんでも戦争はありえないって。だいたいどこと戦争なるのさ」

 椎名さんは首を横に振る。

「言い方が悪かったわ。怪人と世界各国との戦争が起こるの。そして、怪人の総本山がある日本が戦場になるの。この戦いの渦中にいるから言ってもいいって言われてるから忠告しとくわ。もう既に各国の核兵器は日本に照準を合わせているわ」

「……マジで?」

「大いに本当よ」

 いくらなんでもそれは信じ難いものだった。けれど冷静に考えてみれば日本だけしかこんなヘンテコな状況になっていないわけがなかった。全世界と言われるとピンとこないし、海外のニュースなんて全く見ないから確証めいたことは何一つ知らないけれど、実際にナイフを振り回していた光景を目の当たりにしたからきっと本当にそうなっているのだと思えた。

「それどうすんの?」

「マイティマンが足止めを喰らっている以上、岩永くんに任せるしかないわ」

 核戦争なんてとんでもないことをたった一人に背負わすつもりなのか。ただでさえ芽衣ちゃんの件で苦労をかけているというのに、酷い話だ。

「アタシにもなんか手伝えることは何かないですか?」

 けれど椎名さんはため息混じりに首を横に振る。

「この場についてこれただけでも疑問が残るのに、そんなことさせられるわけないでしょう」

「ですよねー」

 アタシ自身、ワガママが通ったことは驚きだったけれど、それは甘い顔をされてただけでお固い職業の人からすればしかめっ面されてもおかしくないことなのだろう。

 けどここまで来ておいて、何もしないで帰れない。やるなら最後までやりきって終わらせる。それはマラソンでも桃色映像でも一緒だ。完結してこそ達成感が生まれる。

「睦月ちゃんって今どこにいるんですか?」

 実はノリが良い睦月ちゃんならばアタシに甘い顔してくれるのではと期待する。てか甘やかしてくれないとアタシはなんのために来たのかすらわからない。

「夏目さんなら今深琴くんの実家にいるわよ」

 ということは一緒に研究所へと向かった彼も一緒にいるということになる。いやはや、あんだけ実家に帰りたくないと駄々をこねていた人がよくもまあ実家に帰ったものだ。帰らざるえない理由でもできたのだろうか。いや、アタシのあんな避けようがいくらでもある脅しで簡単に屈した彼なら睦月ちゃんの言うことなら「しょうがねえな」的に許してしまいそうな気がする。てか待て、昨日出発して今日まだ家にいるということはアレか一つ屋根の下で寝泊まりしたのか。やりおる。これが芽衣ちゃんなら同じ部屋で寝ることになっても、あのおぼこちゃんは布団を三メートルは離しそうだ。

「ところで春川コーポレーションについて何か聞いてる?」と椎名さんは訊いてくる。

「大きな会社としか……」

 そう答えると椎名さんは微笑む。

「なら貴女が庇ったという女性研究者から研究内容について何か聞いていない?」

「アタシは何も聞いてないです。あ、そういえばあのみぼ――研究者さんの娘さんはどうなりました?」

「娘がいたの?」

「はい、芽衣ちゃんが見つけて、あの騒ぎのあと、警察に保護してもらってたみたいですけど」

「そう、そんな子がいたのね。ありがとう」

 そのあと睦月ちゃんのもとに辿り着くまでの会話はとりとめのないことばかりだった。アタシの緊張を解きほぐす為だとわかった。けれど、いくら解きほぐされても「パンツの色は?」とは聞けなかった。

 

 

 

 

 でっかい門を車で通ると古き好きというか昔の日本的なお屋敷が見えてきた。「うわぁ、でっかい」と漏らすと椎名さんが「元を辿れば豪族からの由緒正しき家系ってやつだからね」と注釈してくれた。

 車を降り、その威圧感を放つ家に感嘆を漏らしていると「襲われたと聞いたけど大丈夫そうだね」と睦月ちゃんが手を振り近寄ってくるのが見えた。

「あ、パない人だ」

 睦月ちゃんは表情を明るくして応える。

「そうです。私がパない人です」

 往年のギャグの口調で笑いを誘う。あの触れたい、抱きかかえたい、舐め回したいの見た目で言われると流石にギャップ笑いも差が激しすぎて引いてしまった。

「おい、あの全身タイツはどうした」

 腕組みをした深琴くんが鋭い口調で切り込んできた。そりゃもう触るものみな傷つけるほど尖っていた。あからさまに不機嫌を隠そうともしてないのに、来れないって油を注ぎたくないなと思っていると椎名さんがギットギトの油を注ぎ込む。

「あの方は来られません。今から我々特殊情報局が救助に向かいます」

 怒るな、と予想したものの深琴は淡々と「そうか。わかった」と返しただけだった。

「怒らないの?」

「怒る意味がない。怒ってどうにかなるなら怒鳴り散らしてやるがな」

 睦月ちゃんがあたしの肩をツンツンし、耳打ちする。

「優しい人間だから怒ったりしないよ。ただ、意味もなく待たされるのが嫌いなだけさ」

 待たされただけであからさまに不機嫌になるのかなと深琴くんをチラッと見る。

「来ないのなら行ってもいいか?」

 睦月ちゃんの言う通りだった。それはそれとして私もどうにか連れて行ってもらえないか聞こう。

「ちょいといいか――」

「待て」

 あたしの言葉を遮ったのは一人の高齢男性だった。無駄に鋭利な目元が深琴くんと瓜二つだった。

「なんだクソ親父」

 深琴くんの目つきが刺すように中年男性を――深琴くんの父親だという人物を射抜く。

「出て行くのなら一言あってもいいんじゃないか」

 咎める口調で言い放つ。深琴くんも気に触ったらしく乱暴に「関係ないだろ」と返した。

「関係ないわけない。お前が今から向かうのはウチの研究所だ」

「だからなんだ」

「損害が出たらどうするつもりだ」

「知るか。こっちはやりたくもないことに首を突っ込まされてるんだ。お国に補填してもらえ」

「お前の意思ではないんだな」

「こんなおかしなことにでもならなきゃこんなとこ帰ってこねえよ」

「……なら話しておくことがある」

 神妙な雰囲気で口にされる。あたしはきっと聞かなきゃいけないことなんだろうと思って耳を傾けようとしていると深琴くんが「聞く必要はない」と流れを断ち切ってしまう。いやいやいや話を聞く流れでしょう、と思わず手が宙空をさまよう。どうしようどうしようと助けを求め、視線を泳がせると睦月ちゃんとパチリとウインクしてそれを捕まえた。

「まあまあ、何か言わなきゃいけないことがあるからわざわざ出向いたのだからそう邪険にしちゃ悪いよ。ねえ、お義父さん?」

 睦月ちゃんは深琴くんの肩に手を置き、お義父さんと呼んだ男性に微笑んだ。するとまあどうでしょう、深琴くんは「しょうがねえな」と納得し、父親は「うむ」と納得した。睦月ちゃん、マジ半端ない。

「お義父さん、お話とはなんですか?」

 ごく自然とお義父さんと呼んでいる。イントネーションも嫁が呼ぶようなものだ。……もう芽衣ちゃんに勝ち目ないんじゃないかな。もっとも助けなければ意味がないのだけれど。

「このおかしくなった世界のことについてだ」

 まさかお義父さんもまともな人種だったのか。まともな状態でお義父さん呼ばわりを許されているのか。ますます勝ち目が見えないって、芽依ちゃん。

「それでこの世界になったことの何を知ってんだ?」

 深琴くんは一切の動揺を見せずに訊いた。――どうして驚いていないんだこの人は。睦月ちゃんも微笑みを絶やしていないことを見ると知っていたのだろうか。

「こうなってしまった経緯だ」

 お義父さんはそう述べると、その経緯を語り始める。

 元々はいわゆる春川コーポレーションで行っていた痴呆症の防止のための研究だったという。その方法はえらい簡単に言ってしまえば認識の共有化するものみたい。人間は微弱だが電波を受信しているらしく、それを利用して痴呆症を防ぐというものらしい。細かいことはあたしにはちんぷんかんぷんだったけれど要約するとこうらしい。それでその研究を深琴くんの家は融資していたらしい。けれど、その技術を洗脳装置として悪用を企んでいる者の存在を知り、技術を奪ったみたい。ただ奪う際、あるアクシデントが起きた。そのアクシデントというのは奪う実行者、研究員である未亡人さんが引き起こしたとのこと。正確にはよく研究所に出入りしていた娘ちゃんが引き起こした。現物以外のデータを全て削除し、現物にパスワードを設定し、いざ脱出するところで企みがバレる。どうにか脱出しなければいけないと考えた未亡人さんは、マシンを起動させた。それが全世界に向けて出力され、こんなことになった。どうしてこんな特撮まがいな世界になったかは謎だけど、近くにいた娘さんが関係しているのではないかということらしい。

 経緯を聞き、ほうほうと納得していると深琴くんが「あの女は洗脳しきっていたのにどうしてそんな情報が伝わってきてるんだ」と突っ込む。よくそんなとこまで頭が回るなとその次を待つ。

「実行者以外にも潜り込ませた人員が何人かいる。もっともほとんどが洗脳されて、無事な者も半洗脳状態にあったがな」

 半洗脳状態――そんなことがあるのか。それならきっと薫くんもその状態のはず。だからダークヒーローなんてとんちんかんなことをして芽衣ちゃんを攫ったりしたんだ。一発ぶん殴って正気に戻してやる。戻るかどうかはわからないけど、こんなことしでかしたのだから一発は殴ってやりたい。もちろんあの秀麗な顔ではなくボディをブローしてやる。

「それで俺に何をやらせたいんだ?」

 深琴くんはポケットに手を突っ込む。その低い声に呼応してお義父さんは答える。

「洗脳を解くことと装置の破壊だ」

「それだけか」

「それだけだ。手段は選ばない。お前の好きなようにやれ」

 頷いた深琴くんは真っ黒なフルフェイスヘルメットを被り、ハンドルを握る。飛び出す前に、あたしは慌ててバイクの前に飛び出し大声を上げる。「あたしも連れてってくれなきゃやだ!」とまあえらい頭の悪いことを言ってのけて。シールド越しに冷めた視線が投げかけられている。スモークが張って目が見えないけど、きっとそうに違いないのが肌にビンビン伝わってくる。

「睦月」

「なんだい」

「ついて来る気だろ?」

「もちろん」

「ならこの桃色頭を頼む」

「頼まれた」

 すんなり話が進んでしまい拍子抜けだった。深琴くんも睦月ちゃんもお義父さんも誰一人として異論をあげない。逆にそのことが怖くなってしまい、そのことを恐る恐る尋ねてみる。深琴くんは「抗う気が失せた」とため息混じり、睦月ちゃんは「本当についでだよ」と野次馬根性露呈、お義父さんは「息子に一任した」と放任。

 こんなんでいいのかな、とモブキャラらしく不安に感じる。そんな不安を他所に睦月ちゃんがあの少女を乗せたときと同じ大きなバイクを回して近づいてくる。あたしのヘルメットを渡され、親指を立てるハンドサインで後ろに乗るように促される。様になりすぎな所作に従って後ろにまたがる。ふと話題にならなかったことをもう知っているのだろうかと、横に並んだ深琴くんに「日本が核戦争の舞台になってるらしいんだけど知ってた?」と訊いてみた。

 両手で頭を押さえ、背中を丸められた。

 

 

 

 

 あたしは睦月ちゃんが操るバイクに乗って、研究所へ向かう。研究所は箱型の建物で遠目からでも位置が確認できるぐらいに大きかった。近づくにつれて呼吸が浅くなり、異常に喉が乾き始める。いつもならしがみついている睦月の細い腰が素晴らしいと興奮で手汗がだっくだくになっているはずなのに今は額に冷や汗しか流れていない。

 あの研究所に芽衣ちゃんと薫くんがいる。二人とも一年とちょっと前のテレビ番組がキッカケで交流を始めたから、長い付き合いとはいえない。それに芽衣ちゃんがあの部屋を借りたからこそ忙しいあたし達が繋がっていられた。お互いの深いところまで知り合っているのか言われたら返答に困るぐらいの付き合いだ。ただ、あのコタツのようなぬくもりを分け合うような関係は何ものにも捨てがたい。下手に有名になってしまって、素の自分を出せる相手が極端に少なくなってしまった。あの生ぬるい空間で芽衣ちゃんにセクハラしたい。カオルンを猫かわいがりしたい。深琴くんと睦月ちゃんもその輪に入れて、どうでもいいことで管を巻いていたい。睦月ちゃんと芽衣ちゃんの三角関係をほのぼの眺めていたい。これさえ終わればきっとそんな日常が巡ってくる。だから薫くんの目を絶対に覚ます。いつも一番早くに来て皆のことを待っていた薫くんに戻すんだ。

 研究所の前でバイクが停まる。目の前の研究所は黒い外装をしており、まるで巨大な箱のようだった。バイクから降り、その巨大な壁にある自動扉を潜る。吹き抜けとなったエントランスは耳が痛くなる静けさがあった。社員食堂と休憩室が一体となっている作りのそこには百を超える椅子とそのテーブルが並んでいる。それにも関わらず人っ子一人見当たらなかった。その直後のことだった。入ってきた扉のシャッターが降りたのは。それに続くように全ての外に繋がる扉、窓にシャッターが降りる。

「うひゃっ!」

 あたしは素っ頓狂な声をあげて、深琴くんの背中に隠れて、盾にする。深琴くんはあたしの意を汲んでくれたらしく手を横に伸ばし、隠すように周囲に警戒を配る。あたしが頭に桃色とついていない乙女だったならば、芽衣ちゃんよろしく胸キュンしただろう。

「ここは元々バイオハザードでも起こるような研究なり、人体実験でもしてたのかよ」

 うんざりするように深琴くんは言い放つ。続けて「お前ら、俺から離れんな来るぞ」と注意を促した。

「イーッ!」

 つい数時間前に聞いたあの鳴き声がした。誰もいないかと思ったエントランスに、社員食堂の厨房に隠れていた全身黒タイツでマスクを被った大量の男たちがなだれ込んでくる。逃げようにも出入り口は塞がれ、多勢に無勢ということもあって電源の落ちた自動扉を背に囲まれてしまった。

「睦月」

「なんだい?」

「恨むなよ」

 そう言うやいなや、深琴くんは全身黒タイツの集団に切り込み、乱闘を始めたではないか。一人の黒タイツにつき一発の拳で沈めていくその様は鬼神のようだった。次々と仲間が意識を手放していく光景に黒タイツたちは深琴くんから距離を取る。その中の一人があたしらに向かって来る。背後が壁だということも忘れ、踵を下げ、壁にぶつかる。眼前に手が伸びてくる。怖さから一歩も動けないくせに、いっちょ前な悔しさからその伸びる動きからは目を離さないでいた。

「深琴っ!」

 耳元で睦月ちゃんが大声をあげる。睦月ちゃんは一番近くの黒タイツに体ごと当たりに行く。もつれるように黒タイツと倒れる。睦月ちゃんはそのまま黒タイツ連中に囲まれる。その光景を同じく目にした深琴くんは睦月ちゃんを助けに――向かわなかった。そのままあたしの周りにいる黒タイツを成敗していく。それは流れるような動きは一人だけビデオの早送りをしているようだった。けれど睦月ちゃんを助けるには歩くような速さだった。

 周囲の黒タイツを全てノックアウトした頃には睦月ちゃんは連れ去られていた。

「大丈夫か」

 拳の緩め、左右に振る深琴くんは悠然としたものだった。睦月ちゃんが攫われたのに焦り一つ見せなかった。それが癪に障った。

「睦月ちゃんが攫われたのにどうしてそんな普通にしてんの!」

 間を置かず返事が届く。

「睦月なら大丈夫だ。そんなヤワじゃない」

「睦月ちゃんは女の子なんだよ! どうしてそんな平気な顔してられんの。それに恨むなよって何! 囮になれってこと!?」

「……連れ去られるのはこれで初めてじゃない。無事でいられる確信があってああいうことをしたはずだ。それにああでもしなきゃ今頃アンタら二人共捕まってたはずだ」

 あたしが無事なのは深琴くんが最初に敵を減らしたのと、睦月ちゃんが庇ってくれたおかげだ。どちらかが欠けたら深琴くんの言う通りあたしと睦月ちゃん、両方捕まってた。

「ここまで来たってことはもうアンタももうただのモブじゃない。そして睦月は身を呈して、アンタをこの世界のメインキャラに引き上げた。これからはアンタなりの戦いをしろ。流されるな」

 そういえば睦月ちゃんは言っていた。メインキャラに酷いことはされないって。睦月ちゃんは元々その一人で、あたしは単なるモブ。掴まっても睦月ちゃんは酷い目に遭う可能性は低いけど、あたしの場合はどうなるか分からない。だから庇ったんだ。

 あたしは馬鹿だ。人に迷惑かけて、八つ当たりした。無理矢理ついてきたあたしなんかのために行動してくれたんだ。

 立ち上がり、両の手で自らの頬を力強く叩く。

「ごめん。目、覚めた。行こう」

 そう言って、自分で疑問を持つ。

「どこに行けばいいの?」

 深琴くんは「見てろ」とため息をつき、気を失っている黒タイツの一人を頬をはたく。うめき声をあげ、不幸にも気がついてしまった黒タイツは目の前にいる鬼を見るなり悲鳴をあげる。後ずさりしようとするも深琴くんがガッシリ胸ぐらを掴まれ、それを許さない。

「おい、あんたらのボスはどこにいる?」と深琴は脅してはみるものの「イーッイーッ」と首を横に振るばかりだった。

「言いたくねえのか」と凄みを見せるものの、なおも 「イーッイーッ」と首を横に振られる。

「これが邪魔なんじゃない」

 いっこうに進まない話し合いに割り込んで、黒タイツのマスクを外してみた。その中からは人相の悪い輩が現れる。けれど、その人が 「イーッイーッ」と首を振る奇妙な光景は変わらなかった。

「ううん、違ったか」と落胆を深琴くんに言ってみる。汚名を返上とはいかないまでも、ちょいと心象を取り戻そうとコミュニケーションを取ろうとした。けど、深琴くんにはそんな頑張りは届かず、その黒タイツの素顔をジッと見て「やっぱりか」と呟いた。

「地図を指差せ。口で言えなくてもそんぐらいはできるだろ」

 深琴くんは黒タイツを各階のフロア表の前まで手を引いて連れて行き、そう訊いた。心なしか態度が軟化した気がした。

 黒タイツは地下を指差す。深琴くんはフロアを指差しで確認が終わると、その指差した拳が黒タイツの腹に突き刺さる。糸が切れたような深琴くんにもたれ掛かる。それをゆっくりと床に寝かせた深琴くんは言う。

「地下だ。行くぞ」」





 あたしらは地下へと進み、リノリウムが貼られた廊下を歩く。目的地の部屋は地下では一番大きな研究室だ。無必要に大きい研究室のため、研究室というよりは実験室に近いのではないかと深琴くんは語る。つまりは今回の騒動の引き金となった装置があるのだろうということだ。

 暗い照明の廊下は真夜中の病院のように静かで不気味だった。唯一安心できたのは周囲が全て全面ガラス張りの研究室ということであり、先ほどのように急に襲われる心配だけはなかった。

 そのまま深琴くんの後ろ姿を見ながら進む。ある時、淀みなく進んでいた足が止まった。

 何があったのかと背中から顔を出し、ハッと息を飲む。薫くんとあの少女がそこにいた。

「やあやあ、待ちくたびれたぜ。でもまた会えて嬉しくもあるよ」

 あのナイフを持った女王様がいた。あたし達に立ち塞がりケタケタと笑うその後ろには薫くんが佇んでいた。

「お前らに用はないから邪魔しないでくれないか」

 深琴くんはため息まじりに尋ねる。駄目元で訊いたのだと思っていると「別にいいけど」と予想外の答えが帰ってくる。

「ただし、そっちの女。そいつだけだ」

「え、あたし?」 

「わたしが用あんのはそっちの兄さんだけだ。わたしはアンタが何しようと興味がない」

 そう言うと「ほら通りな。わたしは邪魔しないから」と一歩横にズレる。深琴くんに目配せして相談する。顎をクイと動かし、行ってみるように答えられる。

 恐る恐る進む。女王様の横を通る。あたしにイチモツがあったら、縮み上がって小指ほどのサイズになったであろう。約束通り、女王様は手を出さなかった。早足で横を通り過ぎ、一安心したところあたしの前に巨大な壁が立ち塞がる。薫くんだった。

「……ここは通せない」

 薫くんがそう言うと後ろの女王様がケタケタと大声をあげて笑い出す。心底可笑しそうにお腹を押さえて、天井を見上げて。

「別に意地悪したわけじゃないよ。彼はこのあとを控える人にアンタを会わせたくないらしい」

 あたしは薫くんの顔を見上げる。その目には今までに見たことがないぐらい真剣な眼差しだった。

「どうしてこんなことすんの?」

「弱い人のため」

「弱い人って……核戦争起こそうとするのが弱い人のためになるわけないじゃん!」

「ならないかもね。でもそれで何か問題あるの?」

「それじゃ弱い人の迷惑にもなるじゃん! 弱い人のためを思うなら強くしないと意味がないよ!」

「……弱い人は強くなりたいんじゃない。理不尽から遠ざかりたいだけなんだ。理不尽を潰すにはより理不尽なことをするしかない。それが僕の正義だ」

 その言葉はきっと本音なのだと直感した。してしまった。あたしからはこれ以上何も言えず、振り返って深琴くんが何か説得してくれないかと目で訴えた。

「その通りだな」

 深琴くんの口からとんでもない言葉が飛び出した。

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