賽の目が零の確率

岩永深琴

 あの騒動から数時間後、俺はエンジン音でいななく鉄馬に跨っていた。後ろに睦月を乗せ、水平線が見える道路を延々と走る。二度と帰ることがないと思っていた地元へ向けてハンドルを握っていた。流れる景色が捨てたと思っていた懐かしい記憶が掘り起こす。中には輝かしい思い出もあるが、ほとんどは砂出しが足りなかったアサリを食べた時のような不快なものばかりだった。

 その気分と反してお天道様は燦々と煌めく。海の波は穏やかで絶好のドライブ日和である。フルフェイスのヘルメットでなければ直に風を浴びれて、より気持ち良いのだろう。だが、それだけはできない。

 もちろん潮風の髪にまとわりつく匂いが好きではない、ということではない。知り合いに見られでもしたら困るのだ。田舎というのは人は少ないくせに、横の繋がりが妙に太く、短い距離でそれぞれ繋がっている。ちょっとしたことが次の日には誰しもに筒抜けということがままあった。

「コンビニに寄ってくれないかい」

 赤信号で止まっていると、後ろから声をかけられる。睦月は「ほらあそこの」と指差して、記憶になかったコンビニを指差した。

「断る」

 にべもなく断る。

「なんでだい?」

「知り合いがいるかもしれないだろ」

「ヘルメットしたまま外で待っててくれてもいいんだよ」

「何買う気だ」

「お花を摘むんだよ」

 それ以上は男の立場では何も言えず、いつの間にかできていたコンビニへとハンドルを切った。田舎特有のだだっ広いコンビニの駐車場にバイクを停めると、睦月はヘルメットを押し付けてコンビニの中へと入っていった。

 手持ち無沙汰になり、自分も後を追って飲み物でも買おうかと考えていると、けたたましい音が近づいてくるのに気づく。これが救急車のサイレンならば何処かで事故でもあったかとぼうっと見届けることもできただろう。だが、その音は昔馴染みといっていいぐらい脳裏に染み込んだ音がだった。それゆえ音のする方を怖くて振り向けなかった。

 その音は近づいてくる。通り過ぎることを期待したが、その音の正体は一つ視界に入り込むやいなや睦月の車体ごと俺を取り囲んだ。それは総勢五十は超えるだろう暴走族の一団だった。今時といってしまえばそれまでだが彼らは前時代的な刺々しくも痛々しい格好は何一つしていない。バイクもノーマルに多少の改造してあるだけのものが多い。そこを取り上げると、昔に比べれば可愛げがあると、全盛期を目の当たりにした人は言うだろう。ただ、時代がいくら流れても彼らの血の気の多さは変わることはない。

「おいアンタ」

 ほら見たことか、と毒づきたくなる。

「なんですか」

 睦月がいないのならば、無視するなり喧嘩を買うなりの選択肢はある。顰蹙を買った直後に睦月が人質に捕らえられるのは、正直マズい。最悪、強行手段で取り返すという手もあるがその最中で睦月が怪我をするのがマズい。別に睦月のことを心配しているわけではない。正直、睦月がどうなろうと知ったこっちゃない。だが睦月が怪我でもして、その背後にある睦月の家がしゃしゃり出てくるがことが気掛かりなのだ。

「ここらへんじゃ見ない顔だな。どこから来た」

 フルフェイスヘルメット、それもスモークシールドなのによくわかるなという足上げ取りがついて出そうになるが飲み込み、違う言葉を吐き出す。

「県外から来ました。この水平線は警察も少なくて走り心地が良いと聞いたので」

「よく知ってるな。ところでそのバイクはどこで手に入れた。そのバイクとナンバーもまったく同じものを知ってんだけど」

 声を掛けてきた男の目つきが一段と鋭くなる。それを合図にしたかのように周囲のチンピラがエンジンを空吹かしして威嚇を始めた。だがもうすで俺の中ではそんなことはどうでもよくなった。このチンピラたちが睦月の知り合いだったことが問題だった。

 逃げよう。

 そう決めた。睦月が帰ってくるまでに逃げよう。幸い、まだ面は割れていない。だが帰ってきた睦月はバラす。ただの知り合いだと言えばいいだけなのに、必ず口にする。面白がって言いふらす。――そうと決まればここを突っ切ろう。

 注意を別に向けるためコンビニの入り口に顔を向ける。それに釣られてチンピラたちも視線をそちらへ移る。そこで回転数を上げ、突っ切ろうとした――そこに睦月が缶コーヒー二つ持って帰ってくるのが見えるまでは。

「おや、どうして君らがここにいるんだい?」

 睦月は小首を傾げ、そう言った。あたかも戸惑っている風にそう言った。

「姫!」

 チンピラたちは睦月を見るなりバイクから慌てて降り立ち、「お疲れ様です!」と直角に頭を下げる。うら若き女性一人に対し、五十以上の男たちが一様にそのような態度を取るのは周りからすれば異様な光景だろう。でも自分からすれば懐かしさと恥ずかしさが込み上げる光景だったりする。

「こら、姫は辞めてほしいって言ったじゃないか。総長だろ?――いや、彼もいるようだし、この場で総長は相応しくないね」

 微小を浮かべる睦月の視線が俺に向かう。釣られてチンピラたちの視線も俺に向かう。そして、小さく「まさかあのお方なのか」と誰かが呟く。それは瞬く間にどよめきとなり、期待が乗った視線へと変わる。

「ほら、その無骨なヘルメット取っちゃいなよ」

 観念して、素顔を露わにする。

 どよめきが歓声へと転じた。

「お前ら、解散したはずだろうが」

 そんな俺の嘆きは誰一人聞いちゃいなかった。

 

 

 

 

 田舎というのは噂の伝達速度が早いという。それは正しい。ただ、正確にはコミュニティが狭いゆえ全体に広がる速度が相対的に見て早いということだ。また、その噂は早い段階でコミュニティの権力者に辿り着く。狭ければ狭いほど早く正確に伝わる。

 要は、俺は今実家に向けて連行されていた。

 あの突発的な集会は人目を大きく引いたのか、それとも元族仲間が実家に連絡したのか、元々睦月が密告済みかはわからないからあのコンビニに実家から足として黒塗りの高級車が運ばれてくる。運転手は世話役だった一回り上の無口な男だった。親しかった人間を寄越すことに実家の嫌らしさを感じる。

「お久しぶりです。どうぞお乗り下さい」

 後部座席の扉を開け、乗ることを促される。

「実家には帰らねえ」

「左様ですか。けれど若様がこの先を通るには実家への報告が最低限必要かと」

「しなかったら?」

「目的地がどこか存じ上げませんが、迂回した方が早いのは確実かと」

「この道を通らないといけないとしたら?」

「報告するか諦めていただくことのどちらかになります」

 睦月にヘルメットを放り、後部座席に掛ける。

「連れて行け」

 それがこのセダンに乗る前にあった経緯だ。誰かがリークしたのか気になるところではあるが、この男に聞いても知らされていないだろうから無駄だろう。もっとも知っていても口を割らない固い男でもあるから聞く気すら起こらなかった。

 二十分ほどすると、車は実家の長屋門をくぐり抜ける。その先にはずらりと並んだ人の道が出来ていた。そのほとんどが見知った顔、それもどこかホッとしたような表情を浮かべていた。だが、その道の終わりに仁王立ちする赤鬼がいた。車から降りるのを躊躇うが、世話役が扉を開き、外へと誘われる。せめてもの反抗でのっさりもったりと車から降りる。そして、あの赤鬼ーークソ親父の眼光を受け止めた。

 クソ親父の前へ歩みを進める。周囲の大人たちはいつしか固唾を呑んで行く末を見守っていた。彼らには気の毒なことをする。到底美談になりえない親子ゲンカを目の前ですることになるのだから。

「漫画家なるとかいって出ていった奴が何しに帰ってきた」

「帰ってきたんじゃねえよ。連れてこられたんだ」

「ならさっさと東京に戻れ」

「俺だってそうしたい。こんな寂れた田舎は肌に合わない。けどすぐにはそうできない事情があんだよ」

「お前が向こうでやってるヒーローとかいうやつか」

 いくらなんでも噂の流れ早すぎだろ、と言いかけるも睦月の顔を思いだす。出処はアイツだろう。違ったらこの世界のせいに違いない。

「知ってんなら話は早い。俺がこの街を通ること目を瞑れ」

 世界がヒーローを中心に回ってるのならこれで黙るだろう。コイツを黙らせることができるのはこの世界になって一番嬉しいことかもしれない。

「そんなこと知るか。さっさと帰れ」

 こんな世界になってもコイツはあくまで頑固親父そのままだった。自分がこの世の中心で、世の中のほとんどは自分に従うべきものとして振る舞う時代錯誤の権化。武家の血筋を拗らせるとこのような大人になるという見本のような人物。

「まあまあ、落ち着いて。我が家からの意向もあってのことだから」

 いつの間にか大勢の大人の中に含まれていた睦月が近づいてくる。

「これはこれはおひいさま、それはいったいどのような意向で?」

 この変わり様に辟易する。いくら小さい頃から知っているとしても可愛がりすぎだろう。姫さまはこの年ではないだろう。

「これが上手く行けば両家のさらなる繁栄があるということさ」

 そう聞くなりクソ親父は「ヘマだけはするなよ」と意見を翻し、去ってしまった。

「行くぞ」と睦月に告げるも「待ちなよ」と行く手を遮られる。

「あの恰幅の良いヒーローから連絡があったんだ。明日には援軍に向かえるかもって。今日は君の家にお泊りだ」

 睦月は通る声で言い放つ。お泊り、を強調して言い聞かせる。大人たちは大きく湧いた。久しぶりに見る母親はハンカチーフで瞼を拭っていた。

「冗談じゃないぞ」

「君のためでもあるのだから、素直に頷いて欲しいんだけど」

 バイクの鍵を睦月に出させ、それを鍵穴に突っ込む。

「もうこの時間だからわかってるだろうけど今日の君の運勢は最悪だよ。動けば動くほど不幸になる」

 エンジンを回してすぐ勢いよく回り始めたそれは情けない音になって動きを止めた。繰り返すも変わらず情けない音を吠えるだけだった。

「動きすらしねえぞ。このポンコツ」

「さすが僕の愛車だ。ご主人様の気持ちをよくわかってる」

「弄ってないよな?」

「弄るのは君だけだよ」

 天を見上げ、誰に向けてもない、誰に向いていても構わない言葉を吐く。

「腹減ったな」

 どうやらその言葉は弧を描き、母親の元へと届いたらしい。腕まくりして厨房へ向かう母親が視界の端からいなくなった。

 

 

 

 

 その夜、未だに残っていた自室で休んでいた。そこで机から大昔に描いた漫画の束を引っ張り出す。自由帳に描いたそれは、今からすればそれはまさに小学生が描いたものだと一目でわかる。線もガタガタでキャラクターは関節があるのかすら疑わしい。話は承と転がないゆえ買い物に行くだけの話や、ファンタジーものを書いたと思えば世界観説明がほとんどのものすらあった。

 失笑する。同時に失笑できるようになれて良かったと安堵する。過去を笑えなくなったら、オシマイだ。そうなったら色々とリセットしなければならなくなる。この家を出たように。

「それにしても最初に書き始めた理由何だったかな……」

 昔から好きだった。多分物心ついた時から好きだったのだと思う。だからこそ、その最初の衝動がわからない。

「よく続いてるな」

 パラパラめくると、だんだんと絵に動きがつき始める。コマ割りも大ゴマを効果的に見せようという工夫がなされているのをが目に見えてわかり始める。

「この辺かな漠然と漫画家を目指し始めたの」

 小学校高学年あたりだと推測する。それから遡って何歳ぐらいから書き始めたのかわ考え始めると、とても落ち着いた声が聞こえた。

「入ってもいいかい?」

「勝手にしろ」

 そう応えると睦月は引き戸から寝間着姿で現れる。アヤメ柄のそれは俺の家に泊まる時のために置きっぱなしにしているものだった。その寝間着は睦月のお気に入りでもあり、なんでもアヤメの花言葉が好きだそうだ。

「昔書いたものだね」

「ああ。そうだ、お前は俺がいつから漫画書いてるか覚えてるか?」

「覚えてるよ。それがどうかしたかい?」

「いつだった?」

 睦月は手を伸ばし、漫画が書かれた自由帳を渡すように示す。受け取った自由帳をパラパラと捲る。最後までめくり終えると俺に自由帳を返しながら「最初に書き始めたのはこれよりもっと昔だね」と言われる。

「いつなんだ」と訊けば「教えない」と微笑を浮かべられる。そして睦月はこう言った。

「君のファン第一号のことを思い出してくれたら、自ずとわかるよ」



 夜が明け、研究所へ向かう時刻となった。準備をほどほどに睦月に向かうことを告げ、バイクの鍵を借りようと思ったが渡されたのは睦月のワルキューレではない鍵だった。

「実家にいるのだから、君の相棒を連れていきなよ。安心して、メンテなら君の世話役だった彼があれから欠かしてないから」

 睦月は俺の手を引き、倉庫へ連れて行く。そこには解散以降触れることすらしなかった愛車が眠っていた。つや消しされた漆黒のフルカウルボディのそれは日を吸収し、一際黒く見えた。それはまるで全てを受け止めてくれる優しさのようだった。愛車に跨り、エンジンを回すと車体が息を吹き返す。訛っていた身体を震わせるように、座席から振動が伝わってくる。

「アイツらはいつ頃到着するんだ?」

「彼らは今足止めを喰らっているらしい」

「足止め?」

「そういわゆる悪の怪人ってやつにね」

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