新崎薫

「どういうこと?」

 ジャックに詰め寄る。あの放送はどういうことだと。ジャックは肩を竦め、まあまあと両手の平を向ける。「メインキャストの一人に言われちゃしょうがないね」とクルクル回ってから壁に背中を預ける。壁といってもそれは身の丈の一回り大きいガラス。そうそう割れないような厚さはしているものの、よく見れば細かい傷が至るところについており体重を預けるには心許ない。

「わたしが進言したのさ、ボスに」

 ジャックがボスと言った男の姿を思い出す。あのリムジンに乗っていた、皺深い男性のことだ。リムジンを悠々と動かせるからなのか、有名ブランドのスーツに見を包んでいた。不格好さも、嫌味っぽさも感じないことから相当に上の立場に慣れていることを感じさせる男だった。

「どうしてそんな意味のないことを」

 そんなことをする意味がない。あの装置があるのだから、そんな面倒なことをしなくても一般市民は自由に操れる。僕らみたいな例外もいるが、わざわざヘイトを集めるような真似をする意味もわからない。

「意味なんてないさ」とケタケタ笑う。「煽っただけだよ、あの男に悔しかったらきてみなよってさ」

 あの男――芽衣が連れてきた顔ぶれの中にあの顔はあった。

「ボスの知り合いらしいけど、そんなの関係ないね。あの男はわたしの獲物だ。次はもっと楽しく遊ぶさ」

「それだけ?」

「言ってる意味がわからないなぁ」

「他意はないかって聞いてる」

 ジャックの唇が歪む。

「人のためとかが先に来るような殊勝な奴ならここにはいないさ」

 肩を叩かれ耳元で囁かれる。「好きな子の心配するのはわかるけど、わたしの邪魔はしないでね?」

 去っていくジャックに背を向ける。芽衣に会いに歩き始める。ガラス張りの研究室が並ぶ廊下を歩き、ガラス張りではない扉に手をかける。ドアノブを回し、部屋に入るとワークチェアに一人座った芽衣がいた。縛られもせず、湯気が立っている湯のみを両手で支えていた。

「元気?」

「元気……なのかな? ずっとここにいるから気は滅入るけどね」

「……ごめん。でも必要なことなんだ」

「理由は聞いたから――仕方ないわ。でも連れて来る前に一言欲しかったかな」

 扉が開き、そこから新しく加わった仲間が現れた。情報屋だったおさげの中学生だ。彼女は僕とジャックが芽衣を連れ帰ろうとリムジンに乗せる前にすでに乗り込んでいた。ジャックはすでに既知の仲だったらしく、気安く片手を挙げて挨拶を交わしていた。

「どうしてここに?」と尋ねると「彼女のファンだから」と返ってきた。芽衣が両手で口を押さえ、驚きを抑えていた。「どうしてここに?」と僕と同じことを尋ねる。おさげの子は「貴女の身の安全のためです」と答えた。

「知り合いなの?」

「顧客」

 おさげの子は答えたものの僕には目をくれず、うっとりと芽衣を見つめていた。

「私を――裏切ったの?」

 芽衣は問うた。その瞳孔は吸い込まれそうなほど黒く、瞬き一つしないそれに怖気を感じた。

「いえいえいえそんなことするわけありません、大ファンです。おっかけレベルで大好きです。だからこれは芽衣さんの安全のためです。それに芽衣さんも納得されるだけの理由がありました」

「そうね。わかるわ。だから手引したのかどうか聞いてるの」

「……手引はしました」

 芽衣は微笑む。大きく見開いた瞳は細くなり、あの怖気はいつの間にか陽光のような温かみへと変貌していた。おさげの両手を取り、包む。

「ありがとう、感謝するわ」

 慈母の如く語りかける。おさげは目に涙を浮かべ、膝をつき頭を垂れる。それは王に忠誠を誓う騎士のようだった。おさげは芽衣のために働くと宣言すると急ぎ足で部屋を出て行った。二人残った部屋で芽衣は舌を出して笑う。その姿は歳相応の可愛らしい仕草だった。その変わり様に違和感の一つも感じなかったことに唖然とした。

 ただ顔が良いだけで囃し立てられた僕と違う裏付けされた実力がそこにはあった。

「こういう時女優やってて良かったと思えるわ」

 だが、そう朗らかに歯を出した彼女はやはり僕の知っている芽衣だった。

「でもそういうのも嫌いじゃないよ」

「嘘つきが好きなんて物好きだわ」

「嘘も方便だって言うじゃないか」

 それから「それじゃ元気そうなところも見たし、行くよ」と僕は告げる。すぐに出せるように手はずを整えると扉を閉める間際に伝えると、「正直者なことは知ってるから期待してる」と返された。

 嘘つきの芽衣が僕のことを正直者だと言った。これはどちらの意味合いで捉えればいいのか、僕にはわからずガラス張りの壁を無意味に指で弾いた。そこには僕が映り込んでいた。

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