野崎千恵

 いやあ、警察署なんて堅苦しいだけのところかと思ったけれど思ったよりも良いところじゃないか。麗しい女性警官がいっぱい、いっぱいだ! 陸上競技の余計なものを削ぎ落した肉体も素敵だけれども、制服を纏って職務に従事する様はそれはそれで魅力的だ。甲乙つけがたい魅力がそれぞれあるが、見慣れた感のあるものよりは制服姿が新鮮味があってよりよい。いつか年老いた時、ユニフォーム姿の方がよく見える日が来るのだろうか。そうだ、きっと全てを愛せる日が来る。現代の博愛主義者に私はなる。きっと多方面から怒られる日も遠くない。

 だがそんな未来のことより今が大切だ。右方向にはスレンダー系の婦警、左方向には初々しさの残るかわいい系の新人婦警。――そして、目の前にはガチムチ系男性がいた。

「やあ、再び会えたね」

「変質者が現れた!」そんなナレーションが頭の中に流れた。ゲームならば戦うコマンドなり出るのだろうが、あまりのことで選択の一つさえも表示されなかった。

「捜したよ。まさか別の用事で来たここで会うとは思えなかったけどね」

 大胆不敵に変質者は近づいてくる。その大柄な身長故の大股で、やけに早かった。そこでようやく飛び退くことができ、スレンダー系婦警に助けを求めた。何故スレンダーを選んだかというと、スレンダー系の方が好みだったからだ。それ以上の理由など存在しない。

「あの人変質者です!」と婦警の柑橘系の芳しい香りを吸い込みながら背後に隠れた。隠れたところでその婦警さんの足元に先客がいたことに気がつく。迷子なのだろう、急ぎだから今だけはちょいと貸してもらおう。婦警はあたしと変質者を交互に見遣る。片腕であたしの肩を抱き、迷子には足に抱きつくようにお願いしてから、もう片方の手で変質者を呼び寄せる。ホイホイとやってきた変質者に招いた手で思いっきりの良い手刀を振り下ろした。

 変質者は額でそのまま受け止める。痛がりもせずにえらくいい笑顔を浮かべた。

「うん、また腕を上げたようだね」

「今度は何やらかした。また怪人が現れたからって、ショートカットするために女子更衣室入ったりしてないだろうな」

「今日はしていない!」

 この人モノホンの変質者だ。

「捕まえちゃってください」と提案する。「たしかに一度痛い目見た方がいいな」と婦警は応じてくれた。婦警が手錠を取り出したのを目にし、変質者は焦りだしポケットから何かを取り出しあたしらに差し出した。あたしの携帯だった。

「落としただろう? これを渡したかったんだ。別件で渡しそびれてしまっていたんだ」

 たいそうなガタイの割に至極丁寧な口調だった。目の前の婦警がそれほど恐ろしいと見える。恐る恐る婦警よりも前に出て受け取る。受け取った瞬間、再び婦警の後ろにサッと隠れる。小学生のタッチバリアとかいう遊びレベルの素早さで。

「……ありがとうございます」

 あたしの言葉に変質者は気を良くしたのかニッと笑う。

「うん、どういたしましてだ。その御礼というわけではないのだけれど、その子とはどうやって知り合ったのか教えてはくれないか?」

 変質者が指さした先には迷子がいた。よくよく見ると、今朝のあの可愛い子ちゃんだった。

「あり? どうしてここに?」

 可愛い子ちゃんはとっくにあたしのことに気づいていたらしく凝視されていた。

「その子は君の友人である女優さんとここに連れてきたんだ。ちなみに別件というのもこの子関係でね」

 訊いてもいないのにそんなことを言われる。女優の知り合いは一人しかいないから、芽衣ちゃんなのだろう。どうして一緒にいたのかわからないけれど、一緒にいたのなら信用してもいいような気がする。

 おずおずと婦警さんの影から身を乗り出す。

「ええと、可愛い子ちゃんと一緒にいた理由だっけ? んー朝から一人で凍えてたから声かけただけだしなー。しいていうなら、可愛かったから?」

「ふむ、保護しようとしてくれたのだね。ありがとう」

 おお、えらく好意的に解釈してくれた。格好の割に良い人だ。

「ところで芽衣ちゃんはどこですかい。一緒にいたんだよね?」

「ああ、芽衣くんなら今は一緒ではないよ。我々はやることがあったから、その子を、そこの婦警さんに保護してもらっていたんだ」

 我々とは誰のことだろう。この変質者の他にも、変質者仲間がいるのだろうか。芽衣ちゃんはウブいから変質者ではないとして、少なくとも一人は仲間がいるということだ。あたしはサササと再び婦警さんの影に戻った。その影で芽衣ちゃんのことを考える。あれだけお熱を上げていた彼の家から自ら出て行ったとなると、この子のことが相当切羽詰まっていたのだろうか。現に今警察署にいるわけだし。――あれ、睦月ちゃん今一人ぼっち?

 睦月ちゃんはどこにいるのだろう。可愛い子ちゃんがここにいるということは送り届けたというのは間違いないはず。そうなると、そのあとはあたしのことを迎えに来たはずだ。けれどあたしがここにいるということは待ちぼうけているのではなかろうか。

 さすがにそれはないか、と嘆息を吐く。深琴くんの電話で話した時だって、そんな雰囲気微塵もなかった。いやまあ、悪いとは思うけど謝り倒す必要もなさそうで安心する。まあ、睦月ちゃんのことはまた会った時に謝り倒そう。とりあえず芽衣ちゃんと合流しよう。携帯を手元に戻ったことだし、深琴くん待っている間暇だし、芽衣ちゃんにも喜んで欲しいし。

「ではあてくしはそろそろおいとまさせていただきます」

 そう言ってあたしはその場から離れた。去り際、可愛い子ちゃんが手を振ってくれた。頬ずりしたくなった。臥薪嘗胆の思いで振り切った。友情を取ったあたしは褒められるべきだ。ちなみに変質者も「再び会う日まで」と言っていたが、可愛い子ちゃんに見とれて見ていなかったことにした。

 返してもらった携帯で芽衣ちゃんに電話をかける。けどなかなか出てもらえない。

「急な仕事でも入ったかね」

 待ち受け画面に戻った携帯を見ながら歩いていると、警察官が警察官に取り押さえられている珍しい場面に遭遇する。汚職の現場でも取り押さえられたのかとその光景を眺めていると、そのさらに向こう側では警察官や一般市民やらが押し合いもつれ合っていた。海外で見るような過激的なデモでもなかなか無いような拮抗振りだった。汚職がバレた警察官の身内がどうにかしてほしいと泣きついた結果だろうか。まあ、あそこに芽衣ちゃんはいないだろうからスルーしますけど。あそこに美女がほぐれもつれていたら混ざっていたのに。

 そんな風に心の中でため息を付きながら歩みを続けて外に出ると、やけにパンクロックな格好の可愛い子ちゃん二号が多くの男性陣どもになにやら大きな声で指示を出していた。やけに艷っぽいその声に従う男どもは軍隊よろしく勢い良い敬礼し、指示に喜んで従っていた。女王樣の命令に従う男どもの中心に、数人がかりで担がれている女性の姿があった。芽衣ちゃんと未亡人だった。両手両足を縛られ、テープを口に貼られていた。

「撮影?」

 頭がついていかず、そんな素っ頓狂なことが口からついて出る。そんなわけがないと首を振る。

 あたしはそいつらの前へ飛び出る。

「こら! その人らを放しなさい!」

 飛び出て、あたしはあたしが冷静ではなかったことに気がついた。目の前には十数人の男ども。対してあたしはひとりきり。あたしも捕まるな、靄が晴れたように冴えた頭がその答えを導き出すまで三秒とかからなかった。

 女王樣が顎であたしを捕まえるように指示を出す。手下どもがあたしにわらわらと近づき、手を伸ばす。走れば余裕で逃げれる。それはできなかった。芽衣ちゃんを置いて逃げるなんてできなかった。

 拳を作る。

 あたしは思いっきりそれを突き出した。不格好だが決死の覚悟で突き出した。目をつぶってしまうぐらい力を込めて。それはすぐにやけに堅い肉の感覚で返ってきた。恐る恐る瞼を開くと、拳はあの変質者の背中に重なっていた。変質者があたしを守るように手下の前に立ちふさがっていたのだ。

「私が来たからには好きにはさせん!」

 その声は大気を震わせる獅子の咆哮のようだった。誰もがその迫力に息を飲んだ。その一挙手一投足に視線が集まり、誰もが動けずにいた。一瞬のことだった。その中で一つ、突っ込んでくる影が見えた。その手には黒刃のナイフが握りしめられていた。

「危ない!」

 その一瞬を捉えることができたあたしでも声を出すのが精一杯だった。

 その黒刃は変質者――オジさんの喉元で止まっていた。黒刃の持ち主の腕を掴み、その進みを止めていた。黒刃を持つのはあの女王樣。止められてもなお歩みを進めようと、黒刃を喉元に突き刺さんとしていた。

「三下は引っ込んでなさい。もしくはさっさと死んで退場するんだね」

 不意に女王樣が言葉を吐いた。

「それは聞けない話だ。たとえ私が取るに足らない人物だろうとしてもここで見逃すのなら私は私じゃなくなる」

「ああ、そうかい。ならさっさと死んじまいな!」

 女王樣がナイフを押す手を突如下に引いた。その腕を掴んでいたオジさんは動きに抗えず、前のめりに体制を崩す。大き過ぎる隙を見逃さず女王樣はオジさんの顔面に膝を叩き込んだ。大きな音が鳴る。いくら大男でも膝を喰らっては倒れてしまう――そう思った私の目に映ったのは膝を両手で顔面スレスレのところを止めていたところだった。

 あまりのことにあたしは良かったと思うよりも先に唖然が来た。女王樣もまさか止められるとは思わなかったらしく、膝を上げたまま目をぱちくりさせていた。ただ、ハッとするのもあたしより早く、フリーになった手でナイフを逆手に持ち替え振り下ろす。オジさんはまるで見えていたかのように飛び退き、それをかわした。

「おっさん、三下じゃないねえ。何者?」

「尋ねられたからには答えよう! 私はマイティマンという者だ!」

 ヒーローだったんだと、あの変質的な格好はユニフォームだったんだと勘違いがほどけていると、気付いた時には女王樣の雰囲気が一際怖くなっていた。

「……名前持ち」

 舌打ちし、続ける。

「お前らさっさと彼女を連れて行きなさい! こっちは押さえる!」

 女王様の言葉に手下どもは従い、芽衣ちゃんを再び運び始める。オジさんが追おうとするも女王様が前に立ちはだかりそれを防ぐ。

「おい、この七面倒臭そうな状況はなんだ」

 不意に声をかけられる。みこっちゃんだった。

「芽衣ちゃんと未亡人さんを助けてあげて!」

 考えるより先に言葉が出た。彼はヒーローだから、きっとなんとかしてくれる。そう直感してのことだと口にしてから気付いた。彼は「だからなんだってんだよ」と面倒臭そうに頭を掻きながら女王様とオジさんのこと見る。「どこだ?」とおもむろに訊いてくる。あたしは手下たちが連れ去ろうとしてるところを指差し、「あそこ!」と叫んだ。

 みこっちゃんはあたしが指さしたところへ駆け出す。大きな歩幅で追い、みるみるうちに近づいていく。手近な人から携帯を奪い、思い切り投げる。未亡人を担いでいた人に当たり、未亡人が床に落ちる。未亡人は魔の手から逃れた瞬間、慌ててその場から逃げ出した。

 追い続けたみこっちゃんのその手が手下どもへ届こうかというところ、みこっちゃんは突然動きを止める。そう思うやいなやみこっちゃんの目と鼻の先をナイフが通り過ぎていった。勢いそのまま壁に突き刺さる。

 みこっちゃんはナイフが飛んできた先に注意を向ける。あたしも続けてそちらを見る。

 女王様が駆け抜けてくる。その手にはハサミを持って。ハサミをみこっちゃんの顔目掛けて突き出す。思わず目をつむってしまう。けれど、可愛らしい「キャッ」という声にすぐに目を見開いた。

 女王様が転ばされていた。ハサミを逸した上で転ばせたのかリノリウムの床をスライディングしていた。女王様はすぐに起き上がり、みこっちゃんに向かってハサミを突き出した。みこっちゃんは焦る様子一つ見せないで、それを逸し、受け流す。フェンシングのように何度も繰り返し突き出すも、全て防ぎきっていた。

「すご」思わずアホっぽい声が漏れた。まるでそれは予め決められた動きを二人で流れに沿って動いているかのような、滑らかで美しい所作だった。最初に感じたあの不安はもはやなく、見惚れてすらいた。

 そして、その時はやってきた。突き出した腕の裏取りするように半身で躱す。手刀でハサミを叩き落とすと、その腕を取り、さらに脇で巻き込んで体重をかける。拘束術――いわゆる腕固めの一種だった。そのまま床にまで押し付けて身動きを取れなくしてしまおうといういうところ、女王様は腕を軸に前宙した。。あたしの目からしたら、腕固めは極まっていた。無理に動けば、肩関節が外れてしまうのは素人目にもわかる。実際に技をかけられているのならば体感として理解できたはずだ。

 それでも女王様は飛んだ。一種、苦痛が顔に出るのが見えた。その表情が続くことはなかった。深琴くんは技を解いていたからだ。着地した女王様は深琴くんとの距離を跳ねるようにして取った。

「いやあ、いいねいいね。やっぱり正義の味方ってのは良い人じゃないとね。君が良い人で実に助かった。でもこれはちょーっと良い人というよりはお人好しが過ぎるねえ」

 自由になった腕をぐるぐると回し、ニタニタとした笑みを貼り付ける。

「さて、そろそろいいかな。おーい、アジトに帰るよ!」

 女王様は声を張り上げて誰かを呼ぶ。呼んだ先はオジさんがいた方角だった。――そうだ見とれている場合じゃなかった。あのオジさんは止めると言った。なのに女王様は現れた。なにかあったはずなんだ。

 オジさんのいた場所には二人いた。一人はオジさん。もう一人はカオルンだった。見間違いかとも思ったがあの美貌は間違いなく新崎薫、彼のものだった。けれど、アレが本当にあたしの知っている新崎薫とは思えなかった。

 倒れるオジさんの頭を新崎薫は踏んでいた。やる気というものをどこかに置いてきてしまったかのような男が、押せば折れてしまいそうな体躯が意識をなくしたオジさんの頭を踏みつぶしていた。

 新崎薫は女王様の呼びかけに答え、女王様のもとへ歩き出す。

「……ちょっとカオルン待って。どういうこと?」

 新崎薫はあたしを見る。けど見ただけあたしの問いかけに答えようともせず、歩みを止めることもしなかった。深琴くんの前も通り過ぎる。深琴くんはそれを止めようともしない。二人の目があったような気がしたけど、言葉を交わすことはなかった。そして女王様とともにその場をあとにする。それは実に悠々としたものだった。

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