中居芽衣
「それではこの子のことをお願いします」
私は亜美ちゃんの背中をポンと押してやり、婦警さんに引き渡した。亜美ちゃんは婦警さんの手を取ったものの婦警さんに不安げな表情を私に向けてくる。ああ、そんな目で見られたら別れたくなくなってしまう。ああ、この可愛らしさの塊を抱きしめたい。
「おねえちゃんにお別れ言おう?」
婦警さんにそう諭された亜美ちゃんは小さな手を左右に振る。
穏やかな心で振り返す。今の私なら聖母役ですら演じ切ってみせる。悟り系女子だ。仏教とキリスト教がごっちゃになっているけど、八百万の神々がいる日本だから笑って見過ごしてくれるだろう。
亜美ちゃんは婦警さんに連れられていった。何度も振り返って手を振ってくれた。その度に振り返した。あまりにも可愛くて姿が見えなくなるまでその場で見送った。それがいけなかった。
気がつけば私の周りには人だかりができていた。熱をもった視線やヒソヒソと話す声が私を中心にして広がっていた。マイティマンさんや探偵さんは知り合いに話を通してくるからと別行動しているため、私一人だ。どうやって切り抜けよう。
「あのっ!」
ファンの一人が話しかけてきた。これはいけない、そう思ったがそれを皮切りにファンが一斉に押し寄せてきた。もみくちゃにされ、もうどうしようもないと流れに身を任せようかなと早々に諦めたところ誰かが私の腕を掴んだ。このもみくちゃの中だから誰かが咄嗟に掴んだのだろう。掴んだ誰かが私を引っ張った。
人波から離れたところでようやく私の手を引っ張った人の顔が見れた。あの中から私を引っ張りだしたとは思えない華奢な女の子だった。高めのツインテールをして、ネコのように大きな目をしたパンクな子だった。
「いやあ、お姉さん災難だったねぇ」
その子はケラケラと笑った。どこかで聞いたことがあるような艶のある声だった。いい声だからきっと歌も上手いと思う。見た目もパンクっぽいからミュージシャンに違いない。でもテレビで見たことがないから、インディーズの人なのだろうか。
「ありがとう。一人じゃ抜け出せなかったわ」
「あの中居さんなら助けずにはいられませんよぉ」
「ファンの子?」
その子はそう尋ねるとおかしそうに笑みをこぼす。
「はい、そうです。新作のあの映画見ました。とっても面白かったです」
耳の裏がカーっと暑くなる。新作の映画というとあのレオタードのような恥ずかしい格好を見られたというわけか。もうすでにコマーシャルやらポスターであの格好を全国の人々に見られているけれど、こう面と向かって言われるとことさら恥ずかしい。
「見てくれたんだ。ありがとう」
「いいえ、良い物はちゃんと見ないといけませんから。――ところであの演じた役、正義と悪の狭間で揺れてましたよね。中居さんは正義ってどういうものだと思いますかぁ?」
私が演じた役はいわゆる悪の女帝だった。リアルな心理描写に特化した特撮をコンセプトにしたその映画の中で私は自身の正義のために世の中の正義と戦った。親しき者が己の理想のために怪人として死んでいく。彼女は最後に正義を成し遂げたが彼女自身も死に、間違った正義という認識はあるものの世界は何も変わることのないまま続く。そんな内容だ。
あの役を演じて私は何を感じただろう。
どんなに世間から疎んじられようとも自分の正しさを信じて、ついて来てくれる部下のためにも頑張った。彼女のことは格好良いと思った。けれどなりたいと思わなかった。どうしてだろう。――きっと自分とかけ離れて過ぎているんだと思う。
私は私自身の力不足をよく感じている。人を演じれば演じるほど、自分に足りないものがあることを実感させられる。もっともその足りないものがあっても、生来の性格――自分というものにあまり執着がないことのせいで彼女らにはなれないと思う。
彼女らは自分というものがある。良くも悪くもそれが羨ましかった。
「そうね」と口にして続ける。
「ごめんね、私にはよくわからないわ。けど自分が間違ってないと信じられるものがあるってことがいずれ正義に繋がるのだと思うわ」
その子は目を丸くする。
「さすが私らとおんなじ発信源だけあるわぁ。自分が世界の中心みたいな考え方してる。あのダークヒーロー、新崎薫とは生き方のベクトルは正反対みたいだけど」
薫くんと口にした子にどういうことか聞こうとした瞬間、首筋に冷たいものを突きつけられていた。
「色々聞きたいことあると思うけどさぁ、とりあえずついて来てくれる? ついて来てくれたらなんでも答えるよ。だってお姫様の言うことだもんね」
ケラケラと笑いながら当て身を一つ。
そこで私の意識は途絶えた。
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