賽は投げられた
岩永深琴
「いやあ、実に似合ってんね。写メ取っていい?」
乙女は尋ねるなり、答えを待たずに写メを連写した。そのレンズは濃紺のブルゾン型の上衣に桜田門の証が眩しい活動帽を被った俺を捉えていた。ここは警察庁のとある一室。周囲から人払いした部屋の中で俺は慣れない格好に堅苦しさを感じていた。
「撮るなよ」
レンズを手の平で覆う。乙女は体を曲げてそれから逃げる。パシャパシャと続け様にフラッシュを焚かれた。乙女はそのまま手早く指を動かし、おもむろに画面を見せてきた。眉間にシワを寄せて不機嫌を隠そうともしない男がそこにいた。
「消せ」
「嫌だね。これは芽衣ちゃんと睦月ちゃんに見せて弄ってもらうんだ」
「付き合ってやってんだろ」
「残念。付き合わせてるんです」
ため息をひとつ。
「勝手にしろ。ただ邪魔はすんなよ」
「うん。任せる。あたしはその辺をあのおばさんと一緒にぶらついてるよ」
「いや、あのおばさんは今、俺らと会えねえぞ」
乙女は「どゆこと?」と小首をひねる。俺はその隙に携帯を奪い返す。「ああ!」と乙女が乙女に似つかわしくない声をあげた。元々脳内桃色由来だから乙女というのも似つかわしくないのはご愛嬌。撮られた写真を全部消去する。「ぬああ」と悲しみの雄叫びをあげる乙女を尻目に「いわゆる保護ってやつだ。得体の知れない組織に命を狙われてるんだ。保護されてしかるべきだろ」とご教授してやった。
「なら仕方ないねー。それでこれからどうするの?」
「まったくなにも考えてない」
「ちょ、本当にそれ大丈夫?」
乙女に怪訝そうに見られる。手伝う気がないのなら脅すぞとでも言いたげだった。
「なんとでもなる。ヒーローを信じろ」
俺が動けばその先で事件が起こる。動かなければ事件の方がやってくる。そういうにできている。いや、そういう風に変わった。ヒーローは推理小説の探偵なのだ。事件がなければ光らないそれを光らせるために、事件は起きるし、やってくる。マンネリになってくると怪盗だって現れる。そんな世界になってしまった。
「なんとでもなるんだ。賭けてもいい」と告げる。乙女は怪訝そうな顔のままだが、不承不承といった風に「じゃあ期待はしておくかんね」と親指を立てた。それから乙女は扉へ向かい、こちらをちらりと見る。「では良い報告を待っているよ、チミ」と言い残し、部屋から立ち去った。
軽く肩を回し、制服を馴染ませる。高校を卒業して以来、楽な格好ばかりしていたツケかことさら違和感が増した。その違和感に折り合いという名の諦めを覚え、自分も部屋を後にした。
事件がやってくるまでどこで時間を潰そうか。そんなことを考えていると、突然、ポケットに突っ込んだ手を引かれた。手を掴んだのは若い婦警だった。息切れを起こしながら「警視!」と刺々しく言われた。一週間前までは人と話すことすら珍しかったというのに、どうしてここ数日は女性と関わる機会が多いんだ。それも厄介な態度の奴ばかり。これもこの妙な世界観になったせいなのだろうか。
「警視、このあとの授賞式に出るんでしょう? こんなところで何をしているのですか」
「いや、人違いです」
「嘘付かない! ほらさっさと来る」
そのまま俺は抗えないまま引っ張られていった。事件は来るものでも起こるものでもなく、自分のところへ連れて行くのだと気づいたら、抗う気もなくなったが。辿り着いたのは受賞会場だった。大規模とはいえないまでも、それなりの形としては成りて立っていた。どのような内容で受賞されるのか気になりはしたが、確認する暇なく妙齢の男たちの前へ突き出される。
「連れてきました!」と息巻いた女性警官だったが、対面の男らは苦い顔を見合わせていた。
「彼はどちら様だい」
「え、いやだから受賞者の人ですよね?」
「人違いだ」
婦警は「もう一度探してきます!」と慌てて飛んでいった。俺をその場に残して。
対面の男らと目が合った。どちらかともなく愛想笑いや苦笑いが漏れ始める。それじゃあ、と席を外そうとする。だが先んじて「君はどこの課かね」と尋ねられてしまう。下手なことを言ってバレてしまっては面倒だ。バレてしまってもどうにでもなってしまいそうな気もするが、バレてしまうよりは面倒がないだけマシだろう。
男らの前で肩を小さくし、口元に人差し指を当てる。
「ちょっといまはこれなんです」
公安だということを仄めかした言い方のつもりだが、署内で通じるのかは正直疑問ではあった。だがそんな不安を他所に目の前の男どもは、なら仕方がないとばかりに頷いてみせた。「わかった。大きな声では言えんが頑張ってくれ」と激励の言葉を貰い、ようやくその場を後にする。
あの男らから少し離れたところで暇を持て余していると、先ほどの婦警が戻ってくるのが見えた。誰も連れてきていなかったところから、見つからなかったことが伺えた。男らはなにやら婦警に向かってまくし立てると、遠くを指差した。婦警はすぐにまたどこかへ走って向かった。
男らはおもむろに移動を始める。俺の傍らを通るような道取りだった。軽く会釈をして、通り過ぎるのを待った。その際、話し声が耳に入った。普段は聞き耳を立てるような真似はしないのだが、すんなりとその言葉は耳に届いた。まるで届けさせるような声だった。
「まったく捜しても見つかるわけがないのにな」
「まあ体面上は探させないといけないわけですし」
そんな会話だった。ため息が出る。いくらなんでもご都合主義的過ぎるだろう。二人を重い足取りで追いかけ、「おい、知っていること全て話してもらおうか」とどこぞの三下よろしくな台詞を述べてみた。そこから先は筆舌に尽くしたくはない戦いが繰り広げられた。「なんだキミは!」から始まったそれはなんだかんだ相手が勝手に自滅して、逆ギレヒーローとしての力を振るったりしてひとまず収束した。
「――結局、お前らの組織の最終的な目的はなんなんだ?」
二人に問いかける。二人の周りには助けに読んだ仲間が大量に倒れていた。青ざめた顔で片割れが答えた。
「世界征服です」
またえらい悪役めいたことを言い始めた。「どうやって?」と意地悪してみた。「核戦争を起こすつもりです」ととんでもないことが飛び出した。世界中の様々な組織に入り込んでいるという設定なのだからできないことはないのだろう。この世界観では。
聞くことは聞き終えたので二人の顎を軽くはたいた。すると、二人は事切れてしまったかの如く、突っ伏してしまう。気絶させるつもりではたいたことは否定しない。だが、幼稚園児でも泣かないような優しさ溢れたビンタだった。撫で撫でビンタと呼ばれても仕方のないものを放ったのにも関わらずにだ。
報告するために長官室へ戻ろうとすると、向かいから俺を間違って連行した婦警がこちらへ向かってくることに気付いた。すれ違って、少しすると何も知らない婦警の悲鳴が庁内に響き渡った。
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