中居芽衣

 チーンという音がなり、エレベーターは止まる。電子案内板は三〇階を指していた。エレベーターから降りると、川崎市一帯が眼下に広がっていた。

「いい景色ね」

 ビル群やマンション群が目につくが、その隙間に青空が見えたり、見下ろせば市民が活気の声をあげている。距離にして数キロぐらいはある深琴くんのマンションも見えた。そういえばもう帰ってきたのかななどと思ったりした。

「うむ、平和そうで何よりだ。君もそう思わないか」

 マイティマンさんが亜美ちゃんに話を振る。

「……見えない」

 不満気に亜美ちゃんは呟く。マイティマンは豪快に笑いながら亜美ちゃんを両手で脇から抱え上げた。

「済まないな! これで見えるだろう」

 抱え上げられた亜美ちゃんは小さく声を上げた。

「ええい、うるさい!」

 近くの扉から小さな影が飛び出した。

「こちとら昨日は徹夜だったんだ。静かにせんかい!」

 声をあげたのは中学生ぐらいのおさげの少女だった。セーラー服のその子はマイティマンを見ると「また、アンタか」と溜息を漏らす。その次に私を一瞥すると「ああああああああああ!」と悲鳴に似た声をあげて、指を差された。慌ただしい子だなぁというのが第一印象だった。

「やあ、情報を貰いに来たよ」

「どうせ金出さないだろうから貰う云々は置いておく。そんなことよりこちらのお方はどうしてここにおられるのですか」

 両の手の平を見せて、向けられた。

「私が依頼人だからよ」と代わりに答えると、二度三度その場でくるくる回ってから事務所へと案内される。事務所はマンションの一室ということでやけに広いことを除けば普通の高級マンションだった。深琴くんの家も近いこともあって、引っ越ししたい気持ちが芽生える。深琴くんと睦月ちゃんも呼ぶことになるのなら今よりも広いほうが良いに決まっている。けれど、今日泊まった深琴くんの部屋も、洒落にならない程度に狭かったがアレはアレで乙なものであった。けっして野崎ちゃん的意味合いはないはずである。

「それでご依頼とは? 中居様のお願いでしたらタダでなんでも引き受けますけれども」

 目をキラキラさせながらそう言われた。ファンの子にものを頼むのは気が引けるものの、四の五の言ってられない状況なので亜美ちゃんを前に出す。

「この子がある組織に追われているの。この子を追ってる組織がなんなのかが知りたいのだけれど、可能かしら?」

「任せてください。それぐらいチョチョイのチョイですよ」

 情報屋さんは隣の部屋からノートパソコンを持ってくると、スリープ状態を解除し操作を始める。指は忙しなく動いていた。私は何をしているかが分からずただ見ているだけだった。三分もすると「お待たせしました」と隠し切れない笑顔で報告された。

「ええと、その子はとある高名な研究者の娘さんですね。研究内容は脳科学ですね。数年前の学会での研究発表は集団的無意識と脳の幻覚について。よくわからんけれど、えらく小難しそうな研究ですね。最近では学会発表こそないものの、とある企業と提携して研究を継続しているみたいです。その企業―春川コーポレーションが件の組織と見て間違いなさそうですね。追われている内容まではまだわかりませんけれど、研究資料を持ち逃げしたとかではないでしょうか」

 たった三分でそこまでわかってしまうことに私はとても感心した。彼女はスーパーハッカーとかいうやつなのだろうか。きっと私には見えていないものが見えているに違いない。さっきの操作画面だって、至って普通のデスクトップ画面上でメモ帳アプリに規則性のない文字の羅列を打ち込んでいただけのように見えたのに。

「ありがとう! これでこの子をその組織から守ってもらえるわ!」

 彼女の手を取ってお礼すると、サインもいいですかと震えた声で頼まれた。快諾してサインを書いて渡す際、一言「これはサービスです」と目を伏せながら口にされた。

「お友達の新崎薫さん、今話題のダークヒーローです。その点だけは気をつけてください」

 その言葉を飲み込むことに、私には時間が必要だった。

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