中居芽衣

「もう大丈夫だから安心していいわ」

 ぬくもりが少女の肌から伝わる。抱きしめた少女はされるがまま抱きしめられていた。少女の事情は睦月ちゃんから聞いていた。世界観が変わり、大変な目に遭っていた少女だということを。

 私も襲われかけていたところを深琴くんに助けられた。困っていたところをサラリと助けてくれた私のヒーローだ。けれどこの子にはまだヒーローは現れていない。代わりに――なれるとは思えないけれど、誰も手を差し伸べることすらしないよりはきっといい。一人ぼっちじゃ、あの怖さには耐えられないから。

 少女は未だに感情を大きく出さない。少しでも元気を出してもらうため提案する。

「すぐにここまで送ってくれたお姉さんが最初のお姉さんと一緒に来るから、それまでご飯でも食べましょ」

 お腹が減っては戦ができないという。経験的にも元気のない芝居をしたい時は食事を抜くと良い演技ができることがある。その逆もまた然り。

「それじゃベッドに座ってテレビでも見ながら待ってて。朝食の準備してくるから」

 リモコンを操作し、教育番組を映す。好きなものを見れるように、リモコンはその場に置いて台所へと向かう。

 食事の準備をすると言っても、人の家の食事事情など知る機会は少ない。ましてや先週出会ったばかりの深琴くんが一体どういう食生活を送っているのかなんてわからない。けれどこれはチャンスでもある。深琴くんの食の好みさえ知ることができれば、胃袋を掴むのと同義だ。師匠たちも時々思い出したようにお弁当アピールをしていたのだから、きっとポイントになる。

 睦月ちゃんに聞けば一番早いような気もするけれど、それは悪いような気も、何かが違うような気もする。

 靄がかかった気持ちの整理は早々にやめて、少女の胃袋を先に掴むことに専念しよう。それに今睦月ちゃんは千恵を迎えにバイクに乗って、電話には出られない。

 胸の高さほどの冷蔵庫の扉を開き、目を疑った。

 何もなかった。それはもうびっくりするぐらい空っぽだった。電気代が無駄じゃないかと思うぐらい。あるとすれば冷凍庫にこびりついた氷ぐらいのものだった。

「普段何食べて生きてるのかしら」

 今度遊びに来るとき、何か持参しようと心に決めた。ともかくとして少女に何を食べさせてあげるべきだろうか。

「あれ残ってたかしら」

 昨日持参したおやつがあったはずだった。結構な数を持参したはずだけど、結構な数を睦月ちゃんとほぼ二人で食べ尽くしてしまっていたのが気がかりだった。お菓子を入れた袋を漁ると、チョコレートがたっぷり塗られた菓子パンを発見した。

 菓子パンを持って少女の元へ戻ると、少女は冷めた目でニュースを眺めていた。

「ごめんね。これしか食べ物見当たらなかったの。とりあえずはこれで我慢してくれる?」

 菓子パンを少女に差し出すと、奪うように手に取りバクバクとがっつき始めた。

「こらこら、お腹に悪いからゆっくり食べなさい」

 息継ぎなしで食べたんじゃないかと思うぐらいみるみるうちにパンはなくなった。

「ごちそうさま」

 口を袖で拭う所作が子供らしく可愛らしかった。思わず笑みを浮かべてしまう。「いただきますがなかったけどね」とついつい意地悪してしまう。少女は少し考えて「いただきました」と答えた。

 それが可愛らしくて思わず頭を撫で回した。しばし堪能した後、解放すると少女の御髪はシャワシャワになっていた。「ごめんごめん」と髪を整える。整えながら「そういえば名前なんていうの?」と訊いた。

「亜美」

「アミちゃんっていうのね。覚えたわ」

「お姉さん」

 アミちゃんがテレビを指さす。ニュース番組が流れており、ハサミ怪人現るという特集が組まれていた。最近よく人が襲われているらしい。悪人ばかり狙うダークヒーローと無差別に人を襲うハサミ怪人。二人の噂を聞かない日はないぐらいだ。ただ、どこで誰それが襲われたや、こういう手段を使っているという内容ばかりで肝心の顔やなりを伝えない。以前私が襲われたようにハサミ怪人というのも普通の人がなりきっているのか気になるというのに。

「ハサミ怪人ね。アミちゃん、知ってるの?」

「あれと警察に追いかけられた」

 警察に追いかけられていたことは睦月ちゃんから聞いていたけれど、ハサミ怪人のことは初耳だった。睦月ちゃんがそんな大事なことを伝え忘れるなんて考えられないので、きっと睦月ちゃんも知らない事実なはず。

「ねえ、そのことお姉ちゃんに教えてくれない?」

 頷き、淡々とした口調で話しだす。

「おかあさんが研究してるの。頭のなかの研究。それを使えばみんな争いたがらなくなる世界を実現できるって言ってた。けど悪い人たちがそれを奪いに来たの。だからおかあさんといっしょに逃げたの。はぐれちゃったけど」

 驚いた。

 内容もそれなりに驚きに溢れたものだった。けどそれ以上に驚いたのは少女が一気にまくし立てて話したことにだった。ひどく口数が少ない少女だと思っていた。怖い体験をして感情を一時的に閉ざしてしまったのだと勘違いしていた。ただ単にそういう少女だっただけであった。

 ともかくこのハサミ怪人のことや研究のことは誰かに伝えなければ。睦月ちゃん――は今は電話に出れないだろうから野崎ちゃんに掛けよう。きっと何もせずに待ってて、暇を持て余しているに違いない。

「少し待ってて」と断りを入れてから、千恵に電話をかけた。

「やあ、私はマイティマンだ! 以後よろしく!」

 野崎ちゃんの携帯からやけに威勢のよい男性の声が聞こえた。

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