中居芽衣

 陽気な雀の声で起きたわたしの目に飛び込んできたのは息が止まるぐらい端正な顔だった。艶やかな黒髪が小さく縁取った額の中には、柔らかな白さを肌。それを下地に長い睫毛や薄い唇、ほんのりと赤みを帯びた頬がそのキャンバスに描かれていた。

 彼女ーー睦月ちゃんの顔を見て眠気が吹き飛んだ私は今ここが深琴くんの家であることを思い出した。いつ知られたのか私の携帯に突如電話がかけてくるやいなや「深琴の家に遊びに来るかい」と誘われた。ライバルが誘ってくるやいなや「敵に塩を送っているつもりか」とか「舐められたものだな」とか思ったりしたが、この申し出は本心で言えばありがたいに尽きた。

 私では依然として深琴くんとの仲は近しいとは言い難い。今はなんであれキッカケが欲しかった。連絡を貰って少女漫画を対ライバルヒロインの対抗心の火にくべ、いざ行かんと家を出た。

 そんな私の対抗心は悲しきことにバースデーケーキ並の熱量しかなかったらしく、親しげに話しかけてくる睦月ちゃんに吹き飛ばされてしまった。

 言い訳をしたい。だって、あんな気持ちのいい笑顔をされたら私なんかでは太刀打ちできない。それにちゃんと話してみればクズ発言だって、長年の付き合いで気の置けない仲だからこそ言えたからだった。そんなわけで私の相撲は最後まで一人相撲で終わった。

 睦月ちゃんを起こさないように体を起こし、部屋を見渡す。深琴くんの姿が見えなかった。コンビニにでも出かけたのだろうか。置き手紙を探すも、紙の類は机の上に作業途中のまま放置されたマンガ原稿のみだった。

 昨日作業を見た時も思ったけれど、深琴くんの絵はガラス細工のように繊細なタッチで描かれていた。飛び蹴りをするようなところから深琴くんは大胆な画風だと決めつけていた。ところが彼の筆は紙面をなぞると、そこから優しい雰囲気の登場人物や自然が命を吹き込まれたかのようにイキイキとした顔を見せていた。

 色合いは大きく異なるけれど同じく芸術に携わる者として、これには少し嫉妬してしいそうになる。いくら演技派と言われようとも、ダイレクトに魂を揺さぶることができるのはやはりこのような創作物なのだ。

「相変わらず深琴は手先の器用さは天下一品だね」

 背後からグラスベルのような声がした。いつの間に起きていた睦月ちゃんが私の肩越しに顔を覗かせ、原稿に視線を落としていた。

「原作つければ今すぐにでも連載できるのにもったいないと思わないかい?」

「原作つける気はないの?」

「なんでも自分で一つの作品を作るあげてこそ意味があるとかなんとか。アーティストとかいう人種はみんなそうなのかい?」

「私は一人じゃ舞台を作れないから、深琴くんの気持ちはわからないかしら」

 くやしいけれど。

「でも好きなのは間違いないと思うわ。求められていないことを自主的になんて、好きでもないとできないことだから」

「言われてみればそれもその通りだね。ありがとう」

「どういたしまして」

 どうしてお礼を言われているのかわからないけれど、きっと深琴くんを連れ戻しに来た睦月ちゃんを思い留まらせることができたと思う。きっとそうだ。もっと褒め讃えてもいいのよ、私。事実を知った深琴くんはきっと感謝するに違いないのだから。

「ところで君のケータイ、なにか通知が届いているようだけど?」

 睦月ちゃんの視線が示す先には通知ランプが青色に点滅するスマートフォンがあった。私は慌てて画面を開く。青いランプは通話があったことを示しているため、なにやら急ぎの仕事が入ったのかもしれない。

 履歴を見て、一安心する。相手は野崎ちゃんからだった。しかし、いったい何の用だろう。突然セクハラを言うためだけに連絡してくることはよくあるけれど、トレーニング時間である朝一番に連絡してくることなど今までなかった。こちらから連絡しても、出ないことがほとんどだ。

 手の中にあるスマートフォンが震えた。画面に視線を落とすと、着信欄に野崎ちゃんの名前があった。二度も連絡してくるのだから、きっと大変な用事に違いない。可愛さ余って子供を誘拐してしまったとか――まさかそんなことあるまいと思いつつ、願いつつ画面ロックを解除した。

「もしもしどうしたの?」

「あ、芽衣ちゃん? ちょい助けて欲しいことがあってね」

「何かしら? 私でよければいくらでも力にならわよ」

「実は今ちっちゃい女の子といっしょいるんだけどーー」

 間髪入れずに告げる。

「一緒に警察行こう?」

「いや、普段の行いがアレなのは自覚してるけどさそれは酷いと思うからね」

「え、違った?」

「違うって。訳ありな迷子を保護したからそっちに連れて行こうと思ったんだけど今いつものとこいる?」

「ごめん、今別のところにいるの」

「ま、朝イチだし自宅だよね」

「違う。今深琴くんのおうちいるの」

 口にしてから失言だと気付いた。しかし、気付いた時には声色が変わった

「うわお、まさかの朝チュンかぁ。手が早いのか、手を出されるのが早いのかどっちだろうねぇ」

 少なくとも幼い子供を保護した人がする会話ではないと思う。

「とりあえず、こっちに来る?」

 放置される子供が可愛そうなので早々に話を切り上げた。

「行きたいけどそっちがどこか知らないしなぁ」

「住所教えるから――」

 目の前にメモが書かれた原稿が差し出される。睦月ちゃんが差し出したそれには「大体の場所を教えてくれれば迎えに行く」と書かれていた。迎えに行くというのだからお言葉に甘えよう。そのことを野崎ちゃんに伝える。急に湧いた意地悪を添えて。

「迎えに行くってさ。私と朝チュンした人がそう言ってる」

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