野崎千恵
夜も明け、肌がツンとするような寒空の下。あたしは体のラインに沿ったランニングウェアに身を包んでいた。
身体中の筋を伸ばし、怪我に備えていた。足回りを入念にほぐし、それだけでいい感じに体が火照ってきた。桃色世界へ飛び立ったあとに身悶えるような火照りではなく、どこか清涼感のある熱である。そのまま何もしないでいると疼くので、きっと本質的には同種であるとあたしは考えている。いつか保健の教科書に書いてあった、昇華という項目で性衝動を何かに変えることができると書いていたはずなのできっとこの説は正しい。
ステップを踏むように二度三度軽く跳ねた。
いつも通りの体の軽さだった。
さて、とゆったりとしたペースで走り出す。徐々に足の回転数を上げていき、自分本来のギアに合わせていく。街中の景色が流れていく。ビル群、鳩や猫、ご年配のジョガーもいた。そんな見慣れた道を流し見していくと、見慣れぬ光景に視線が捕まる。
小さなビジネスビルの前に幼い少女が寒さに体を震わせていた。
こんな今朝方にどうしてこんなところにいるのだろう。いくらなんでもこんな時間から親の仕事で付き添っているわけではないだろう。そう思って声を掛けることにした。
「おはよ! こんなところでなにしてるの?」
笑顔で少女に話しかける。気分は保母さんだ。顔を上げた少女の頬は痩け、すすけていた。だが外国の血でも入っているのか、目鼻立ちがくっきりしてそれも様になっていた。薄幸の美少女とでもいうべき愛でたい女の子だった。あたしが男だったらやましいことをしでかすところだったぜベイベー、と心の中でその可愛さに一通り悶え苦しんだ。
「……おかあさんとはぐれちゃった」
しょんぼりと答える姿がまた可愛くキュンキュンする。こりゃいかんと彼女の事情に対してと、自分の煩悩に対して同じことを考える。
「どこではぐれちゃったのかわかるかな?」
横に首を振られる。
「じゃあ、おねえちゃんが一緒に捜したげるよ」
あたしを見上げる少女の瞳は潤んでいた。
「ほんと?」
尋ねたその声は震えていた。知らない街でひとりぼっちはさぞや寂しかっただろう。その瞳が、その声があたしの母性本能をくすぐる。ああ、おーよしよしと抱きしめたい。鼻息が荒くなりそうなのはご愛嬌。
「うん、ほんと!」
我慢だ、あたし。
「ありがとう!」
少女が勢い良く抱きついてきた。
お腹に顔を埋める少女の息遣いが直に伝わり、あたしをわなわなと震えさせる。邪な考えが頭を過る。鼻息はえらい荒くなっていた。
そんな折だった。後ろから「なにかお困りかい?」と声を掛けられたのは。
後ろを振り向くとどえらい格好の中年男性が立っていた。
青い全身タイツで胸には誇張されたアルファベットで「まいてぃ」と書かれていた。だが、それ異常に誇張されていたのは股間のテントだった。
「よければ力を貸そ――」
「へんしつしゃーっ!」
自分のことは棚にぶん投げて、アタシは叫んでいた。
腰に抱きついていた少女を抱え、あたしは逃げ出した。それはもう力の限り。
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