道化たちと馴染み始めた世界

岩永深琴

 世間がヒーローという存在が元からあるものだと考え始めてから一週間が経った。あれから数少ない知り合いにそれとなくヒーローについて探りを入れてみたものの、誰一人として疑問を持つ者はいなかった。では何故、俺を含めた五人だけがあの日以前の記憶を持っていたかというとそれも分からずじまいのまま。

 ヒーローと呼ばれる者の周辺が特異点として存在するのかもと考えもしたが、あの睦月を助けたというラグビー選手のような中年男性は自らがヒーローだということになんの疑いも持っていなかった。

 結局は何も分かっていない。

 だが一つだけ確信を持っていることがある。それは他にも正しい記憶を持つ者は必ずいるということだ。

 この一週間、世間を賑わせている、はたまた震え上がらせている話題がある。夜な夜な不届き者を成敗するダークヒーローがいるということだ。そいつが最初に引き起こした事件は芽衣が借り上げている部屋のテレビで見た高校生が意識不明になるというものだった。あれから毎夜、被害者は増え続け、今では百人を超えた。

 悪人だけを懲らしめるということから世間では意見が割れていた。一つは悪人だけを懲らしめることから治安が良くなったとダークヒーローを評価する声。事実、毎夜聞こえていたパトカーのサイレンとそれに乗る警官の制止を求める声がこの一週間でめっきり減っていた。対するのはやり過ぎだとの声。罪の重さに関係なく意識不明にされ、今も意識が戻らない者ばかりだという。

 そのダークヒーローの行動について、俺自身が思うところは何もない。だが、きっと今動いている奴は自分が特殊な人間になったと理解しているはずだ。だからこそ派手な動きを見せている。自分が絶対に安全な立ち位置にいると分かっているからだ。

 どうにかこのダークヒーローとコンタクトが取りたかった。ダークなどという頭文字がつくが、同じヒーロー、記憶を有するという点で何か見えてくるものがありそうだった。もっともどうコンタクトを取ればいいかがさっぱりだった。活動範囲は東京を中心とした関東圏。犯行方法は不明。どんな容姿かも一切分からず。その条件下でどうやって探せというんだ、と溜息をつく。

 いっそ睦月の力を借りた方が建設的なのではと思い出す。だがきっとそんなことをしたら見返りに実家へ帰ることを強制される。

 睦月の力を借りることは諦め、カーテンを開く。

 群青が燃えていた。

 非日常という名の油が染め上げていた平穏に、今まさに火がついた。酸素が日常だとするならば、それを元とする非日常という焔が吐き出すのは何になるのだろう。新たな秩序か混沌か。今はその分岐点に立っている。

 そんな漫画的なことを考えているとお腹が気の抜けた声をあげる。昨夜から寝ずに執筆作業をしていたせいか空腹感が生まれていた。ほどよい眠気もある。二つの欲が「俺が、俺が」とせめぎあい、どちらを優先させるかを競っていた。

 ベットに視線を向けると、そこには睦月と芽衣がいた。仲良く俺のベッドですやすやと小気味よい寝息を立てていた。どうしてこうなったかというと止むに止まれぬ事情があった。主に「実家に帰りたくないのだろうと?」と脅されるという事態が八割。残り二割が睦月が遊びに行くと言って聞かなかった。いつ連絡先を交換したのか、睦月がここの住所を教えてしまった。

 そうして二人は遊んだり飯を食べたり話に花を咲かせたり暇つぶしに俺の作業を眺めたりしたあと、仲良く寝に入ってしまった。

 この二人がベッドを占領しているうちは床で寝ることになってしまう。

 生来ガサツな性分なので別に床で寝てしまっても構わなかったが、目覚めた睦月に悪戯をされるのが目に見えていた。肉と書かれたり、桃色空想本を枕の下に置かれたりする。後者の方は世話役に見つかって生暖かい目で見られたのは記憶に鮮明に残っている。残りすぎて軽くトラウマだ。

 牛丼でも食べに行こうと思い、二人を起こさないよう物音を立てずに外に出た。

 今朝方の空気は澄んでいた。澄みすぎて少し肌寒さもあった。エレベーターを待つ間、吹き抜けの廊下で冷気が乗った風に当たると眠気も吹き飛んだ。帰って布団にくるまりたいという衝動にも駆られた。だがその布団は女性二人に占領されてしまっていた。

 自らに残された選択肢はさっさと牛丼店に行って、吹き荒ぶ風から逃れることだった。

 マンションから出て、牛丼店がある大通りに出ようとした矢先のことだった。隣の公園から目尻に小じわが目立つ女性が走って出てきた。女性は俺の姿を認めると、駆け寄ってきた。その顔は悲壮感に染まっていた。

「助けて!」

 縋ってきた女性を見て思う。

 またこのパターンか、と。

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