岩永深琴
「あるえー、カオルン帰っちゃった?」
脳内桃色乙女が玄関で靴がないことを見て、首を傾げた。ポイポイと靴を脱ぎ捨てると、どこかの部屋にいないか探しだした。続けて玄関に入った芽衣が脳内桃色乙女が脱ぎ散らかした靴を「もう」と半ば諦めがちな声を出してから、綺麗に並べた。
「やっぱり帰ったみたいー!」
まっすぐリビングへと繋がる扉から脳内桃色が顔だけ出していた。
「ちゃんと靴綺麗に並べなさい!」
まるで母親がわんぱくな子供を咎めるような口調だったと思う。思うというのもそのようなことを言われた記憶がなかったからだ。もちろん自分が品行方正ということではなく、そのようなことを口にするのはいつも世話役からだった。
「並べたよ―。自分なりに」
「誰の目から見ても綺麗に並べなさいよ!」
隣に並んだ睦月がその喧騒をどこか楽しそうに眺めていた。こちらが見ていることに気付いた睦月は柔らかく微笑んだ。なにかを企む時とは明らかに異なった穏やかな顔だった。
「こういうのはいいね。新鮮だよ」
「俺らはこういうの無縁だったからな」
「羨ましいかい?」
「お前はどうなんだよ」
「そりゃやっぱり、ね」
柔らかさを保ったままの笑みに影が差した。
「おーい、早く入んなさいなー」
脳内桃色乙女こと千恵が俺らに呼びかける。先に入った芽衣も早く早くと手を上下に振り招いていた。俺らは呼び掛けに応えるよう、部屋にあがった。芽衣と千恵の二人はベージュの毛足が長い絨毯の上に座っていた。その絨毯には布地のソファも乗っており、ここに座るよう乙女がバンバンとソファを叩いて促された。
座って一息つくと、芽衣はおもむろに「なにか見る?」と、芽衣らを挟んだ向こう側にあるテレビにリモコンを向けてチャンネルを回し始めた。それが止まったのはあるニュース番組が映し出された時だった。その内容は数人の高校生が意識不明になったというものだった。原因不明なため怪人が引き起こしたものだとかんがえられているとうら若き女性リポーターが伝えていた。
「いや、それはただの病気だからちゃんと調べなさいって」
千恵が呆れた声でテレビにツッコミを入れた。
「でもみんなが一斉に意識不明になるなんてあるのかしら」
疑問の声を芽衣があげた。
「これがさっき言ってた結果ありきで作られるとかいうやつか?」
意図して報道されていないという可能性は捨てきれないが、毒ガスが充満してたことや集団暗示にでもかかったことは聞かなかった。ならば、この訳がわからない状況下では睦月が言っていたことが自然だと考えられた。
「ああ、きっとそうだと思うよ」
きっと、という言葉が引っかかる。睦月らしくもない憶測混じりの言葉だったからだ。
「珍しいな。きっと、なんて曖昧に濁すなんて」
「こういうことを引き起こすのはヒーローだけだと思ったからね。怪人が実際に意識不明に陥らせるなんて考えてもみなかった」
「怪人役もあてがわれるなら、そういうもんだろ?」
千恵が「いやいやいや違うんだなこれが」と話の流れに割り込んできた。
「基本的にはヒーローものって、リアリティを突き詰めなければ誰も死なないし怪我もしない勧善懲悪ものなんだよ。んでもって最近のヒーローものは話にも拘ってるし、イケメンも多ければかわええ子もヒロインなりヒーローなりで出てきて目の保養にもなって言うことなしなんだな」
語り始めた千恵を無視して、睦月が問いに応じる。
「僕が見たヒーローは、怪人もヒーローの意向のまま動くようなものだったからね。――まあ、怪人が主人公のものも最近じゃ少なくないしそんなものかもしれないね。そこの女優さんが出てる新作もそんな内容だったしね」
「そうなのか?」
視線を芽衣に移すと、芽衣は「ああ、うん」とどこか答えにくそうにしていた。
「違うのか?」
「いや、違わないわ。ただ、あの格好を人に見られたかと思うと恥ずかしいというかなんというか」
千恵の口がわざわざ訊かないでいたのに回り出す。
「撮影も見に行かせてもらったけど凄かったんだよ! 競泳水着に中世のごっつい鎧を腕とか胸にピンポイントでつけてて、ボンデージなんてのもあったね。なんだろうザ・悪の女帝みたいな感じで色気ムンムンだったね。今のカジュアルな可愛さもよろしいけれど、あたしとしちゃあ、ああいうおじさん好みしそうな格好の方が満足度ランキング的にトップに食い込むね」
そのまま「ほら、これ」とスマートフォンの画面を見せつけた。すぐに顔を真っ赤にした芽衣がスマートフォンを奪い取った。ちらりと見えた画面には、予想よりも鋭角な衣装を身につけた芽衣が映っていた。
「見た?」
そう尋ねる芽衣の声には余裕の一欠片さえ見受けられなかった。ここで一言「見た」と言ってしまえば、真っ赤に燃える顔がたちまち真っ白な灰になってしまいそうだと展開が繋がって見えた。
「見えなかったな」
「本当に?」
上目遣いで尋ねる芽衣が可愛らしく、悪の帝王よろしくいじり倒したくなった。
「見てないから安心しろ」
「良かったぁ」と安心する芽衣。過激ではあるが、魅力的であったのにどうしてそう恥ずかしがる必要があるのだろうと疑問を持った。だが、そんなものなのだろうと自分を棚に上げてまで持つ疑問でもないと納得した。
そんな話をしていたら、ニュースは次の話題に映っていた。ヒーローも怪人も関係がない政治の話だった。変わったばかりの首相が福祉政策をどうするかをコメンテーターが意見を述べ合っていた。
そんな風に重要な話もほどほどに横道へ逸れながら夜は更けていった。
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