中居芽衣
恐れ半分、嬉しさ四割、残りはもうどうにでもなってしまえという間違った覚悟していた。
私らは今近くのファミリーレストランにいた。ベージュ系を基調とした明るい店内。その一角に私らの席はある。四人がけの席に、深琴くん一人だけ男性という形で腰掛けていた。深琴くんは居心地が悪いのかテーブルに肘をつけて顔を支えていた。ふてくされているようにも見えるし、このシチュエーションだと三股がバレたふてぶてしい男にも見える。
そもそももう一人男性がいるはずだった。薫くんは外食しに行くのを頑なに拒み、その結果業を煮やした深琴くんが薫くんを置いていってしまった。
そんな少し悪い空気を引きずったまま私らは食事が運ばれるのを待っていた。緊張が張り詰めたテーブルにようやく皿が並べられると、張り詰めたそれは多少ほぐれたように感じた。その空気をいち早く察した深琴くんの知り合いさんは「それじゃ行儀が悪いけれど、食べながら話そうか」と切り出した。その空気を読む力、そしてチャンスを逃さない洞察力、これは師匠方と匹敵する! と関心しきりだった。
「さて、深琴。君は自分がどんな人間だと考えている?」
なぜそんなことを聞き出すのだろうという当然の疑問はさておいて、深琴くんは不器用だけど良い人という印象を私は抱いていた。さすがに深琴くん自身がそんなことを言い出すことはないと思い、深琴くんの答えを待つ。そうして聞こえた深琴くんの答えは予想外のものだった。
「クズ」
一言だった。それも最低辺を意味するもの。それは深琴くんの印象とはまるでかけ離れたものであった。
「そんなことないわよ! 私を助けてくれたじゃない!」
気づいたら立ち上がっていた。たしかに薫くんを置いていったりして少々短気なところもあるなと思ったけれど、決してクズという領域に足を突っ込むようなレベルではなかった。むしろ、私だって薫くんに慣れるまではあんなものだった。口が悪いところもあれど、それ以上に良いところもある。ただぶっきらぼうで不器用なだけだ。
だが難しい顔をした深琴くんが「買ってくれてるのは有り難いが俺はそんなできた人間じゃねえよ」と私の言葉を切り捨ててしまった。そんなことないよ、と言いたかった。だが、昨日今日会ったばかりの人間がそこまで引き下がるには勇気が必要だった。その勇気が私にはなかった。本物の世界では主役にはなれない臆病者でしかなかった。
「うん、たしかにクズだね」
そんなことを言ってのけるのは深琴くんの知り合いだった。私はその言葉に酷く憤慨した。いくら親しい仲だといっても言っていいことと悪いことがある。この人は少女漫画のヒロインだと思っていた。けれどその認識を変える必要がある。彼女はライバルヒロインだ。それも性格が性根から腐っているとでもいうような人として間違っているキャラだ。
「だからこそ君はヒーローに選ばれたみたいだよ」
「どういうことだよ」
「ヒーローっていうのはこうありたいっていう気持ちが強い人が選ばれるみたいだよ」
「――深琴くん、なにかなりたいものあるの?」
深琴くんは考える素振りをする。
「なりたくないものからがあるから、なにかになろうとしてるだけだ」
そこに彼の心象風景を見た気がした。荒れ果てた荒野で幾多の現実と切った張ったを延々と繰り返した果て。鮮血を滴らせながら、死体の群れの中で一人佇む。束縛を拒み続け、自由を求め続け、ただ一人となった姿が浮かんだ。
「いーじゃん、別に。なりたくないものがあるってわかるだけでわざわざ地雷を踏まないで済むんだからさ」
一人でむしゃむしゃとスパゲッティをすすりながら千恵が言った。深琴くんの口元が笑う。
「見えてる地雷を踏むほどアホなことはないしな。――それでヒーローってのは選ばれたからなんなんだ?」
ライバルヒロインさんは呼吸を整えた。
「一言で言えば、世界の守護者。――ああ、もちろん文字通りの意味じゃないよ。そういう役割を与えられたと思ってくれればいい。あ、それとなぜこうなったんだとか訊かないでくれないか。僕もわからないからね。さて、どこまで話したかな」
天井を見上げ、脳内で反復しているような所作をする。それだけで絵になった。
「そうそう、役割を与えられたところまでだったね。役割というのはヒーローとして怪物を倒すという役割だということではなく、ヒーローという存在自体が役割なんだ。うん、野崎さんが違いはなんだという顔をしているね。では詳しく説明するよ。もっとも僕自身の考察も多分に含まれているから事実と異なっている部分が多いことはご了承してほしい」
コーヒーに入れるために備え付けられている砂糖が入った紙袋を手にとる。
「これは何に使うものだと思う?」
私の目を見て尋ねてきた。
「コーヒーに入れて、甘くするため」
「うん、そうだね。その通り。この砂糖はコーヒーを甘くするためのものだね。ただし、それは砂糖の一面に過ぎない。砂糖の用途はコーヒーだけでなく、他にも様々ある。それはヒーローという存在にも言える。ヒーローは怪人を倒すためだけの存在じゃない。アメリカンコミックのように、自衛隊のように、弱きを助ける全てのものを指しているんだ」
「――俺がか?」
深琴くんの顔はありえないと言っていた。
「その通り。君はこれからどんな行動を取ろうとも、それが人のためと見なされる。行動から結果に至るのではなくて、結果ありきで行動の意味が作られると思ってくれていて間違いないと思うよ」
なぜこれほど状況を把握しているのか私は不思議でしかなかった。その疑問に答えるような間の良さで深琴くんが問いかける。
「あのヒーローのおっさんを見て、わかったのか?」
ライバルヒロインさんは事も無げに「ああ、そうだよ」と答えた。
「彼もその他大勢と一緒で、自分がヒーローだと疑わなかったから良い観察ができたよ」
深琴くんがハンバーグを器用に切っていたフォークをライバルヒロインさんに先端を向ける。
「それで具体的にヒーローとして何に巻き込まれる。何が起こり得るんだ」
ライバルヒロインの薄紅色をした唇が歪む。
「想像出来うること全て」
想像ができること全てだとしたらそれこそなんでもありになってしまう。これでは何かわかったようで何もわからないのと一緒ではないのだろうか。これでは深琴くんもさすがに苦言を呈するだろう。
「そうか」
だが深琴くんは一言。その一言だけ返して、食事に集中し始めた。あまりの呆気無さに拍子抜けしている私をおもんばかってか、野崎ちゃんが「いやいや、わけわからんですよ」と突っ込んだ。
フォークを置いた深琴くんはぼやくように「コイツの言うことは言葉半分で聞いといた方がいいぞ。わけわからないことを言い始めた時はコイツもよくわかってないことが多いしな」なんてことを口にした。
「酷いな。八割方は正しいことを言っていたと思うよ」
「残り二割はなんだよ」
「神のみぞ知るってやつさ」
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