野崎千恵
目を閉じる。あたしは今、自然と一体化しようとしていた。全神経を毛穴一つにまで空気の振動を感じ取れるぐらいに気を尖らす。真っ裸ゆえ全身のセンサーを遮るものは一つたりとてない。ゆえにより一層自然と一つになれる。
無音がする。キィンとした細く長い音。その中に雑音を感じる。それは寝返りをうつ音でもなければ、枕代わりのクッションを床に落とす音でもない。それは寝息だった。あたしは確信した。あ奴は寝ていると。ならば善は急げ。着替えを早々に手に入れ、早く着替えねば。
脱衣場から静かに顔だけを出す。
天啓の通り薫は寝ていた。静かな寝息を立てていた。
抜き足差し足忍び足で脱衣場から出る。
静かに、忍者になりきり進む。気分はくのいちだ。
寝ている薫の隣を通る。汗が頬を伝わる。
露出狂ではないため高揚感は正直ない。芽衣ちゃんに言ったら「今日はエイプリルフールじゃないわよ」と切り捨てられてしまいそうだけれど、あたしは見られて喜ぶような癖はない。薫に「見てもいいよ」と言ったが、見る気が微塵もないとわかっているからこそ言える軽口だ。むしろあたしは見る側だ。いつもマラソンの大会では良い尻をした女の子の後ろにピッタリくっついて走っている。それを風除けの戦法だと勘違いされたため、尻追い女と揶揄された。
もっともそれを否定する気はない。
趣味に走らなければ、陸上など辞めていた。期待の星などと言われてしまったゆえ辞めるに辞められない状況だったゆえ趣味に走ったとも言える。卵が先か鶏が先かという話になるが、あたしはきっと今が楽しければどうだっていいのだろう。
だからあたしはこのスリリングな状況すらも楽しんでいる。改めて言うが決してそういう趣味ではない。
バスタオルの一枚でも巻いていれば最悪の事態は避けられる。だというのにすっぽんぽんで着替えを取りに向かっている。そうして、あたしは着替えを手にした。
胸をホッと撫で下ろす。薫も起きる気配がないことだし、とその場でパパっと着替えようとした。
その次の瞬間、インターホンが鳴った。
全神経を研ぎ澄ましていた私は総毛立つ。思わず跳んでしまいそうになるところをグッと堪える。薫が起きてしまうと恐る恐る顔を覗くも、寝返りをうつばかりで起きる気配はなかった。
内心の一騒動が落ち着き迎え、インターホンを鳴らしたのは誰だろうと想像する。きっと芽衣ちゃんが来たに違いないと確信する。もう誰かが到着していると思ってインターホンを鳴らしたのだろう。
ならば、その期待には応えねば。
後先考えた結果怒られるとしても、芸人魂という名のサービス精神がいきり立つ。すっぽんぽんで出迎えることを最初に考えた。だがそれはいくらなんでも、とあたしの中の天使が止めに入る。天使は続ける。「下着をつけて、寄せてあげる仕草で出迎えなさい」と薦めた。だが悪魔も「ここはバスタオル一枚巻いて出迎えるべきだ」と反論した。二人は殴り合いの結果、天使が勝った。ホックを留めないで、こぼれ落ちるようにという新しい要望もあった。
こうして方向性が決まったあたしは青と白の縞模様の下着を素早く身につけ、手で胸を押さえて、ホックを外して玄関へと向かった。「今開けるよー」と声を掛け、解錠し寄せてあげる。
開いた瞬間、普段では出したこともない男を誘うような口調で「お、ひ、さ」と迎えた。
視界でも芽衣ちゃんを迎え、そして凍りつく。
予想通りで期待通りのあ然とした芽衣ちゃんの後ろに、二人の男女がいた。男性は目をぱちくりし、女性は「ほうほう」とあたしの谷間を遠目に観察していた。
「どゆこと?」
笑い的に思いっきり滑って事故を起こした私にはそれを口にするので精一杯だった。
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