HEROと幼馴染

岩永深琴

 嫌な夢を見た。

 怒られる夢だ。

 幼い頃の記憶だった。ろくに説明もされないで、やれと言われる。やって間違っていると怒鳴られながら続きを強制される。ぐちぐちと嫌味を言われながらようやっとそれを終えた。「よくやった」の一言でも出てくるかと思えば「どんだけ時間かけてるんだ」と突き放された。泣きそうになるのを耐えながら、ただ立ちすくむ。

 そこで目が覚めた。

 胃から上がってくる感覚を一番に感じる。とっさに口を手で抑え、飲み込む。後を引く不快感だけが残った。

 髪をかきあげ、息を整える。

 逃げる手段の一つすら持っていなかったあの頃は、いつも死んで楽になりたいとばかり考えていた。大事な後継者ゆえ手を出されることは一度足りともなかった。言葉の暴力をいつも受けていた。この後ろ向きな性格の大部分はその頃に形成されたといっても過言ではない。その後、逃げるよりも早く反抗することを覚えてしまったため、未だに幼馴染にからかわれる歴史を綴ってしまった。

 そういえば、と幼馴染を迎えに行かなければならないことを思い出した。時計は七時を指していた。今から準備し、出発すれば丁度いい頃合いだった。しかし、そのことは頭では理解しているものの体が重い。夢のせいだと自分の中の誰かが言う。寝てしまえとそそのかす。逃げる理由もあるからと引きずり込む。それに応じるがまま俺は再びまどろみの中に沈んでいく。

 全身が心地よい脱力感すら忘れ始めた時、まどろみの中から突如引っ張りあげられた。

 引っ張りあげたのは携帯の着信音だった。着信先は幼馴染からだった。

 眠気がこもった声で応答する。

「おはよう。二度寝しかけていただろう?」

 モーニングコールまでするとはさすが駄目なところを間近で見せつけてきたわけではないな、と弱気に同意した。

「実家のことでも思い出していたのかい」

「昔の夢を見た。俺らが出会った頃辺りの夢だ」

「ああ、あの頃の君か。初めて会った時は、幼いながらこんな人がいるのかと思ったよ」

「あの頃のことはもういいだろ。八時に駅に迎えに行けばいいんだろ?」

「それで頼むよ」

 向こうからの了承の言葉を受け取り、通話を終える。その電話で眠気が晴れたらしく、起き上がることは容易だった。

 準備を終え、家から出た。三分と経たず、駅までの一本道の途中で呼び止められる。二人組の警官だった。

「なんですか?」

 面倒だと思いながらも、相手にしない方がこじれて面倒だと判断する。

「君、昨日川崎駅で怪人撃退したヒーローでしょ? 駄目じゃない。ヒーローならちゃんと申告しないと。ほら、警察署行くよ」

 そう言うなり腕を捕まれ、連行されそうになる。

 つい癖で、反射的にその腕から逃れ、逃げ出してしまった。

 どうにか逃げ切った頃には駅とは反対方向の場所にいた。汗だくで息も切れ切れ、昨日芽衣を抱えて数ヶ月ぶりに全力疾走した疲れも抜けきっていない体ではこれ以上は動きそうにもなかった。携帯を取り出し、幼馴染に連絡しようとする。寂しい電話帳を開いたあと、先に芽衣に今の状況を相談しようと決めた。

 一回目の着信音で出た芽衣の「はぃ!」という声は裏返っていた。

「朝っぱらから悪い。ヒーロー関連でちょいと面倒事に巻き込まれてる」

 荒い息で伝えたためか切羽詰まった雰囲気が五割増しで相手に伝わり、芽衣の世話好きと乗算され、甲高い声で動揺する声が聞こえてきた。こんなに慌てて心配してくれる人がいることを思うと、不謹慎だが嬉しくなる。

「何があったの!」

「外歩いてたら警察にヒーローだからとか言われて連行されそうになった」

「どうしてヒーローが捕まえられるのよ! 表彰されるならともかく!」

「落ち着いてくれ。またいつ見つかるかもしれないから、頼みたいことがあるんだ」とご立腹の芽衣をなだめる。方向が定まった芽衣は「それで何を頼みたいのかしら」と目がキラキラしていると見えなくてもわかる声で訊いてきた。

「とりあえず、世間様にとってヒーローってもんが一体なんなのか調べてくれないか」

 芽衣は得意気に鼻を鳴らした。

「昨日インターネットで調べたのよ。なんだかわけのわからないことに巻き込まれたのが納得いかなくて」

 芽衣は続ける。

「なんでもヒーローは怪人を倒せる人間のことを指すみたい。倒せる人間は生まれ持った資質みたいね。怪人っていうのは犯罪者というのと違って、よくわからない力で人を襲うようになった者のことみたい」

「待て。今ネットで調べたって言ったよな。ネットにまでヒーローやら怪人やらの情報が載ってるのか」

「ええ、載ってたわよ。しかも昨日の私達のこと、ニュースサイトのトップで扱ってたわ」

「ヒーローとして?」

「ヒーローとして」

 頭が痛くなる。まるでヒーローが当たり前にある世界に迷い込んでしまったかのようだ。異世界へ漂流する話の主人公はよくもまあ順応できたものだと尊敬する。

「改めて聞くけど、元からヒーローが世界を守ってくれてた訳じゃなかったよな?」

「違ったわ」

 迷い込んだ人が他にもいるということは安心すべき事実である。どうにか他にも違和感を感じている人を探せないだろうか。

「それじゃ――」と次の指示をしようと思ったところでキャッチが入る。

「悪い。都合が悪くなった。すぐに折り返す」

 すぐに幼馴染からの着信に応答する。

「遅いよ。なにかあったのかい?」

「警察に追われてる」

 幼馴染はため息まじりに尋ねてきた。

「今度は何をしたんだい? 都会に出てまで警察に目をつけられてるとは思わなかったよ」

「俺が知るか。ヒーローだからって連行されそうになったんだよ」

「ヒーロー? 君がかい?」

「昨日話した中年オヤジ倒した時から探されているみたいだな」

「ふむ。少し待っていてくれないか?」

 電話口の向こう側で何か話しているのを聞こえる。話の内容まではわからないが、なにやら頼りになる人物らしい。ここで一つの不安がよぎる。一人で来ているはずの幼馴染になぜ話し相手がいるのだろう。そこから導かれるの連れ戻しにきた実家の連中という解だった。

「どうやらヒーローとして登録していなかったのが原因みたいだね。おそらくその警官は登録を済ませるためだけに君に話しかけたのだと思うよ」

「あーそれはわかった。ところで誰に話しかけていたんだ?」

「ふふ、心配しなくても大丈夫だよ。昨日巻き込まれた事件で助けてくれた人だから」

「本当だろうな」

 幼馴染は基本的には信用ができるということは経験で理解している。ただ時々嘘をつくことがある。それもとんでもなく大きい嘘だ。それゆえイマイチ信用しきれないところがある。

「嘘だったら一生恨んでくれてもいいよ。あと警官の方だけど、一緒にいる人がどうにかしてくれるから安心してくれだってさ」

 一体どんな人物と一緒にいるのだろうと膨らむ一方の疑問を抱きつつ迎えに行く覚悟を決めた。

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