岩永深琴

 海色と蜜柑色がせめぎ合う空の下で芽衣と別れた。タクシーに乗って去っていった芽衣を見送ると、ドッと押し寄せた疲れの波が全身に覆いかぶさった。

 久しぶりに同年代の女性と面と向かって話したせいか、芽衣がまるで母親のごとくお節介マシンガンを繰り出したせいか、その両方か。まさかこの歳になって口元についた汚れを拭かれるなんて思いもしなかった。この妙な疲れは気疲れだ。幼い頃の習い事で見知らぬおば様方に囲まれ笑顔を振りまいた時と似たような疲れだ。その日は疲れすぎて、楽しみにしていたアニメすらも諦め、泥のように眠った。次の日に朝早くから幼馴染と遊ぶ約束をしていたが、見事に一時間遅刻した。

 そういえばアイツは今何をしているだろう。

 ワルキューレとかいう、その小さな体躯に不釣合いな大型バイクでこちらに向かっているのだから、もう川崎まで到着していてもおかしくない。携帯電話を見る、未だに圏外だった。そう思ったのと同時にアンテナが立った。立ちやがった。

 恐る恐るメールを問い合わせると、雪崩のように溜まりに溜まったメールが受信欄に重なっていった。その全てが幼馴染からだった。遡りながらメールを見ていくと、どうやら面倒事に巻き込まれたらしい。ただ、先にそのメールの後に届いた「今日中に川崎まで辿り着きそう」だというメールを見ていたので心配はしなかった。

「見なかったことにするか」

 一人頷き、携帯を閉じた。閉じるやいなや携帯が唸りをあげる。

 幼馴染からの着信だった。どこかで見張っているとしか思えないタイミングだった。周囲を見回し、幼馴染が近くにいないことを確認し、応答する。

「おう、なんだ」

「メール見たかい?」

 絶対に近くで見ているだろうと改めて見回す。

「ああ。面倒事ってなんだったんだ?」

 見つけられなかった。

「変質者が道路の真ん中で大暴れしていてね。それで渋滞が起こっていてね」

「上半身裸の中年男性とかか?」

「違ったね。ギリギリアウトの水着を着た女性だったよ」

「ずるいな」

 心の声が漏れた。こっちは中年男性とほぼ形だけだが戦ったっていうのになんだこの格差は。変質者のボスは出てこい。成敗してくれる。

「聞き捨てならないことが聞こえたかな」

「俺もどうせ相手にするならそっちが良かった」

「君も襲われたのかい?」

「ああ、ほぼまっ裸の幸薄そうなオヤジにな」

「君を襲うとはまったく運が無い奴だね」

「人を暴力的みたいに言うなよ」

「違わないだろ?」

「否定はしない」

 一息ついでにため息もつき、続ける。

「それで用事はなんだ?」

「あのあと色々あってね、今日中にはとても間に合いそうにないんだ。だから明日駅に迎えに来てくれるかな?」

「わかった。メールで詳しいこと教えてくれ」

 他愛のない話をして通話を終えた。

 そのまま帰宅し、気がつけば深夜近くになっていた。

 明日の朝は早い、と床につこうとした。つけっぱなしにしていたテレビから新作映画の話題が流れてきたため、これを見たら寝ようとリモコン片手に横になった。

 緩みながら見ていた体はある女優を見るやいなやバネがついていたかの如く飛び起き、画面に齧りついた。格好はえらく悪の女幹部をしていたが、その映画の主演女優は今日出会ったあの世話好き女性で間違いなかった。

 本日二回目を疑ったが、断然後者の方が驚きが強い。ヒーロ―や怪人と違い、理解ができる驚きであった。前者は唖然と近いものであると思える。

 ともかくこの驚きを誰かに伝えてく、明日の予定を送ってきた幼馴染のメールに返信という形で「中居芽衣って女優を知っているか?」と送った。コマーシャルに変わって春川コーポレーションの名前が耳に入るのと同時に返信が来た。「子役の時から有名な女優じゃないか。あまり普通とはいえない僕ではあるけど、そこまで浮世離れしているつもりはないよ」と内角低めを抉るような文面が綴られていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る