中居芽衣

 深琴くんに見送られながら、暮れなずむ空の下で私はタクシーに乗って帰った。当初は不安が残るものの安く済むからと電車で帰ろうとした。けれど深琴くんに止められ、また電車も復旧までもうしばらく掛かるらしかったため、結局タクシーで帰る運びとなった。

 帰宅し、ベッドに座り込むと「終わり良ければ全て良し」と今日一日の終わりを表している言葉がふと浮かんだ。クッションを抱きしめ、今日一日を噛みしめるように反芻する。襲われる直前の恐怖も蘇ってきたが、彼に助けられた今となっては良いスパイスだったように思える。いやはや我ながら調子が良いと苦笑してしまう。そうして回想が、深琴に抱きかかえられて逃げるところに差し掛かると、途端に体が今となって火照ってきた。

 湧き上がるような熱が込み上がり、これがなんなのかわからなかった。わからないまま顔が赤面していくのを感じる。たまらずクッションを抱きしめたまま、ゴロゴロとベッドの上を転がった。

 このような動き、今までの稽古の中であったことを思い出す。それは初恋をする女学生の役だった。初めて恋をする女学生がその感情がなんなのかわからず、今の私と同じように身もだえしていた。こうしてこれが恋というものなのかと今更気付いた。

 恥ずかしい話、私は恋というものを知らなかった。

 誰かに恋する役柄というのは物語をする上で欠かせないものだ。私はそれを大体こんなもんだろうという憶測で演じることができてしまっていたため知ろうともしなかった。まさかこんなにも嬉し恥ずかしいような衝動が込み上がってくるものだとは思わなかった。

 尊敬する。

 私は少女漫画のヒロインたちを尊敬する。

 もはや師匠と仰ぎたい。

 師匠らはどうして恋心に気づけたというのにあんなに普通に接することができるのだろうか。私は無理だ。自覚できた今、再び深琴くんと顔を合わせたら、顔から火が出る。

 ベッドの上に置かれた淡い桃色の携帯電話には彼の連絡先が入っている。別れ際、怪人やヒーロ―のことが何かわかったら連絡を入れるという名目で連絡先を交換した。その時はそれだけのために交換しようとしていたはずだった。

 きっと私はその繋がりを断つことが怖かったのだと思う。自覚すらなかった。本能的にそれを察して、連絡先を交換したと思う。本格的に芸能界で仕事を始めてからは仕事関係の人としか連絡先を交換していなかった。同年代の友人はあの二人を除けば、演劇に全て捧げていたためまったくいない。そんな私がまさか自分からそれも自覚なくやるとは、恋の力は末恐ろしい。

 自覚したからにはどうにか口実をつくって、遊びに誘おう。

 決意はした。だがどうにも誘い文句が思いつかなかった。師匠らは大抵向こうから連絡をくれていた。やはりご都合主義的展開に恵まれない世界の住人では弟子にすらなれないのだろうか。

 そんな悩みをこねくり回していると、突如携帯電話が大声をあげる。そんなことを考えていたからかてっきり連絡をくれたのが深琴くんからだと確信し、慌て、ベッドから頃転がり落ちた。

 急いで立ち上がり、携帯電話の画面を確認する。

 そして、落胆した。

 ランナーの野崎ちゃんからだった。なんだようと思いつつ、何故かかってきたのか考える。そうして額に手を当てる羽目になる。今日は遊びに行くと伝えていたのに、行くのを忘れてしまっていた。電話に出て、すぐ謝り倒した。野崎ちゃんは「芽衣ちゃんのことだしそんなところだと思ったよ」とすぐに許してくれたが、浮いた話一つなかった私の初恋についてセクハラ混じりに根掘り葉掘り聞き倒された。

 明日は必ず行くと伝え、通話を終えようとした。その前に一つだけ聞いた。

「怪人とかヒーロ―って何かしら?」

「日曜の朝やってる番組の何か?」

「――いやなんでもないわ。気にしないで。ばいばい」

 親友はおかしなことになっていなくて安心すると、お腹がぐうと鳴いた。

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