第10話  大恐慌

アーリントン・パークではエイドリアンじいさんとシャムロック・スターが庶民の人気をさらい、シカゴのみならず全米で人気が出てきたころ、経済状態の雲行きが怪しくなりました。前の大戦、第一次世界大戦後、1920年代にアメリカは、大戦への輸出によって発展した軍事工業を中心とした各工業への投資が盛んになり、帰還兵による労働力の回復と消費の拡大、乗用車と興行用トラックによる経済の好転などによって過去最高品質と最大規模の発展に寄っていました。しかし、ソ連が世界からかけ離れた国家に発展し、アメリカとしては最大手輸出相手国を損失したことになりました。一方では機械化による農業での生産過剰と相次ぐ異常気象から農業が発生しました。そして1929年10月24日に「Black Thursday - 暗黒の木曜日」、と呼ばれるニューヨーク、ウォール街の株式市場で株価の大暴落が発生し、株式市場は売り一色となりました。さらに1929年10月29日に「悲劇の火曜日」、と呼ばれる、最も激しい株価暴落が発生し、この日、投資家はパニックに陥り、株の損失を埋めるため様々な地域・分野から資金を引き上げ始めました。


アメリカでは当時の大統領であるフーヴァーは、大恐慌が発生した時、レッセ・フェール(自由放任主義)を取っていましたため、事態は悪化しました。国民全体の激しい批判を受けた大統領は、公式の表に出てくることを嫌い、メディアに対しあれこれと注文を付けたため国民の支持は低下しました。

失業者は3000~5000万人に達し失業率は、ピーク時に25%に達し、国民所得は40%以上減少しました。社会主義の方がよいという風潮まで生まれました。このときにニューディール政策を掲げて当選した民主党のフランクリン・ルーズヴェルト、アメリカ第32代大統領は、連邦緊急救済法(FERA)、民間資源保存局(CCC)、テネシー川流域開発公社(TVA)を議会で通過させ、経済回復に努めます。更に、ラテンアメリカとの外交方針を強行外交から温和外交へ移行しました。ラジオで直接国民に話しかける「炉辺談話」、と呼ばれる手法で分かりやすい大統領として、そこそこの人気がありました。後で、国民はこのルーズベルト大統領がアメリカで唯一の車椅子に乗った大統領だと知らされます。当時は、ハンディキャップをもつ大統領は対外的にも選挙でも不利だとされていました。


1933年まで続いた大恐慌の期間、アーリントン・パークでは数は減ったのですが、休園することなくレースは行われました。当然、掛け金規模は縮小しましたがレースは人々の支持に支えられながら続けられました。エイドリアンじいさんの家族では父が警察官でエイドリアンが高収入のジョッキーであることから、比較的裕福でしたが、近所では殺人や強奪などが多発するようになりました。しかし、エイドリアンじいさんの家族の事や、エイドリアンじいさんが人気のジョッキーであることはあまり知られていませんし、警官の家というだけで襲われたりしませんでした。エイドリアンじいさんの兄弟も家を出てからも地道に生活を送っていましたし、あまり経済の影響を受けない仕事についていたため、ラッキーと言えました。


大恐慌がアメリカでは収まって、景気の回復が見られたころ、マルディーニ氏はターフの導入に踏み切ります。芝の馬場が誕生というわけです。さらに、馬車レースを開催しました。Chuck wagon(開拓時代の飯炊き馬車)のレースだとか、いろいろ種類があって人々は「ノスタルジックでいい!」、と、熱狂的な応援をしました。アメリカですから、馬車への望郷もあり、二輪、四輪、複数の馬などによって行われるレースは、ギャンブルだけの競馬場というイメージを塗り替えました。特に南部出身の人には「血が騒ぐ」ようでした。しかし、いつもメインゲームとしてのレースにはシャムロック・スターが登場しました。そして、ほとんどいつも観客の期待を裏切ることなくシャムロック・スターが勝ちました。ビッグ・マックの人気も他の追従を許しませんでした。

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