第9話 シャムロック・スターの活躍
エイドリアンじいさんはJ.J.の「教育」。の期間後、みんなの態度がまったく違っていることに気がつきました。ジョージでさえ、敬意を払うのです。ちょっとくすぐったような、狐につままれているような妙な気分です。いくら実力の国アメリカでも、たかが16歳になったばかりのエイドリアンじいさんには妙です。確かにJ.J.は伝説の調教師でそのJ.J.の最後の愛弟子と言う肩書きは重いのかもしれません。確かに、シルバースターに勝ったレースでは派手なデビューだったかもしれません。しかし、期待の新人かもしれませんが、まだ本レースでは一勝もしていないのです。新聞社やテレビニュースのインタビューの申し込みまである始末です。エイドリアンじいさんはすべて、マルディーニ氏に任せることにしました。「マルディーニさん、僕は馬が相手ならいくらでも言葉が出てきますが、人は苦手です」。これを聞いたマルディーニ氏は微笑みながら「言っただろう、人を見る目があるのは俺だから、人を相手にするのは任せとけ。何かあれば、直接俺に言えばいい。いいな」、と、言ってもらいました。
その直後、大変なことが起こりました。新聞によると1929年2月14日、シカゴで勢力を張り合っていたバッグス・モラン一味を残忍な手段で壊滅させるという世に言う「聖バレンタインデーの虐殺」をカポネしが起こし、1931年、エリオット・ネスに率いられた特別捜査チームは脱税容疑でカポネを摘発し、懲役11年の判決を言い渡されたカポネ氏はサンフランシスコのアルカトラズ連邦刑務所に収監されました。サンフランシスコ湾にありゴールデンゲートブリッジからも望める難攻不落の脱走が不可能と言われる刑務所です。J.J.はその後どうなったのかは、結局、分かりませんでしたが先生の行方不明はエイドリアンじいさんにとって心に穴が開いた感じでした。マルディーニ氏にも捜査の手が伸びたようですが、起訴までには至りませんでした。
エイドリアンじいさんとシャムロック・スターの初公式レースの日程が決まりました。エイドリアンじいさんなら、体重は十分に規定をオーバーしています。問題ありません。相手は七頭のすべてサラブレットです。一マイル(1,600m)レースの短距離が得意なサラブレット・マイラータイプばかりのレースです。もう覚悟は出来ています。マルディーニ氏からは勝ち負けを気にするな、と言われていますが、正直言って過去の対抗馬の記録では絶対に勝てる自信がありました。ただ、スタートのどの位置に入るかによって作戦が異なってきますし、馬場の状態、天候や気温などを想像しながらゲームプランを立てていきました。もちろんシャムロック・スターと相談しながら。
「プロ」第一戦はぶっちぎりの勝利でした。シャムロックをあしらったジョッキー服を着たエイドリアンじいさんは颯爽とゴールを駆け抜けると、翌日の新聞やラジオは「若きスーパージョッキーデビュー」、と騒ぎ立てました。エイドリアンじいさんとシャムロック・スターのうわさはありましたが、オッズは低く、高額配当が出たから余計に目立ちました。薄緑のジョッキー服の大柄のエイドリアンじいさんが小ぶりのシャムロック・スターは写真的にも妙に目立っていたため新聞の格好の記事材料となりました。評論家はまぐれだと酷評でしたが、あの伝説の「調教師、J.J.ローガン」。の愛弟子だとうわさが流れると態度が一変し、メディアの注目はこの若き新生ジョッキーに注がれました。しかし、エイドリアンじいさんはマルディーニ氏の保護を受けていたため、インタビューなどは直接ありませんでした。もちろんJ.J.の話が公に出ることを嫌ったマルディーニの考えで、アーリントン・パークと自宅までの送り迎えまでしてもらいましたし、シャムロック・スターに乗っているときは必ず、ゴーグルをつけていましたので、エイドリアン・マクドナルドが誰なのかは、あまり広がりませんでした。
そのうちにJ.J.との関係のうわさがおおきくなり、是非とも過去の経歴を洗い出そうとする記者もいましたが、マルディーニ氏の力は強烈かつ膨大でほとんど真実は表に出ませんでした。それが、ミステリアスだとさらにエイドリアンじいさんの人気が高まりました。一方、シャムロック・スターは記録が公表されていますので、系図から、種馬がわかるためその子供は高く取引されるようになりました。優秀な牡馬(ぼば-とはオスの馬)は種馬となりますが種付けをいっぱいするため、同じ種の子供同士でも兄弟とは呼びません。しかし、シャムロック・スターの同じ種の馬が高く買われたわけです。しかし、実は、シャムロック・スターの能力は母方の馬、つまり牝馬(ひんば-メスの馬)側にありました。通常、牡馬に比べ競走能力などは劣りますが、この牝馬は野生で見つけられた特殊な環境の出身でした。競走馬の素質はなくレースに出たこともなく、従がって注目も浴びませんでした。シャムロック・スターは種付け目的の交配ではなく、自然繁殖でした。従がって母方の兄弟馬はいません。牝馬は引退後、ほとんどが繁殖牝馬となり、牡馬と交配し仔を産むのですが、シャムロック・スター以外には生まなかったのです。従がって、シャムロック・スターのような特別な競走馬は少なくとも血統からは生まれませんでした。これも、ミステリアスで人々の期待を煽ったのでした。
シャムロック・スターははっきりしないのですがアラブ系で、いわゆるサラブレッド系ではありませんでした。スピードで比較した場合、アラブ系はサラブレッド系にかなわないのですがスタミナとパワーはすぐれており、エイドリアンじいさんの体重でも耐えられます。また、連闘にもかなり耐えうることが出来、そのため出走回数も多いのです。気質も荒く、アラブ系は普通は900ポンド(400Kg)でサラブレッドと並ぶと一回り小さく見えます。シャムロック・スター、小柄であっても骨太な体形で、首なども太短く見えますが、サラブレッドの特徴であるスピードを兼ね備えた馬でした。
このエイドリアンじいさんとシャムロック・スターのコンビは勝ち続けました。もちろん、怪我や体調不良で出走取り消したこともありますが、数多く出場しました。そして、アーリントン・パークの人気者となりました。連戦連勝、悪くて2位。人々はこぞってシャムロック・スターとエイドリアンじいさんのコンビを信じて、馬券を買いました。配当は少なくとも人々はほぼ確実な投資に満足するだけでなく、シャムロック・スターの走りに酔いしれました。いつしか、ジョッキーの中では大柄なエイドリアンじいさんのことをビッグ・マックと呼びました。アメリカでは「大きいことはいいことだ」、とか「Think big, earn big!(大きく考えて、大きく儲けろ!)」、とか、大きいことに対する憧れが農業や牧畜業から生まれました。アメリカの車が一時期、大きかったのはその風習の名残です。ビッグ・マックの愛称はメディアも使うようになり、一気に広がりました。
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