第4話  厩務員エイドリアン誕生

エイドリアンじいさんはその次の日からアーリントンで勤めました。(人生の殆どをここで働くことになるとは思ってもいませんでした。)朝6時15分前に厩舎に着いたエイドリアンじいさんは昨日、繋いでおいた例の暴れ馬のところに行きました。すぐに、その馬は擦り寄ってきたのでなでてやりました。今日は非常に落ち着いています。昨日、暴れていたのがうそのようです。ジョージは「ハーネスがあわなかったんだろう」、と、言い訳していましたが、エイドリアンじいさんにはわかっていました。本当は、心を開いた者だけにおとなしくしているんだと言う事を。長年、動物や昆虫を観察してきたお陰で、人間以外の気持ちがそれとなく分かる様になっていたのです。


厩務員の仕事とは、競走馬の調教や管理の責任者である調教師のもとで、馬を世話することです。つまり、ジョージの指示を受けて自分の担当馬の全ての世話をして、その馬をレースに最高の状態で送り出すのが仕事です。この「暴れ馬」。にはまだ、競馬名はつけられていませんし、来たばっかりで、しつけや馬具を慣れさせることが重要です。今日は6時までに来ましたが早い人は午前3時頃に厩舎に行き、担当馬に異常がないかどうかを確認します。それから、馬房を掃除します。具体的には「ボロ」、と呼ばれる糞や尿で汚れた寝わらを掃き出し、新しいわらを入れたりする作業です。 それが終わると馬装と呼ばれているのですが、馬具をつけます。エイドリアンじいさんは、この段階で先輩の厩務員の助けが必要でしたが、すぐに覚えました。そして馬装が整ったら馬にまたがって軽く歩かせます。本来なら、競走馬としての極限の走りの前のウォーミングアップをするわけです。 エイドリアンじいさんはこの馬に乗っかることが、とても好きでした。この馬もまんざらでは無い様で大人しく静かに歩いていました。


ほかの競走馬は、十分に体が暖まると馬場に入って本格的な調教をするのですが、この馬には、まだまだやることがあって、本格的な走りはできません。ジョージはエイドリアンじいさんに馬の制御の基本を教え、慣れさせることに時間を費やすことが重要だと考えていました。したがって、エイドリアンじいさんはこの馬に乗り、厩舎の周りを何度も何度も歩きながら、早歩きや、トロッティング、停止などを教えていました。他の馬が戻ってくると、一緒にこの馬の手入れをします。洗い場に馬をつなぎ、シャワーで汗を流し、ブラシをかけ、同時に調教後の体やひづめなどに異常がないか確認します。その後は馬を馬房に入れ、飼い葉を与えます。 エイドリアンじいさんは、つらい作業ですが、動物と一緒にいられるだけで幸せでした。寒さや臭いも気になりません。最近では、自ら朝早く行ってほかの厩務員や調教師のやり方を「盗む」。ために周りを見ながらこの馬を世話していました。


それから、一ヶ月ぐらい過ぎたころに、ジョージが一度、本コースを走らせて見ることにしました。普通はジョッキーが乗るのですが、怪我をさせてはまずいのでジョージが乗ってみたのです。さすがに、暴れはしなかったのですが、決して速い馬とはいえませんでした。まず、まっすぐに走れないことと速度が出ないことが、決定的な弱点でした。しかし、ドン・マルディーニ氏の手前、ジョージは何度もこの馬を乗って見せていました。その間、エイドリアンじいさんはフェンスに上って望遠鏡を使いながら細かく観察していました。細かなことはノートに書きとめ、毎日、夜遅くまで勉強していました。その結果、エイドリアンじいさんにはひとつの信念が生まれてきました。「あの馬は一杯、癖があって、それを理解しないと絶対に早く走れない。遅いのは馬でなくジョージの性だ!」、と。しかし、そんなことは言えません。せっかく夢中になるくらい楽しい仕事にありついたし、給料も家族が本当に喜ぶほどいい条件でした。


そんなある日、エイドリアンじいさんがこの馬を歩かせているところにマルディーニ氏がやってきました。「おい、エイドリアン。最近、ジョージが走らせているが、あまり速くなさそうだし、いつまでも、見込みのない馬に無駄金を使うわけにはいかない。お前がこの馬を競走馬にできる魔法でもない限り、売り飛ばすつもりだ。わかったな」。これは、ショックでした。いつまでも待ってくれるほど、世間は甘くないのだと思い知りました。そこでつい言ってしまったのです。「ドン・マルディーニさん、あと一週間ください。それに、本コースに私が乗って調教させてもらえませんか? きっと、ほかの馬と同じくらいに速く走れる事を約束します」。本当は自信がなかったのですが、つい言ってしまったので後には引けません。


「面白い、来週の火曜日に、ジョージがやけに肩入れしているシルバーバードと競争させてやる。10時スタートだ。ジョージには俺から話しておくから。それから、満足できる速さだったら、お前が命名していい。名無しの権平さんでは困るからな。楽しみにしているぞ」。その日から、エイドリアンじいさんとこの馬の走りが続きました。決して、疲労がたまることがないように調教のメニューを考え、その通りにやってみました。エイドリアンじいさんはいつもこの馬に話しかけ、撫でてやりながら、どう走れば早くコーナーを回れるとか、最初から跳ばすほうがいいのか、後追いがいいのか一緒に探っていきました。走るどのくらい前に何を食べればこの馬が喜ぶかまで克明に研究しノートに書いておきました。そして、明日が競争の日の夜、眠れず、ついに厩舎で一緒に寝てしまったくらいでした。


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