第2話 1927年のエイドリアンじいさん
エイドリアン・マクドナルドは1912年にシカゴで生まれました。彼の父親、つまり僕の祖祖父(曾(ひい)爺さん)はアイルランドからの移民で、アイルランド国民がポテトの不作から始まり豊かな国への移民活動が活発化した1900年初頭にアメリカに移り住んだそうです。アメリカのアイルランド系移民数は200万人に及ぶそうです。彼は勤勉なアイリッシュ気質を受け継ぎ、多くのアイルランド人移民がそうであったように警官としてシカゴで働いていたそうです。当時、アイルランド系の就職先で多かったのが警官と消防士です。そして、セント・パトリック・デイ(3月17日)に知り合った、同じくアイルランドからの移民の女性と結婚し、エイドリアンじいさんが生まれました。
エイドリアンじいさんは僕をよくひざの上に座らして、昔話をしてくれました。エイドリアンじいさんの一家は警官の安月給で生計を立てていたので裕福ではなかったのですが、笑いにあふれ、みんなで討論が好きで、会話の多い家族だったと、よく思い出していました。主に、スポーツ系の雑誌を買ってくると、家族全員が回し読みし、ぼろぼろになったものだ、と言っていました。物がなかった貧乏な時代ですので当然ですが物を大切にせよという教えだったのですが、僕が興味を引いたのがその当時のスポーツが今とどれくらい違うのか、という情報です。とくに、エイドリアンじいさんが10歳のことになると野球が盛んになり、アメリカンドリームを達成したホームラン王のベイブ・ルース、打撃王ルー・ゲーリック、生涯打率.367で堂々のMLBトップに立つタイ・カッブ、歴代トップの通算511勝をマークしたサイ・ヤング、などの野球人が盛んに登場した時代でした。エイドリアンじいさんの家族は、なぜ、この打者は内角のカーブをレフトに打てるのか、なぜ、外野からの返球をカットしたか、などの理論を戦わせたそうです。エイドリアンじいさんのお母さんやエイドリアンじいさんの姉妹や兄弟も、全員で世がふけるのも忘れて話していたそうです。
1920年代のアメリカのスポーツは最初の大きな流れの中にありました。ギャンブルも楽しめる大きな競馬場、プロの試合が見られ大興奮の野球場,そしてアメリカ生まれのフットボールなどに興奮を求めに群がった人は,年間で何千万人と言われています。生活は苦しいものの、まだ入場券があまり高価でなかった当時の労働者の最大の娯楽に発展していったのです。本当に1920年代は,いまだにスポーツの黄金期と言っても過言ではなかったのです。
もちろん、エイドリアンじいさんはよくキャッチボールを父や兄弟としていましたし、近所の子が揃うと必ず野球ゲームをしたそうですが、運動よりも本人はとても動物も好きだったようです。ほとんど毎日、虫や爬虫類を拾ってきては母親に起こられたそうです。あるときなどは、どこから連れてきたのかロバを拾ってきて、大騒動になったことを、笑って話してくれました。ようやく、世話をする約束で飼い始めた犬と一緒にベッドで寝ているところを見つかって、えらく怒られたそうです。でも、エイドリアンじいさんは、すばらしい少年時代を送ったと思います。よき昔のアメリカの一時代ですが、僕には羨ましい気もします。
さて、ベイブ・ルースが60本のホームランを打った頃、エイドリアンじいさんが15才のとき、同じ年頃の子が就職を始めました。日本で言う中学を卒業すると当時の子はすぐに就職したものだそうです。もちろん、高校へ行く子もいましたが裕福な子だけで、兄弟が多いエイドリアンじいさんの家庭ではみんなが就職しました。父の警察関係や、兄弟の努めている食品店も考えましたが、応募がなかったこともあり、簡単に就職できませんでした。本当は、獣医や動物園などの動物に関係する仕事がよかったのですが、獣医になるには高校を出なくてはなりませんでしたし、動物園は周りにはありませんでした。エイドリアンじいさんは毎日あてもなく、仕事を探して歩いて回りました。
エイドリアンじいさん一家はシカゴの郊外にあるマウント・プロスペクトに住んでいましたが、周辺地区のエルク・グローブ、シャウムバーグ、ローリング・メドウなどには、これといった職はありませんでした。ある日、今日はアーリントンまで行くことにしました。5Kmほどの道のりですが、競馬場ができるという話を兄弟が教えてくれたのです。ひょっとして、馬に関係した仕事でもあれば、と思ったのでした。ゴルフロードから、アルゴンクインロードを通り、オウィドライブを登っていき、ユークリッドアベニューにつく頃に、ようやくアーリントン・パークに着きました。今では、ノースウェストハイウェイで車なら10分というところですが、当時は歩くしかなく、道も平坦でなかったため1時間以上もかかりました。
元気なエイドリアンじいさんも、さすがに疲れて休んでいると、道の反対側にあるパークから、馬のけたたましい鳴き声が聞こえてきました。道を渡り、木のフェンスに座って見物していると、その馬は、他の馬に比べて小ぶりで真っ黒な、しかし、とても気性の荒い馬でした。厩務員や調教師が暴れているこの馬に手を焼いています。この馬は興奮していて鼻を大きく開き、前足で周りの人や壁をける勢いで暴れているのです。そのとき、運命的で、エイドリアンじいさんの子(私の父ケビン)や僕にまで影響がある出来事が起こりました。エイドリアンじいさんとこの暴れ馬と目が合ったのです。エイドリアンじいさんは、そのとき、この馬に向かって少しうなずき、「大丈夫だから、安心しなよ」、と無言で言いました。この黒馬は、それでも、エイドリアンじいさんの目からほかの方向に向き、また暴れ始めました。そのとき、ハーネスを抑えていた一人の厩務員が軽くけられ、地面にたたきつけられました。口の中を多少切ったようですが、すぐに立ち上がり、恐怖に慄いていましたが大丈夫のようです。 一方、暴れ馬は、自由になり、フェンスの方に走ってきました。エイドリアンじいさんとはまだ60フィート(約20m)くらいは離れていましたが、荒い息づかいや、足の痙攣が見て取れました。
まわりにいた人間の会話はよく聞こえませんでしたが、「…注射で…」、とか「…ショットガンで一思いに…」、とか聞こえてきました。つまり、この馬は、手に負えないので殺してしまえ、ということでした。馬の気持ちまでわかりませんが、ハーネスが合わなかったのかもしれません。ひょっとして調教師に前にいじめられていたのかもしれません。それなのに「殺す」、とは、あまりにも可哀想です。エイドリアンじいさんはこの馬が不憫でならなくなりました。この言葉に反応して、エイドリアンじいさんは誰も思わぬ行動に出ました。フェンスを下りて、この馬にゆっくりと近づいていったのです。
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