6.ある春の日の回想。虚構の城の主が、唯一だませなかったもの。

 今まで俺が吐いた嘘と本当、どちらが多いかと問われると、俺は前者だと即答出来る。実際にそう問われた時に、そのように口に出して返答するかと言われればそれについては否定する。


 俺は嘘吐きだ。


 呼吸するように嘘を吐き、繰り返し、繰り返し言葉を重ねれば、それは時に真実よりも強い説得力を持つことを、俺は知っている。


 この生き方を嫌悪したことは、一度も無い。



「シン、飯に行かないか?」


 リクは疲れたような顔をして、煙草を吸いながら言った。珍しいことだ。


 いつもならテープレコーダーから流しているような、何の変化もない無機質な挨拶をして早々と帰宅するのに、今日はそうではなかった。


 こいつは高校の時の同級生で、当時はよくつるんでいたのだが、高校を卒業すると次第に疎遠になっていった。リク以外にもそういった人間は腐るほどいた。ホストなどという水物商売をしている以上、それは仕方のないことだし、逆に都合がいいこともある。


 それなりに上手くやってきた。そんな実感が芽生え始めたそんな折に、ジャンクフード店で死んだ魚のような目をして、ハンバーガーを齧るこいつを見つけたのだ。


 聞けば一月の終わりにバイトをクビになり、消費者金融から借りた金で食い繋いでいると言うから驚きだ。


 俺はこの仕事を始めた時に買ったスーツをリクに渡し、その日のうちにオーナーに会わせた。当の本人は、もうどうにでもしてくれ、とでも言いたげな顔をしていたし、俺が一緒に働こうと持ち掛けても乗り気ではなさそうだったが、断る気もなさそうだったので、リクはその翌日にはホストになった。


 それから一ヶ月、リクはよく働いていたと思う。オーナーは、お前以来の逸材だな、とリクのことを褒めていたし、初任給も、消費者金融の借金を完済しても余る程度には多かったはずだ。


 リクを勧誘したことに大した理由は無い。ルックスは悪くないし、何よりこいつは、当時つるんでいた連中の中では頭がいい方だったと思う。だからこの商売もやっていけるだろうと思ったし、紹介料として俺の手元に入ってくる金も少なくはないだろうと思った。ただそれだけの理由だ。


 どんな思惑があろうと、俺の紹介がきっかけでリクは真っ当な生活を取り戻した(この稼業が真っ当かどうかという疑問は抜きにして)。誰も損はしていない。それでいいだろう。



 リクはラーメンが食いたいと言ったので、クラブから歩いて五分のところにあるラーメン屋に来た。クラブの、二部の就業時間に合わせて、ここは午前九時から店を開けている。そのラーメンは美味いか? と聞かれれば、安い、と答えるのが適当だろう。そんな店だ。


「お前、アクアに入店してから何人を店に紹介したんだ?」


「さぁな、いちいち覚えてねぇよ。まだ三桁までは……いってねぇとは思うけど。三日でケツ割る根性無しもそりゃごまんといたからな、そんな奴はもう顔すら思い出せねぇな」



 リクの場合は特別だったが、俺が声をかけるのは大体、褒めればすぐに調子に乗り、頭が悪く、金を持っていなさそうな人間だ。ホストに勧誘されることをステータスと勘違いしているこういう手合いは、話がしやすいので楽だ。


 勿論そんな輩が入店して上手くやれるとは思わなかった。だがそこは俺の持ち前の嘘八丁だ。そんな路傍の石ころを、これはダイアモンドです。と繰り返し刷り込むことでオーナーの目を欺き、時には荒っぽい手段を用いて入店させた。勿論その嘘は、当の石ころにも刷り込んだ。


「君は絶対にこの世界で成功する。俺には出来なかったが、もしかしたら何年後かに君はロールス・ロイス・ファントムで、大都会の道路を走り回っているかもしれない。この店はそんな、君の第二の人生のスタート地点だ。大丈夫、君なら出来る。俺が保証するよ」


 思い出しただけで腹が捩れるような台詞だ。


 型落ちの薄汚れたセルシオがよく似合うゴミ屑を、鮮やかに彩る才能が俺にはある。女を騙し、搾取されていることにも気付かせないように金を毟り取る術を、俺は知っている。


「悪いことだと思うか? だったらお前はそう思ってろよ。これが俺の一番得意な金の稼ぎ方なんだ。これを辞めろというんなら、月に三桁万円を稼ぐ俺を養ってほしいところだな」


 ラーメン屋の店主は気分の悪そうな顔をしてこちらを見てきた。一杯四百円のラーメンを売って生計を立てる生き方も悪くはないだろう。少なくとも俺はそう思うし、それを不愉快に感じるのは他でもない自分自身の中にある劣等感なのだ。可愛げのない八つ当たりだと思った。


「お前みたいな人間は、一緒に居るとすごく楽だ」


 リクのそんな言葉の本意が、俺にはよく解った。俺も、リクに対して似たような感情を抱いているからだ。


「お前は人を騙すことに長けているよ。天才的だ。俺がお前に近しい人間じゃなければ、お前は俺すらも容易く騙してみせるんだろうな。お前が普段周りに吐いている言葉の殆どが嘘だ。だから、俺は何の罪悪感もなくお前を疑える」


「お前は人を疑うことにかけては誰にも負けないだろうな。だからこそ俺はお前にだけは嘘を吐かない。何故なら無意味だからだ。俺もお前と話していると気が楽だよ」


「嘘だな」


「ああ、嘘だ」


 俺はリクの顔を見て笑った。目も笑っていた。腹の中は笑っていなかった。リクも恐らくそうだろう。そんな風に、見えた。


 俺が嘘吐きだということを、リクは知っている。ここまで生きてきて下手を打ってしまったこともある。きっとリクだけではないだろう。だがリクは……嘘吐きな俺を知っている奴等は、俺の言葉がどこまで嘘かを、理解しているだろうか。


 俺は嘘吐きであって、嘘しか言わない道化ではない。舞台を掻き回した挙句、何も残さぬまま消えていくつもりはない。


 しかし俺は、自分が何を残したいのか、何をしたいのかが判らなかった。


 夜の世界でのし上がり、手を広げていって莫大な富を築く。それもいいだろう。俺にはその野望を実現させるだけの力があると思うし、掲げる目標としては十全だ。


 しかしそうではない。俺がやりたい事はそうではないのだ。喉につっかえた小骨のような、神経に触るこの違和感を、簡潔なレトリックを以って表現出来ないのがもどかしい。


 多くの人間を欺いてきた。だが、そんな自分自身を欺いて、なんでもないような顔をして生きることが出来なかった。



「悪いな、俺から誘ったのに奢らせてしまって」


「気にするなよ。そう思うんなら、さっさと出世して高い飯でも奢ってくれや」


 リクは力なく笑った。そして、俺に背を向けて、小さくなっていく。上手くは言えないが、何かがもどかしかった。


「おい、リク!」


 突如沸き上がった衝動のままに、俺はリクの名前を読んだ。リクは振り返り、どうした、と、野太い声で返してきた。


「あのさ……またな!」


 また、今日の夜に。リクは言った。何故かその言葉に安心している自分がいて、むず痒い気分になった。


 まだ大丈夫だ。もう少しだけ、なんでもないような顔をして、人を騙せる。生きていける。



 家賃三十万円のマンションの一室には誰もいない。人を招いたこともない。俺の嘘が築いた、虚構の城だ。


 コーヒーを淹れて一口だけ飲む。そのままソファに身を預けていると、すぐに眠気がやってきた。ファンデーションを落とさなければならないが、それすらも億劫だ。たまには全てを投げ出して微睡むのも悪くはないだろう。


 思えばリクとちゃんと話したのは、俺があいつをオーナーに紹介した時が最後だった。お互いに挨拶を交わすことはあっても、所謂、身のある会話というものは一度も無かった。


 だが、リクを店に招き入れてから今までの間で、確実に俺の中の何かが変化しつつある。それが良い事であるとは思えなかった。


 リクに対して嘘を吐かない。それは真実でもあり、嘘でもあった。俺は能動的にリクを騙すことはしないだろう。だが、俺は自分自身の中に"よくわからないもの"を見つけた時、リクを騙そうとすることによってそれの正体を見破ろうとするかもしれない。俺を根底から疑うあいつなら、それは冴えたやり方になると思う。


 鏡に映る自分を観察して、容姿を整えるようなものだ。


 今まではそんな事をせずとも上手くやってこれた。だが、それが出来る状態になってしまった今は、なんでもないような顔を取り繕い続けられる自信がない。


 それは致命的な隙だーー


 俺は自分の手でリクを、自分の周囲に招き入れた。その時には、自分の行動に意味を感じられなかったし、今でも意味を見い出す事は出来ない。


 だが確信がある。あの時俺が取った行動は、確実に今後の俺の人生に、何かしらの破壊を齎すだろう。


 虚構の城は、壊れる。


 自分が築き上げたものを壊される不安はある。だが、この城の中で佇む虚しさから、解放してほしい。そんな願望もある。矛盾していると思った。


「もう……三月になるのか……」


 独り言だ。何故か口に出さなければならないと思った。目に入ったカレンダーは二月のまま。俺は店の中で二月という月を跨いで、三月に足を踏み入れた。


 春がやってくるーー


 俺は春という季節が嫌いだ。小学生の頃、俺が嘘を吐いて、ブランコから落とした下級生の女を思い出すからだ。


 学校の遊具を使う権利は、言うまでもなく上級生にあった。にもかかわらずその女は、我が物顔で、俺と数人の取り巻きを差し置いてブランコを漕いでいた。それが気に入らなかった俺は、その女に向かって、背中に虫がついているぞ、と叫んだ。女は咄嗟に背中に手を回し、その拍子に彼女はブランコから落ちた。そんな出来事が、あった。


 その時に女は強く頭を打ったので、当然大騒ぎになった。俺が教師に怒鳴られるのは当然のことだった。だがその時、当時小学三年生だったその女は……


「お兄さんは私に、虫がついてるって教えてくれただけです。本当に背中に虫がいたんです。私、ちゃんと聞きました。ブランコから落ちる時に、虫の羽音を」


 そう言って、なんでもないような顔をして、俺に微笑みかけたのだ。


 春が訪れ、俺が小学四年生なったばかりの時だった。


 そんな春の出来事を、頻繁に思い出す季節が、もうじきやってくる。今までの人生において、あれほどの敗北感を味わったことは無かった。


 あの女を憎むことはしないが、あの女に負かされた俺を、自分自身を許すことが出来なくなってしまう。負けた自分を騙すことだけは、出来なかった。


 あの女の名前は、確かーー


 そこまで考えたところで、俺は瞼を閉じた。


 そして、眠ったーー




 

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