4.ヒロの灯
僕以外のみんなは、呆然としていたが、少し経って事態に気付いた。
機械人や砲手は、残った冷たい仔を集中攻撃で全て片付けると、誰もが我先にマナの下へ殺到した。
リズのハントレスが、いちはやく翼の檻に辿りつき、壊れかけの腕を、シラサギだった金属塊に叩き付ける。
まるで泣いている様に、点滅する目からは、溶けかけた液体金属が流れている。
衛視たちは砲塔でありったけの弾を撃ったが、檻には通じない。
あの母を閉じ込めるべく、マナが全てを犠牲に作った檻だ。
無駄なことは、分かっているけど。誰も抵抗せずには、いられないんだ。
それくらい、マナの存在は大きかった。
トーチカの砲手、ライゴウにギャビンを撃たされた村人が、拳を叩き付けた。
嗚咽。母にやられて曲がった砲身じゃ、弾も撃てない。
僕は、トーチカを出た。
みんなの苦しみを見ていられなかったのもあるけど。
一番、ショックを受けてる子の下に行くために。
カグヅチは、僕の言った通りにイズミを守っていた。
突き立てた剣の、石突についた手、その掌の間に、イズミの小さな体を庇っていた。
母の能力で、足元のキカイが歪んだせいで、やぐらは完全に崩れている。落差10メートル、ああやって守られなかったら、ひとたまりも無かっただろう。
相変わらず、朽ちた石像みたいにたたずんでいるが、今度ばかりはそれが頼もしかった。
「イズミ、無事なの?」
僕の声が聞こえたのか、イズミは手のひらの間からひょっこり顔を出した。
良かった。ちょっとすすけてるけど、大丈夫みたいだ。
「……平気だよ、にーちゃん。静かになったね、かあさんが勝ったんだ。あの壁が、キカイの母っていうやつ?」
マナの作った翼の檻を、無邪気に見つめている可憐な目。
最後の叫びは、異界人である僕にしか聞こえていない。直接戦いを見てなかったイズミには、結末が分からない。
僕が、伝えなきゃならない。マナの事を。
拳を握って、口を開こうとした、その瞬間だった。
がごん、という不気味な音が、翼の檻の方から響いた。
振り向くと、ハントレスや機械人、砲手が動きを止めていた。
味方じゃない。
音は大きくなる、がん、ごん、閉じ込められた怪物が、力任せに扉を押し破ろうとしている感じだ。
ずど、という音と共に、翼の檻から黒い棒が突き出た。
あれは、ニケの双剣。
がぎ、ごご、という嫌な音を出しながら、双剣が隙間を広げていく。
やがて十分な隙間が広がると、液状の金属が漏れ出て来た。
金属は形状を変えていく。青くとげとげしい機体の装甲、羽飾りのついた頭部、光る黒い目、いびつな片翼。
間違いなく、機械の母が操る機神、“ニケ”だった。
『まったく、いまいましいことです。必要のない愛に、命を捧げるとは。私の操作も受付ぬまでに、液体金属を固めるなんて』
あれほど自在に液体金属を扱えるキカイの母でも、マナが命がけで固めた檻は溶かせなかった。だから、物理的に破壊して、隙間から出て来るほか無かったんだ。
リンのハントレスが目を光らせた。三本の指で、剣を握ると、ニケめがけて斬りかかる。
『……ライゴウの腕ですか、機神の加工操作とは、坂下愛実は、並外れていた様ですね』
双剣を使うことすらなく、ハントレスの一撃は止められている。
胴体を蹴りつけ、キカイの上に叩き付けると、ニケの目がこちらを向いた。
『おや、カグヅチ。懐かしい』
目の前に、ニケが現れる。カグヅチより小柄とはいえ機神。高速移動の風圧で、僕は吹っ飛ばされ、キカイで背中を打った。
『動いていない。適合者は、
首を回して、僕を見つめるニケ。
殺される、ひとたまりもない。
震えながら、座り込むことしかできない。
『かあさま、やめてください!』
ニケの目の前に、少女が現れた。いや、あれはカグヅチ、この一年僕と過ごした、僕の脳が作り上げた音と光の存在だ。
とはいえ、キカイの母であるニケにも認識できるらしい。
『カグヅチ……どうしたというの。まさか、1年も経つのに、まだ適合していないの』
『お願いします、どうか見逃してください、マナはだめでも、きっとヒロは、私を使いこなして、かあさまの求める愛を手に入れて帰ってくる』
信じられない、カグヅチは、あれだけ恐れていたキカイの母を説得しようというのか。
一体誰のために。かばっているイズミのため、あるいは、僕のためか。
『マナは、強かったでしょう。愛も深かった。次はきっと、もっと強くなって、かあさまに通じる愛を持って戻ってくるから、ヒロとイズミを、みんなを助けて』
ひゅうん、と空気とカグヅチを過ぎ去った双剣。
少女の姿が、煙の様にかき消えた。
『……おかしいですね、適合者と同調してもいないのに、私に刃向かってくるなんて。何を学習したのでしょうか』
声が出ない。
分かってしまう。カグヅチ、僕と話してきた、僕のためにカグヅチが作り上げてくれたインターフェイス。僕と話せるカグヅチの意識は、今キカイの母に消された。
母は学習と言った。僕のために、僕が喜ぶ様に作られた、あのインターフェイス。
この1年僕と過ごして、僕だけじゃない、マナやイズミや、村のみんなまで守ろうとした。あいつなりの、愛を得ていたんだ。
生気を失い、ただ、たたずむカグヅチ。その頭部に向かい、ニケが双剣を振りかぶる。
掌で、呆然とその様を見守るのは、イズミだ。
『おや、マナの娘。ついでに破壊しておきましょう。愛から来る憎悪は面倒です』
剣が振り下ろされる。
カグヅチが壊される、イズミまで、殺される。
マナが消えて、カグヅチが消えて、守ろうとしてたイズミまでが――。
『や、め、ろおおおおおおおおっ!』
自分が、別の何かになったみたいに。
腹の底から叫んでいた。
がぎり、という重い音が響く。
石像が両断された音じゃない。
恐る恐る目を開けると、カグヅチが右手を上げていた。
カグヅチ、そう、インターフェースではなく。機神、“カグヅチ”だ。
『適合した、というのですか……!』
ニケの双剣は、カグヅチの持っていた大剣、その石突で止まっていた。右手の平でイズミをかばい、左手で大剣を上げたのだ。
錆が剥がれ落ちる様に、石像の様だった表面がこぼれていく。その装甲は、烈火のごとき朱色。鋭い目は、黄金色に輝き、ニケの黒い目をまっすぐににらむ。
鷲のごとき口ばしが、ゆっくりと開く。鼓膜を引き裂くような、怪鳥のいななきと共に。口の中から、真っ赤な炎の塊が飛び出した。
『うぐっ……!』
火吹きなどと比べ物にならない炎を吹き付けられ、ニケの装甲がみるみる融解する。僕も皮膚が焦げ付きそうだ。どういう原理か分からないが、機神さえ溶かす炎が、カグヅチの能力の一旦らしい。
ニケが距離を取り、マナの作った翼の檻の中へ逃げ込んだ。
追い払えたのか。気になるけれど、あれだけの炎に、僕より近かったイズミは。
「カグヅチ、イズミはどうなったんだよ!」
憤る僕に、カグヅチはしゃがみ込むと、右手を差し出した。目をつぶって、頭を抱えたイズミが、無傷でぷるぷる震えている。
「イズミ。良かった……本当に」
小さい体を抱きしめて、無事を確かめる。
本当に、助かってよかった。マナとカグヅチが、命がけで守ったこの子が。
本気で想うと、こんなに嬉しいのか。
「あれ、にーちゃん、私……母さんは、カグヅチのおねーちゃんは?」
腕の中で、眼をぱちくりさせるイズミ。この子にも、あいつは見えていたのか。
僕がそう願ったのか、僕のために、この子に見えた方がいいと学習したのか。
いずれにしろ。この子には、マナを失った悲しみが襲う。
それを想うと、僕まで置いていくわけには行かない。
地面が再び震えている。この振動は、キカイの母が現れた時と同じだ。
ニケ、恐らく本体であるあの母の所へ戻ったのだろう。
マナの作った翼の檻に、内部から強烈な衝撃が走る。亀裂とへこみが広がっていく。もはや味方も、村の方へ退避し始めた。それでいいんだ、生き残って欲しい。
マナには及ばないかも知れないけど、今度は僕とカグヅチの番だから。
僕を見上げるイズミに、精一杯微笑んで見せる。
「イズミ。ちょっと待ってて。全部、終わらせてくるよ」
「にーちゃん……分かった、まってる。ぜったい、ぜったいかえってきて……」
強く、僕の手を握るイズミ。
涙をこらえてる。分かるんだろう、マナが死んだこと。
「マナの代わりには、なれないと思うけど。僕は君を、愛してるよ」
自然に、言えた。
誰かのために涙を流す事、真剣に想い、命がけになる事。
あんなに怖かったのに、今はできる。
ためらいは、捨てられたらしい。
「カグヅチ、行こう!」
強くいななくカグヅチ。降りて来た右手に飛び乗ると、僕の体が胸元へと運ばれる。
装甲が迫る。いいや、ぶつかったりしない。
分かるんだ、カグヅチは僕を受け入れて、僕はカグヅチを必要とするから。
不思議な空間が広がる。
上も下も無い、青白い海の様な場所に僕は立っている。
これが、カグヅチの中、機神と同調するということ。
周囲が切り替わる。まるでガラス張りのドローンみたい。パノラマ写真の、もっと精巧なものみたいだ。球状の範囲、あらゆるものがはっきりと見える。
今僕は、カグヅチになってるんだ。これは、飛んでいるカグヅチの機体から見る光景。
空中から見ると、改めて状況はひどい。
もう下には、溶けた機械人と、冷たい仔やライゴウの量産品の溶け残りしか見えない。何人か、衛視隊の生き残りや、砲手たちが村の方に逃げ延びてくれている。
後は、マナに代わって、僕が守るだけだ。
顔を上げると、正面にはおぞましい光景が見えた。
マナの作った翼の檻が、キカイの母の本体によって、どんどん崩される。相変わらず、液体金属の操作だけは受け付けず、物理的に破壊するしかないのだろう。鼠色に硬化した腕が、何度も何度も内部を叩き、穴を空けては、いやな音を立てて引きはがしていく。
あんなものに、本当に勝てるんだろうか。マナも言ってたけど、つい今、機神を動かしたばかりの僕だ。
何も聞こえないはずなのに。背中を抱かれる様な温かさが、僕を包んだ。
カグヅチ、消されたはずのインターフェイスが、いつもみたいに囁きかけてる気がする。
そうだ、僕は一人で戦うんじゃない。インターフェイスが消えたって、カグヅチはずっと僕を見てくれていた。
『分かってる。恐くなんかないよ、お前と一緒だ』
カグヅチが強くいななく。そうだ、あの剣を使おう。
まるで画面が分かれてるみたいに、動きが手に取る様に分かる。外にカメラが浮かべてあるみたいに、カグヅチの細かい動きまで全部頭に入ってくる。
名前が浮かぶ。ニケの剣を押しとどめた、この大剣の名。
『
カグヅチが大剣を掲げる。長年、地面に突き立っていた分厚い刀身、半分から先の部分には刃に沿って吹き出し口の様なものが並んでいた。
火焔噴き出す、灼熱の剣。使い方は、頭に入ってくる。
母が檻を引きちぎった。命を捧げたマナの翼を、無残に引き裂き、立ち上がる。
でかい、カグヅチの何倍あるんだ、頭の方に雲がかかってる。
『カグヅチ、シラサギよりは、強く作りました。あなたの愛、見せてもらいましょう』
母の手が、足元のキカイに入っていく。
はるか遠く、丘や山まで覆いつくした液体金属が、みるみる小さくなっていく。
貧弱な土が丸見えになるほど、母の手に集まってきている。
つかみ上げて振り上げるのは、横幅だけで20メートルはあろうかという天を突く大剣だ。
『この剣ならば、シラサギでもハエの様に屠りましょう。愛あらば受けて見せなさい!』
雲をかき消し、山をえぐり、柱の様な刀身が迫る。
どんな機神だろうと、当たれば粉砕、吹き飛ばされる。
だからって、ひるんでたまるか。
『うおおおおおおおおっ!』
燃え上がれ、強い心よ。
カグヅチ、お前の力を、炎を見せろ。
背中に広がる炎の翼。かかげた咆炎、刀身の噴出口から、真っ赤な炎が吹き上がる。
燃え上がる炎の剣、大質量の液体金属さえ断ち切る、高熱がこの剣の真骨頂。
僕の叫びに呼応するように、カグヅチが甲高くいななく。
迫ってくる剣めがけて、下段から咆炎を一閃。
両手に感じるわずかな反動、こちらの剣は無事に振り抜かれた。
真ん中で断ち切られた母の剣が、勢い余って水平線の向こうまで飛んで行く。
行け、カグヅチ。
僕の心に応える様に、炎の翼が大きく羽ばたく。
眼前に迫った母に向かって、カグヅチと咆炎が一本の刃となった。
手ごたえ、有りだ。
振り向くと、女神の形をとった母の、首と右肩を袈裟がけに斬り下ろしていた。
『強い、強い炎。激しい愛、あなたのどこにそんなものが……マナの様な、私への憎しみですか』
溶けた首を拾いもせず、母が僕を振り返る。マナに憎しみか。キカイを憎んでいない人など、ラジオナの人間に居るんだろうか。
でもそれは、僕にはピンとこないかも知れない。マナは死んだけど、それは自分の愛に殉じたこと。みんなみんな、戦いの中に消えて行った。
『違うよ。マナやカグヅチがやった様に、僕はみんなを守りたいだけ。ただ、本気で守りたいだけなんだ。だから、あんたに負けるわけにはいかない。覚悟、してもらう!』
突き付けた咆炎に、陰りは無い。斬り伏せてやる、どこまでも。
『……なるほど、今目覚めたばかりの異界人。もしかしたら、私の望む存在かも知れません。あなたが、それであれば、この地をこの地の人間達に還しましょう』
殊勝な事を言う。信じられると思うのだろうか。
まあ、ライゴウの様に人間を裏切った奴はともかく。キカイの母自身が僕たちをだましたことは無かったけれど。
母の体が溶けていく。みるみる形を失うと、排水溝に吸われる水の様に、周囲のキカイごと地面の中に潜っていく。
後には、巨大な大穴。底知れぬ暗黒が続いている。
『ついてきてください、この体をいくら斬っても、あなた方のいう所の死など、私には決してあり得ません。皆を助けたいのなら、方法はこれだけですよ』
罠丸出しにも見えるけど。
ただひとつ、普通の戦い方で、母を倒してしまうのは不可能というのは分かる。大体、こいつは全てのキカイの母。すなわちこのカグヅチをも作った。勝てるように作られてるとは思えない。
僕たち異世界人を転移させてるのもこいつらしいし、愛というのを得るために、人間に力を与えて、いつまでも争っている。戦いを終わらせるかどうかは、こいつの胸先三寸ってやつなのだろう。
『行くか、カグヅチ』
一人じゃ怖くっても、こいつとだったら。
カグヅチが強くいななき、炎の翼を広げる。
奈落の底めがけて、僕とカグヅチは飛び込んだ。
地上の光が、あっという間に小さくなっていく。
はるかな地上に、イズミ達を残して。キカイの母の懐へと。
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