2.マナと僕とイズミ


 マナ。坂下愛美は、さばを読んでいなければ、今年で27歳だ。


 8年前に大学のサークル丸ごと、このラジオナに呼ばれて、その日に機神“シラサギ”と適合。それから、ラジオナ人や一緒に来たサークルのメンバーと共に、戦って戦って戦い抜いた。

 今はキカイ達の本拠地に近いこの村まで、ラジオナ人の戦線を導いている。


 あの戦闘から4日。板づくりの部屋。3人座るのが精いっぱいの少し歪んだテーブルから、僕はマナの黒髪、ポニーテールが揺れるのを見守る。

 戦いにも、家の事にも。僕より小さな体なのに、この人は、忙しくよく働く。エネルギーの塊というか、落ち着きのない小動物とでもいうか。


「そらできたぞ、イズミ、ヒロ」


 生き生きとした笑顔と共に、キッチンから運ばれてくるのは、今日の夕食。


 パンに酢漬けのキャベツ。それからなんといっても、塩をしたサバに似た魚を、天火で焼いたのがいい。ラジオナじゃ最高レベルの食卓だ。


 キカイが土地を埋め尽くしていくラジオナじゃ、まともな食料を得るにも一苦労。向こうじゃ魚も野菜も苦手だったけど、ラジオナに来て一週間で、食べられることのありがたさに気づいた。


 僕の隣の女の子が、ぺろりと唇をなめる。


「お母さん、本当にいいの? 今年の冬は厳しそうって」


「いいんだイズミ。もうすぐ、キカイの母の所まで行ける。状況もきっとよくなる。しっかり食べて大きくなりなさい」


「はーい!」


 イズミと呼ばれた女の子は、手を合わせてパンにかぶりついた。

 マナは、戦いの中で一緒に来たサークルの先輩と恋仲になり、この女の子イズミを生んだ。マナと似て、元気にあふれていて、少しも屈託を感じさせない。


 僕も魚の頭と尻尾をつかみ、胴体の身を食べ始めた。


 一方、イズミのパンはもうなくなり、野菜は魔法みたいに消えて、魚は骨と化していた。さすがに成長期。物欲しそうに見回して、僕の魚にあざとく目をつけると、すそにくっついてくる。


「ねえ、ヒロにーちゃん。わたしにも、ちょっとちょうだいよ。ね、ね?」


 猫みたいにこっちを見上げて、媚びた笑みを浮かべる。マナと同じ、さらさらの黒い髪の毛が手の甲をなぞり、言葉に詰まった。

 マナがため息を吐いて、たしなめる。


「意地汚いぞ、イズミ。見た目は私似のくせに、性格はまるっきりタイガを継いだな」


「そうなんだ、お父さんといっしょかー、なんかうれしい。ね、ねいいよね。ヒロにーちゃん」


 無垢な視線が、きらきらと訴えかけてくる。僕の思考から出てきたカグヅチは、絶対やらないわがままで迷惑な気まぐれ。

 もし男なら絶対友達になれないタイプだけれど、女の子は嫌えない。


「しょうがないな。じゃあ、残り食べていいよ」


「ありがと、にーちゃん!」


 腹のうまい部分の身を渡してやると、イズミはささっと食べてしまった。


「すまないな、ヒロ」


「ううん。1年も世話になってるんだ、機神も動かせない僕が、たくさん食べてもひんしゅくだしね」


 ごく自然に出た自己卑下の言葉に、マナの顔が厳しくなった。

 やってしまった、面倒くさいことになる。


 立ち上がったマナは、僕に寄ってきて肩を抱く。

 まるで僕のことを息子か何かみたいに扱ってくる。


 細い肩や、枝垂れかかるびんの髪が、僕をどう思わせるか知らずに。


「……ヒロ、良く考えろ。ライゴウは機神だぞ、なまかな奴じゃない。ランスとギャビンの犠牲は、ベースの攻略で村を空けた私の責任だ」


 完璧な事を言う。30歳にもなっていない人が、僕と同じように流されてきただけの人が。いらだちをぶつける様に、言葉が出てくる。


「でも僕が。僕も、異界人なんだよ。カグヅチは、僕に語りかけてくるんだ。タイガさんみたいに、僕だって戦わなきゃいけないんだ。僕が人を愛せない冷たい奴だから、こんな事に……」


「よせ。自分を責めるな。それに、戦士の基準で言わせてもらえば、今機神が動いたからといって、機神を相手に、慣れない君が皆を守れたとは思えない」


 今度は、厳しい父親が言うような正論。

 何もかも、完全に敵わない。

 マナはきっと、僕の事なんか絶対に認めない。


 悔しくて黙っていると、いたわるように肩をなでてくる。


「……2人の葬儀で泣かなかったことを気にしているのかも知れないが。誰にでも、それぞれの悼み方というものがある。私は知ってる、ヒロは優しい。冷たいとは思わない」


 傷口をそっと照らすような言葉に、悲しみを我慢した目が痛くなってきた。

 涙を見られたくなくって、そっぽを向くと、イズミのまっすぐな目にぶつかる。


「ヒロにーちゃん、どっかいたいの? おかあさん、ひどいこといった? ときどきこわいもんね、わたしおこっとこうか」


 舌っ足らずなくせに、マナそっくりの優しい声。

 ああ、本当にいらいらさせる親子だ。


 僕は立ち上がった。

 呆然と見上げる2人を、傷つけたくなくて、必死に笑顔を作る。


「カグヅチの、所へ行くよ。何か変わってるかも知れない」


 黙って、顔を見合わせる2人。

 なんか、母娘っていうより、年の違う双子みたいに見える。


 そんなに似ている2人が、僕の勝手を止められるはずが無く。


 僕はまた、やぐらにたたずんでいた。

 相変わらず、カグヅチは石灰質のまま、この間と変わらない鋭い目で夜の闇を見つめているばかりだ。


『足りないのね、愛』


 現れたカグヅチに、僕は拳を握り締めた。

 でもやめとく。どうせ、こいつは僕の頭の中だけの存在だ。


 黙ってうつむく僕に寄り添い、カグヅチがささやく。


『今なら、殴れるわ。あなたの脳が、あなたに殴られる私を望んでいるから。きっと私も痛いし、泣いてしまうかも知れない。あなたの期待通りの反応ができる』


 ますます、何もする気も起きなくなる。

 マナ達もマナ達だけど、こいつもこいつだ。僕の脳が、望んだ存在のくせに。


『ねじまがって優しいのね。前の主を思い出すわ』


「知ってるのか」


 タイガのこと、つまり、マナの夫だった人、カグヅチの前の操縦者のこと。


『機体は覚えているもの、あなたの望むように語りましょうか?』


 カグヅチの目が妖しく細められる。


 タイガ、1年きりのマナの夫。僕の前に、カグヅチと適合した、異世界人。


 マナと2人でどう戦ったのか。どんなふうに気高く死んでいったのか。


 2人が必死に戦ってころ、小学生の僕は夢中でゲームをしてばかりで、ラジオナの存在すら知らなかった。


 マナとの時間は、埋め様がない。

 今さら、何ができるっていうんだ。


「……止めとく。それ聞いてお前を動かしたら、村全部焼きそうだから」


 僕の言葉に、カグヅチがころころと笑いだす。


『うふふふ、優しいのに激しいのね、年相応の欲望が』


「ほっとけよ、僕はそんなだ。タイガは死んだんだろ、僕の知らない所で、マナのこと愛して、イズミを作って、格好良く死んだんだろ。それだけなんだ。知ってるよ、マナがあんなに強くなったのも、言葉遣い変えたのも、タイガが死んだときからなんだ」


 本人が話さなくたって、村の人から漏れてくる。僕にだって、人の話ぐらい聞ける。1年も居たら、大体の事情なんて。


 繰り返すけど、そんな大きな出来事の間、僕はラジオナの存在すら知らない小学生だった。そう、僕の何も知らない間に、19歳のマナは。ご立派で完璧なタイガと、命懸けで愛し合っていた。


 何が愛、そんなもの、あるだけ辛くなるだけじゃないか。


 マナが嫌いだ。嫌わなきゃ、正気で居られない。


 そうだ、ジャベリナに乗ってたランスも。ポーンに乗ってたギャビンも。ギャビンを撃ち殺してしまった砲手も。婚約者を失ったリンだって。


 一番最初に、僕を真っ先に受け入れてくれた奴らなんだ。

 せっかく来た異界人の僕が、カグヅチを起動できなくても、気にするそぶりも見せずに仲間に入れてくれた奴らなんだ。


「……余計だよ。余計だ、そんなのあったら、僕は、僕は」


 声が震えてくる。あいつらは他人だ。他人だって思わなきゃ、こんな事ってない。


 戦ってるから、キカイが襲ってくるから。人が死ぬことは分かってる。分かってるふりをしてなきゃ壊れる。耐えられなくなる。


 すでに耐えられない僕は、やぐらにひざまずいた。こらえきれずに嗚咽が漏れる、カグヅチに聞かれている事すら、嫌なのに。涙は、止まってくれない。


『私よりも、適材が来たわね』


 脳波の塊が姿を消した。

 たいまつをかかげて、やぐらを上ってくる人影は、マナとイズミだ。

 イズミのやつ、はしごまで登れるようになっていたのか。


 あわてて涙をぬぐって、体を起こす。あれだけ苦しかったはずなのに、マナの前だと思えば、不甲斐ない顔はできない気がした。


 もっとも、母親と姉を足して二で割った様なマナには、そんなの通じない。

 僕の気持ちは見抜いたうえで、うまいこと触れずに、機神のカグヅチを見上げる。


「……どうしたの、マナ?」


「少し、感慨深くてな。タイガが死んで大分経つが、再びここまで来られたのだ」


 マナは2度、キカイの親玉の喉元に迫っている。


 キカイの親玉。それは『キカイの母』と呼ばれる、巨大な存在だという。


 そいつは、大昔に空から落ちて来て、この世界にキカイを増幅させ続けている。

 宇宙人って概念があんまりないラジオナ人には分からないみたいだけど。どこか遠い星の存在が作った、惑星を金属資源化するための兵器だそうだ。


 もっとも、僕が直接確かめたわけじゃない。あくまで、カグヅチの言葉を信じるなら、だけど。


 とにかくそいつを破壊すれば、この金属状のキカイの増幅は止まる。その後、異世界人や機神が力を合わせて少しずつ地上を広げていけば、人間は再びこの世界で繁栄することができるだろう。

 というか、それができなきゃ、ラジオナ人は徐々に追い詰められてみんなキカイにされるだろう。


「……前にここまで来たときは、また戻れると思わなかった。私1人になってしまったが、主要なベースは破壊できた、もうすぐ決着を付けられる」


 マナと共に来た異世界人は、タイガも含めて20人近く。それからずっと戦い続け、マナを残してことごとく死んだ。あのライゴウに乗ってた男が最後だった。


 失った悲しみを、この人は一度も僕に見せたことが無い。


 1人きりでも、ラジオナ人と一緒に戦い、イズミを育てて、僕を引き取って面倒を見てくれる。これ以上なんてあるだろうか。


「すまんな。個人的なことを言った。それに、君には関係の無いことだった」


「そんな事ないよ。そんな事……みんな、機神で戦ったんだろ。あのライゴウだって、元は異世界人だし、動かせたときは、人を愛する事が出来たんだ。僕なんかと違って」


 僕は知ってる。機神は一度異世界人を認めたら、その後異世界人が何をしようと付き従う。月並みだけど永遠の命とか、思い通りになる美しい体を求めて、キカイの側についた奴らは少なくない。


「ヒロ、君はあんな奴とは違う。きっと、きっとわかるさ」


 大人な物言いに、とうとう感情が爆発した。


「それはいつだよ。何なんだよ。大体、マナもだよ、そんなみんなが死ぬ様なことになんて関わらなきゃいいんじゃないか。一緒に来た人がみんな死んでも、まだ戦う意味が分からないよ! 戦いなんかに関わるから、勝っても負けても、どうせ傷つくんじゃないか」


 マナは何か言おうとして、言葉を失ったみたいだ。

 イズミが、その手をぎゅっと握って、僕に厳しい上目遣いを見せる。


 なんだ、僕が悪いのか。それはそうか。僕だって知ってる、機神が戦わなきゃ、ラジオナ人は、人間は負けてしまうってことも。


 でも。


「……嫌なんだよ、みんなが死んじゃうことも、殺さなきゃいけないことも。必要だからって、それができることも。優しいなら、殺さなきゃいいじゃないか」


 食いしばっていたものが砕けて、涙が再びこぼれ始める。

 膝を突いた僕に、マナの腕が伸びた。


「ヒロ……全てが、お前を苦しめるんだな」


「違うよ。悪いのは、僕だ。1年も経つのに、ここになじめない、この僕だ。かかわれないんだよ、人と。こんな世界で、人とかかわったら、傷つくじゃないか。どうせ、みんなすぐ死ぬんだから」


「ひろにーちゃん……」


 僕が何を考えているかも分からないだろうに。イズミはしゃがみこんだ僕の頭をなでてくる。ごく自然に、傷ついた生き物を慈しむ。この子は、マナの娘らしい優しさを持ってる。


 マナがしゃがみこみ、僕の目を見つめる。


「ヒロ、ならば私が約束しよう。今度の攻勢で、きっとキカイの母を討ち取る」


「マナ、でも」


 僕の言葉を遮る様に、闇の中に、シラサギの美しい機体が浮かび上がる。

 音もなく、カグヅチの前に降り立つと、まるで臣下の礼でもするかのように、丁寧にひざまずく。高貴で忠実な白銀の機神だ。


「安心してくれ。きっと、このラジオナから、お前を悩ます戦いを取り除く。そうすればお前も、安心して何かを想うことができるはずだ。失う恐怖に、悩む事は無い」


「マナ」


「おかーさん、また行くの?」


「ああ。次で最後だ、今度はみんなで行く。きっと、勝つぞ」


 マナの言葉に呼応するように。カグヅチの背後の海、はるか遠くの水平線に、無数の灯火が見えて来た。


 味方の増援。キカイの母の本拠地を叩くべく、ラジオナ各地から集まった機械人や冷たい仔を利用した兵器。戦力の第一陣が到着したのだ。


「すっごい! ふねだ! いっぱい、いっぱいだよー! わたし、こんなにたくさんみたことなーい!」


 興奮してぴょんぴょん跳ね回るイズミ。僕も見たことが無い、これだけの戦力が集結するなんて、本当にキカイの本拠地を落とす気なんだ。

 立ち上がった僕の背中を、マナが軽く叩いた。


「ヒロ。君くらいの頃は、私もあまり信じてはいなかったが。誰かのために何かをするということは、案外悪くないんだ。だからこそ、これだけの者が集まる」


 あの船、全てが。純粋な奴しかいないということもないだろうけど。


「カグヅチが、どうあろうと。争いを嫌うお前の優しさは、キカイの去った後、きっと皆の役に立つだろう。気にすることも、心配することもしなくていい」


 マナ。戦えない僕なのに、許してくれるというのだろうか。

 イズミが僕を見上げて来る。


 機神を動かせなくても、すこしならキカイを操れる。


 部隊の編制、侵攻の準備、村の拠点化。

 手伝えることは、何でもやろうと思った。

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