第1話 転校(2)

 校長室のドアの前で、担任はインターホンを鳴らした。美空ひばりの『川の流れのように』のメロディが流れる。やりたい放題である。

―― 誰だ! 合言葉を言え!

 インターフォンから厳格な声で耳を疑う質問が投げられる。

「犬よりも猫!」

 おいおい、合言葉を言ったよ……。

―― ニャー! よし入れ!

 この校長にして、この担任有り、か。類は友を呼ぶのだろう。

 担任は俺に合言葉を覚えておくようにと言った。アホか。

 担任が重厚な扉を開くと、中に一人の老人が座っていた。彼が校長なのであろう。校長は手招きをして俺を招じ入れる。校長に近づくと、彼はニコニコと笑い、問いかけてきた。

「君が若き封魔師の赤根焔君だね?」

 俺は驚いた。

 いきなり俺が封魔師であることを告げたのである。

 俺たち封魔師は普段、一般人に封魔師である事がバレないように暮らしている。自ら封魔師である事を喧伝する事も、知人に漏らす事も厳重に禁じられているのだ。

 ところが校長は、俺が封魔師である事をなぜか知っていた。

 俺が驚いた理由はそこであった。

「心配せんでもエエ。ワシは長老会と深い繋がりがあるんじゃ。長老会の水葉からな、ホムラ君の事を頼まれたのでなぁ」

 校長はそう言って俺に笑いかけた。

 俺は水葉の名が出た事で少し安堵した。

「ワシは長老会と蜜月の関係でなぁ。そのおかげで、この職にありつけたのじゃよ! いわゆる天下りじゃ! 天下り! 再就職先がこの高校なんじゃよ! ウワッハッハ! ここはええぞー! 女子高生のパンチィも見られるし……」

 こんな奴の命を核シェルターで守っていると思うと、世の中を叩き壊したい衝動に駆られる。

「いや、しかし、よう来たのう、ホムラ君。よう来た、よう来た……」

 校長は俺を値踏みするように上から下までジロジロと観察を始めた。

 俺は一見普通の学生である。

 身長は一七三、体重六十五キロという平均的な日本の高校生だ。黒髪が少し長いと言えば長いが、校則違反になる長さではない。適度にウェーブした前髪が少し洒落ている、と俺自身は思っていた。

「うーん、稀有な才能を有する若き封魔師にしては、あんまりピンとこん容姿だなぁ。こう華がないというか……。そうじゃ! 髪を染めるか? 髪を染めよう! そうじゃな……。うん、紫はどうじゃ? 紫に染めよう!」

―― 紫とか! ないない!

 俺は恐怖のあまり、細かく、そして素早く首を横に振った。

「素晴らしい! 校長さすが! そうしましょう! ホムラ君! 髪を染めよう。紫にしよう。校長、私、髪染め買ってきます!」

 ヤバイ。

 このままでは時々街で見かけるちょっと危ないおばさんと同類になっちまう。

 俺はこの危機から何とか抜け出すべく、校長に意見を述べた。

「あ、あの、校長。お言葉ですが……。髪を染めるのは校則違反だと思いますが……」

「何? 本当か、君!」

 校長は担任に問いただした。

「えーと、そうですね、生徒手帳には、髪を染める事を禁ず、と書いてますね。一応、校則ですね……」

「中止じゃ!」

 机を勢いよく叩く校長。

 俺は校長が髪を染める事を諦めた事に胸をなでおろした。

「そんなバカな校則は、即刻中止じゃ!」

「そこかよ!」

 思わず声が出た。

 しかし、そんな校長を太鼓持ちの担任が囃し立てる。

「さすが校長! 私もこんな校則は可笑しいと思ったんですよ!」

 ヤバイ。

 俺は焦った。

 この状況で何が憎いって、腰巾着の担任が一番憎い。担任が俺を守ってくれないでどうする!

 こうなっては自分の身は自分で守るしかない。

「こ、校長先生! 今の若者は髪を染めるよりも、その、黒髪が、カッコイイと言われているんすよ! 黒髪の方がニューヒーローっぽくていいっすよ! 髪を染めるのはダサいっすよ!」

「何? 本当か、君!」

「えーと、ハイ、私の生徒も皆、髪の毛を染めている者はおりません! はい、校長、一人もおりません!」

 校則で禁じられているのだから当然だろう。

 しかし、この時ばかりは担任のバカさ加減が愛おしくなった。

「なぜそれを早くいわん! 中止じゃ! 髪を染めるのは中止じゃ!」

 このやたらと大きな黒縁眼鏡をかけ、禿げ上がった頭をした校長は、かなりの気分屋だという事が十分俺に伝わった。白髪の見事な虎髭を蓄え、背は小さいながらも威厳がある。だが、相当のバカであることは間違いがない。俺はそう確信したのだった。

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