第7話
やはり慣れない、この目眩のような感覚に耐えて目を開けると、今度は学校ではなかった。ここは……駅だ。普段は通学のために家からこの高校の最寄り駅まで通っているのだが、自分の格好を見る限り今日は休日らしい。スマホを取り出して日付を見ると八月二十一日、夏休みも終わりの頃だった。そしてふと気が付く。駅には浴衣を着た男女が溢れていた。これは……そうだ思い出した、八月二十一日、まさに花火大会の日ではないか。しかし、花火大会に未練など……。
「お待たせ」
後ろから女の子の声が聞こえた。振り返って、僕は花火大会に関して果たせなかった願いがあったことを思い出したのだ。中学から高校まで一緒だったМさん、正直たいして仲が良かったわけではないけれど僕のあこがれの女性だった。そんな彼女が、僕に、お待たせと言った。
「まさか、花火大会デート……」
「ん? 何か言った? 」
「あ、いやいや、ええと……行きますか」
危うく気色の悪いつぶやきを聞かれるところだった。僕はこれ以上ないくらいの紳士っぷりを発揮し、彼女をそっと電車の中へと迎い入れた。これが、僕の青春に残した最後の後悔。
会場に着いてからというもの、普段の僕ではありえないくらいに会話が弾み、お互い笑顔と話の絶えない時間が続いた。一体どんなチート機能を遣えば僕がこれほどコミュ力のある人間になれるのか、どれほどの大金も惜しまないレベルで知りたいことではあるが、今は自らの悔いを晴らすためにもこのデートを楽しまなければ。
会場内を歩いていると多くの屋台が連なるエリアへ来た。焼きそばに綿あめ、たこ焼きや揚げパスタ、りんご飴にチョコバナナなどお祭りの定番の食べ物が並ぶ中、何故か彼女はお面に食いついた。
「あ、あれ可愛い」
そう言って無邪気にお面屋へと駆け寄っていく。ああ、なんと可愛らしいのだろうか。話すことさえまともにかなわなかったМさんと、理由はどうであれこんなに楽しい時間を過ごせるなんて僕には勿体ないくらいだった。もし今このとき僕の悔いが晴らされてこの時間が終わったとしても、それ以上の満足を僕は得られている。最高だ。ありがとう。
「ねえねえ、これ可愛いでしょ」
可愛らしいクマのキャラクター面を頭につけた可愛いМさんに、うっかりおまかわと言ってしまいそうになるのをこらえる。
「うん、可愛いね」
その時、頭上に大きな花火が大きな音を上げて花開いた。会場のあちらこちらから歓声が聞こえる。ついに打ち上げが始まったようだ。僕らは花火をしっかり見ようと近くの河原まで走って行った。いつの間にか手を繋いでいた。
「うわあ、花火綺麗だね! 」
「うん、綺麗だ……」
女の子と二人で花火を見て感動する、一生叶わないと思っていたことが今、こうして僕自身の体験となっている。夢みたいだ。いやまあ、夢見てるみたいなものなんだけれど、夢ではここまで実感できないだろう。初めてこの現象に感謝した。と同時に、寂しくなった。きっとこの花火が打ちあがり切れば僕の悔いは完全に晴らされる。そうすればこの時間も、終わる。夜空に開き続ける大輪の花火を、ぼうっと眺め続ける。横にいるМさんは楽しそうにはしゃいでいた。僕は彼女のその表情を頭に焼き付け、もう一度花火を見た。最後に打ちあがったのは、空を覆いつくし、見ている全員に降りかかってきそうなほど大きな花火だった。
「あーあ、終わっちゃったね」
「うん、これでお終いだ」
「……じゃあこれ、あげるよ」
そう言って、Мさんは頭につけていたお面を外して僕に手渡した。
「え、でもこれ」
「いいのいいの。思い出に取っておいて。さ、帰ろっか」
そういって駅へ歩いて行くМさんの背中に、声をかけようとしたところで僕はあの目眩に襲われた。最後に、何も言えなかった。
部屋に戻ってきた僕の手には彼女からもらったお面が握られていた。不思議なことに、そのお面は壁に空いた穴にそっくり入るくらいの形と大きさをしていた。僕はそっとお面を穴にはめると、お面は壁と同化して綺麗に穴を塞いだ。
「これで、三つ……終わった」
とても複雑な感情の中、ようやくこの非日常から解放されるという安堵感を確かに感じた。床に座り込んでたまりにたまった疲れを少しでも癒そうとしていると、西山が嫌味な拍手で僕の頑張りをたたえた。
「ぶらぼーぶらぼー、よく頑張ったな、デブのくせに」
「ほんとに一言多いなお前は」
「うるせえ。それでさ……何一件落着みたいな顔してるわけ? 」
「は……? いや、だってもう部屋は元通りに…………」
元通りに……なっていなかった。確かに壁にあった決壊部分は修復された。が、しかし。この空間、いわゆる時間に取り残されているという部屋の状況はまるで変っていなかった。
「お、おい、話が違うじゃんか! これ直したら元に戻れるって」
「ああ、言った。この部屋の異常を取り除けば戻れるってな」
「だからこの部屋でありえないものは全部消えて…………」
「……気が付いた? あっはは、ほんと鈍いよなお前」
「……西山、か」
「おお、ご名答。そうだよ、時間運行管理局とか普通ありえないだろ。俺がそんな役職に実はついていて、都合よくお前を助けるために停止した時間に侵入できるって? んなわけねえだろ。初めっから俺はこの部屋の時空異常と同じくらいおかしな存在だった、まあフィクション見すぎのお前には逆に自然だったか」
「じゃ、じゃあどうすれば」
「あ? ヒントならもうあっただろ。メールに書いてあったじゃんか」
僕は慌ててスマホのメール画面を開いた。
『穴を埋めて、過去を殺せ』
「さあ殺せよ、これまでの、怠惰にまみれた過去の自分をさ」
そう言ったのは、西山の声だった。けれど、そいつはもう西山じゃなかった。西山の声を発していたのは、まるで鏡を見ているかのような錯覚に陥るほど疑いようのない、僕自身の姿だった。もう一人の僕が、そこに立っていた。
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