2『学園最強の少女』

 背後から聞こえてきた凛とした声に、飛び上がらんばかりに驚いた。


 目を丸くして振り返り、声の聞こえてきた方角――訓練場の入り口を見る。中途半端な暗さの中、引き戸を今まさに開けた様子で、その少女はたたずんでいた。




 冷たい印象を与える、美麗な少女だ。


 後ろで束ねられたプラチナブロンドの髪は、わずかな光を反射して煌めいている。エメラルドブルーをした瞳は透き通っていて、声音と同じ凛とした雰囲気が醸し出される。白くきめ細やかな肌が、そんな日本人離れした特徴を持つ少女の美貌を後押ししていた。


 魔術学園の制服に身を包んだ少女。しかし声をかけられていながら、響とその少女の間には面識はない。響の方はともかく、少女の、一度見たら忘れないであろう容姿からも、今が初対面であることは確実だ。




「――あ」




 そう考えると同時、響は自分の目尻に浮かぶ涙に気がついた。


 慌てて袖で拭い、誰何すいかしようと顔を上げると、




「ごめんなさいね。今のを見るつもりじゃなかったんだけど」




「えっ、あ……」




 少女の第一声。それからも分かる通り、彼女が響の醜態を目撃していたとしても何らおかしくはない。むしろ、ある程度は見られていたと考えるべきだろう。




 第一訓練場は訓練スポットとしては文句なしのワースト一位だが、それでもまったく人が来ないわけではない。誰にも見られず練習したいなどと考えながらも、その事を失念していた自分が情けなく。しかも無様な姿を見せてしまったことを思って、響は顔をうつむけ赤面する。


 しかし少女はお構いなしで、ゆっくり歩いて響との距離を縮めてくる。




「本当にごめんなさいね。私も人がいないところで練習したかったから。他のところだと、気を遣われて居心地が悪い……っ!?」




「は……?」




 素っ頓狂な声を上げる響の眼前。話しながら歩を進めていた少女は、言葉の途中で何もないところでつまずいた。


 大仰に手を振り回して空をかく少女は、しかしすんでのところでバランスを取り戻すことに成功。転倒しないですんだ。




「……。あの、大丈夫ですか?」




「……ええ。その、見苦しいところを……」




 視線をそらしてモゴモゴ呟く少女。途端に気まずい雰囲気が流れる中、少女の正面に光の粒子が集まる。次の瞬間、この場に新たな影が現れた。




「キュルゥ!」




「キュルリン? だ、大丈夫だから。だから心配して出てこなくていいのよ。足もくじいてないし」




 キュルリンと呼ばれた影は紺色の毛玉だ。


 長く大きい耳に、丸い瞳。掌よりも少し大きい程度の犬型生物――カーバンクルは、少女の瞳をのぞき込むような位置で宙に浮いて、不満げに喉を鳴らす。




「キュルル……」




「本当よ。私嘘なんてついてないから」




「キュルッ」




「赤くなってないわよ! 変なこと言わないの。夕陽のせいなんだから」




「キュルウ?」




「本当だって!」




 どこか間の抜けたやり取りをする一人と一匹。


 大人びて冷たい印象を与える少女の外観が、この時ばかりはその仕事を放棄して、年相応の柔らかさを醸し出す。


 だが目の前の状況に当惑するのは響の頭の半分。もう半分は別の感情――驚愕で満たされている。理由は至極簡単だ。




「使い魔――?」




 実力のある魔術師ですら、所有できることは少ないと言われている存在。本来なら、学生程度が手にするには分不相応きわまる力であるはずだ。


 それを、響の目の前の少女は平然と使役――それどころか、親しげに会話をしている。


 そんな常識外れの存在に、響は一つだけ心当たりがあった。




「確か、二年の佐倉奏……?」




「だから恥ずかしがってなんか……。え、呼んだ?」




 カーバンクルとの水掛け論を中断して、少女――佐倉奏は自分の名を口にした少年へと顔を向ける。キョトンとした表情からは、少年の抱いている驚愕に欠片も気づいていない様子だ。




「あの、佐倉奏、先輩ですよね……?」




「ええ、そうよ。あ、正確にはミドルネームが入るの。佐倉・セレーナ・奏。それが私の名前」




「そう、ですか」




「まあ、ミドルネームの方はわざわざ呼ばれることも少ないから、覚える必要もあまりないんだけどね。Sって省略することもよくあるし」




「…………」




 のんきに話す奏に、しかし響は押し黙る。




 学園始まって以来の天才。現魔獣対策局局長の娘でハーフ。すでにプロすら凌駕する魔術技術。


 まことしやかに語られるそれらの噂は、生徒間だけでなく教師の間でも飛び交っている。この魔術学園に在籍していて、彼女の名前を知らないものはおそらく一人もいまい。学内の情報に疎い響とて、顔は知らなかったが名前だけなら幾度と耳にしていた。




 それほどまで圧倒的な存在が、”落ちこぼれ”である自分の目の前にいる。


 自分とは明らかに対極に位置する少女が、話しかけてきている。




 その事実を認識した時、響が感じたのは憧れでも喜びでもなく、恐怖だった。隔絶された”差”を見せつけられたような気がして、すでに追い詰められていた響が普通でいられるはずがない。




「すみません。失礼します……っ」




 早口で声を漏らすと、響は奏の顔も見ずに足早に立ち去る。――その手を、奏の脇を通る瞬間に掴まれた。


 予想外の反応に、俯けていた顔を上げた響を、奏はのぞき込んで、




「ひどい顔。そうやっていつも辛そうにして、苦しんでばかりで」




「……いつも?」




「今、噂になってる一年生の"落ちこぼれ"って、君で合ってるわよね?」




「なっ……」




 噂になっている。それは響の無才が上級生にまで知れ渡ってしまったということだ。


 息を詰まらせる響に、奏は息を吐く。そして掴んでいた手を離すと、




「改めて、自己紹介するわね。といっても、私って結構有名人だから、最初から知ってたみたいだけど」




「…………」




「私の名前は佐倉・セレーナ・奏。一応、第二学年の序列一位よ。……それと、こっちにいるのが、カーバンクルのキュルリン。私の使い魔だけど、ペットみたいなものね。可愛いでしょ?」




「キュルゥッ!」




 胸を張るキュルリン。


 やけに人間臭い仕草だが、奏のネーミングセンスと合わせて、響には反応が返せない。




「少しお話ししましょう、菖蒲響くん。――あと、さっきつまづいたことは、出来れば忘れてほしいかも……」




 絶句する響に、視線をそらす奏はそう付け足した。






 * * *






「えっと、そろそろ怯えないでくれると、私もすごく助かるんだけど……」




 訓練所は、様々な行事で使用されることがあるため、観客席というのもいくつか設置されている。


 訓練場と同じ木製のそれに腰掛ける奏は、困った顔で苦笑した。


 その苦笑を向けられる響は、いかにも落ち着かないといった様子で、奏から二つも座席を開けて浅く腰掛けていた。




「別に、怯えてません」




「うーん、それならいいんだけど……。そうやってあからさまに距離を取られると、私も辛いというか……」




「距離を取ってるわけじゃないです。ただ、佐倉先輩が何を考えてるのか分からないだけです」




「キュルルッ」




「分かってる。分かってるから。キュルリンはいちいち私をからかわないの。確かにおかしい話の流れだったとは思うけど。でもつまづいちゃって色々予定が狂ったんだからしょうがないじゃない」




 責めるような声を上げる変な名前の使い魔に、子供のように言い訳する奏。




 奏が、絶句する響を呼び止め提案したのはつい一〇分前。


 反射的な離脱を促させた発作的な恐怖は、奏の親しげすぎる態度に和らげられ、結果としてその誘いに乗るメリットが想起された。


 すなわち、学園最強と話ができる珍しい機会を得るという打算と、学園最強の話とは何かという非常に個人的な好奇心である。




 未だ完全に恐怖がなくなったわけではないが、それでも気がつかれない程度には隠せている。響はそう考えていたわけだが、実際はバレバレだったらしい。




「君、結構分かりやすいけどね? 私ってあんまり人の表情とか読めないんだけど、分かっちゃったし」




「怯えてませんって」




「頑ななんだ……。まあ、君がそういうことにしたいなら、そうしてもいいけどね」




「――それで、話って何ですか? 学園最強の先輩が、"落ちこぼれ"の俺に」




「そう、話ね。話というか、最初は質問からになるけど……」




 そう前置きしてから、奏は表情を改める。


 直前まであった親しみやすさが消え、凛と張り詰めた空気感が場を支配した。




「君は、魔術師を目指してる、のよね?」




「……だったら何ですか」




「そう、目指してるんだ。やっぱりそうよね。でなきゃ必死になって、何日も一人で鍛錬するわけがない。なかなか成果が出ないのに」




「悪かったですね。俺は"落ちこぼれ"ですから」




「別に悪いことなんてないわよ。頑張れるのは一つの才能だと思うし。成果が出ないのに頑張り続けることができるのは、本当にすごいと思う」




「頑張らなくても出来る方が、何倍もすごいですよ……」




「う、うーん。そういうことじゃないんだけどなぁ……。ていうか、さっきからトゲがあるわよ? もうちょっと心に余裕を……それも難しいか」




 自虐的でネガティヴな響の返答に、奏は苦笑を禁じえない。こうも警戒心むき出しでいられると、奏も思うところがあるのだろう。


 響としても、好きでこんな態度を取っているわけではないが、この学園に入ってからというもの、さんざん馬鹿にされ過ぎたせいで、警戒心が強くなっていた。




 それでも彼女は響に向き合って、




「――率直に言うとね、君は魔術師を諦めたほうがいいと思う」




 まっすぐと、非情な宣告をした。


 先に心が反応し、心臓を鷲掴みにされたような衝撃を味わった。遅れて理解が生じて、響は絶句する。




「正直、才能がないのは明らかだし。どうしても魔術に関わりたいなら、研究者の方が向いてるわ。それは断言できる」




「……どうして、俺が先輩にそんな事を言われないといけないんですか?」




 返す響の声は微かに震えている。




「先輩とは、今日初めて会っただけですよね。それなのにどうして。どうしてそこまで言われなくちゃいけないんですか。そんな筋合いないですよ」




「その通りよ」




「だったら! 諦めろなんて、言う必要なんか……!」




「ごめんなさいね。でも勘違いしないで。私は諦めろとは言ってないわ。ただ、諦めた方が賢明だと、そう言っただけ」




「同じことです! 俺が魔術師を目指すのは俺の勝手でしょう!」




 怒る響は声を荒げる。


 無慈悲な宣告は心に刺さった。薄々感じていた可能性を指摘され、それどころか断定されて、心境は穏やかではない。


 だが目の前の奏は響の剣幕には動じず、スッと目を細めて、




「つまり、魔術師になる夢は諦めない、ということね?」




「だったらなんですか? 無駄なことだって馬鹿にするんですか? それとも、目障りだって力づくで排除しようとしますか?」




「え? いや、そんなことしないわよ。今のを聞いてちょっと安心したくらいだし……。君が私に抱いてるイメージが最悪だってことには物申したいけど」




「キュル」




「そうよね。いきなりあんなこと言ったら、嫌われて当然よね……。悪いのは私だった」




「キュルルッ」




「キュルリンはいつも一言多い。それがなかったら今よりもっと可愛くなるのに」




 内容までは分からないが、カーバンクルと軽口をたたいていることだけは理解できた。それが、余計に響の感情を逆なでする。




「さっきからわけの分からないことばかり……! 話っていうのは、ただ俺を不快にするためのモノだっていうんですか。だったら、俺はこれで帰らせてもらいます」




「ちょ、ちょっと待って! 違うから! ごめんなさい、誤解を解かせて!」




 立ち去る響を、奏は慌てて呼び止めた。


 響は立ち止まったものの、あからさまに不機嫌な様子で首だけ振り返る。




「誤解ってなんですか」




「えっと、それはたぶん色々あって、ええっと……。そう、話はまだ本題じゃないの! 今の質問はただの前提っていうか、意思確認っていうか……。とにかく、私は君とケンカしたくて来たわけじゃないのよ」




 必死に響を引き留める様子からは、ついさっきまでの凛としたたたずまいは消え、代わりに焦ってしどろもどろになる少女の顔がある。


 それを見ていると、なぜだか毒気が抜かれてしまうから不思議だ。完全に鎮めるには足りないにしても、響をもとの椅子に座らせるには充分だった。




「ごめんなさいね、本当に。恥ずかしい話だけど、私はあまり言葉選びがうまくないの。というより、魔術のこと以外に、得意なモノってそんなにないくらいで……」




「もういいです。さっさと本題に入ってください」




 話を聞く気にはなったものの、ここ数分で響の奏の好感度はダダ下がりである。雑談にまで付き合うつもりはない。


 恐縮する奏を急かすと、彼女は一つ咳払い。もう一度凛とした空気を作り出した。


 それからまっすぐとした瞳で響を見、唇を震わせる。




「――菖蒲響くん。私の、弟子になる気はない?」

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