3『落ちこぼれに見えた光明』
投げかけられた問いを、理解するのに数秒かかった。
しかし問いの意味を理解しても、思考がそれに追いつかない。奏がしたのは予想もできない、突拍子もない問いかけで、響は先までの怒りも忘れて目を丸くする。
「は?」
口から洩れたのはそんな月並みな、間の抜けた声。そもそも、今までの話がどういった道を通れば、そう言った話になるのか。
「キュルゥ」
「え? 話しを急ぎ過ぎ? えっと、確かにそうだったかも。そうね、順を追って話さないと……」
「キュルルッ」
「だから一言多いって……」
咎めるようなキュルリンの鳴き声に、奏は今までの話の流れを確認。少しどころではない無理があることを確認して、どうやって説明していくのか思案する。
「えっと実はね、ここ二週間くらい、私はここで鍛錬する君を観察してたの」
「え……?」
「こう、ドアをちょっとだけ開けて、隙間から覗くように。家政婦って言った方がが分かりやすいかも。ちょっとしたスリルがあったわね」
「あの……」
「一回通りかかった人に見つかりそうになったことがあったんだけど、その時はキュルリンのおかげでなんとか隠れられて……」
「そ、そんなことはどうでもいいですっ。何でそんなストーカーまがいなことを!」
「え、ストーカー。ストーカーかぁ……。やっぱり側からはそう見えたかなぁ」
少しダメージを受けているらしい奏。しかし勝手に割り切ると、
「とにかく、私は二週間くらい君のことを見てて、それでさっきの結論に至った。それをあえて言ったのは、意思確認のためで。君が才能がないって言われて、それでも魔術師になろうとするのか確かめたかったの」
「…………」
「もちろん、突然酷いことを言う形になっちゃったし、配慮に欠ける言い回しだったのは認める。ごめんなさい」
「…………」
頭を下げる奏に、響は押し黙る。その部分のわだかまりは、この短時間で消化しきれるものではない。
だから、代わりに疑問を呈した。
「俺に、魔術師になる意思がなかったらどうするつもりだったんですか?」
「うーん、やっぱり学ぶ側にやる気がないと意味がないと思うし、頑張ってやる気を出させるところから始めたと思うけど……」
「はい?」
「魔術師になるつもりでも、ならないつもりでも、どっちにしろ弟子にならない? って問いはするつもりだったってことよ。今日はそのためにここに来たんだから」
「そのために、ここに来た……?」
響の記憶が確かなら、奏は他の訓練場だと気を使われて、それが嫌だからわざわざここに来たはずだったのだが。
響が訝しげな顔をすると同時、間の椅子のキュルリンが、非難するように奏を見る。
「うん、そうだった。変な見栄はっちゃったの忘れてた。自主練するにしても、家に専用の訓練室があるから、わざわざここに来る必要ないの。だからさっきのは嘘。重ねてごめんね。ていうか今日謝ってばかりだなぁ」
「キュルゥ」
「自業自得ね。分かってるわよ」
どうも、この学園最強は色々なところで抜けているらしい。魔術以外に得意なことがないというのも事実なのだろう。響の中で、奏の評価がどんどん更新されている。
「とはいえ、つまりはそういうことでね。君を観察して、どのくらいの能力があって才能があるのかを見て。その後、魔術師になるつもりがあるのかを聞いた。それはさっき言ったことに集約されるの」
「……弟子にならないかって、ことですか?」
「その通り」
「そこが、分からないんです。弟子ってどういうことですか。佐倉先輩は俺を弟子にして、どうしようっていうんですか」
「もちろん、育てるに決まってるわ。その、育て方というか、育てる方向性が純粋じゃないことは否めないけど」
「……どういうことです?」
純粋ではない育成の方向。それが理解できずに眉をひそめる。
そんな響に、奏は凛と答えた。
「今の君じゃ、誰にも勝てない。――だから勝てるようにするのよ。強くなるんじゃなくて、勝てるようになるの」
――同じことではないか。
反射的にそう思っても仕方のないことのはずなのに、なぜか響には奏が言う意味が即座に理解できた。
それが、魔術師としては外道であることも、同時に。
強くなくとも、策を弄すれば勝つこと自体は可能だ。奏は響に、戦術を組み立てることで強くなることなしに勝てるようになるべきだと、そう言っているのだ。
「……無茶苦茶です」
「そうね。でも不可能ではないし、強い人より勝った人の方が偉いのは分かりきってることでしょ?」
魔術師の存在意義は魔獣の討伐。己の力に磨きをかけるのは、目的を達成するのに最も手っ取り早いからにすぎない。
極端な話、魔獣さえ討伐できるのであれば弱くとも構わないのだ。
奏が、響の魔術師になる意思を確認したのはそういうことだろう。研究者になるのでは、ただ勝利を求める手段など教え込んだところで無意味だから。
だが、
「嫌ですよ。そんなの」
そんなわけの分からない道になど安易に行けるものか。そうでなくても、奏の印象はよくはない。弟子になるならない以前の問題だ。
奏は「うっ」と声を詰まらせると、困ったようにカーバンクルに視線を移す。
「い、今のって断られたってことでいいのよね……?」
「キュル」
「キュルリン容赦ないっ。ちょ、ちょっと待って! もう少し考えてほしいんだけど……」
「考えるまでもないです。出来るかも分からない邪道を進む気にはなれません」
勝つことにこだわるのなら、その方法をとことんまで追求しなくては結果はついてこない。
魔術を極めるのなら、そんな邪道など選ぶ余裕はない。
どちらかを選ぶのなら、どちらかを捨てなくてはならない。
強くなるのではなく、と奏は言った。
だから、奏の弟子になったら勝つことはできても強くはなれないのだろう。
そして邪道に進んだとて、成功が約束されているわけでもない。
一種のギャンブル。それも賭けるのは自分の人生だ。
きっぱりと告げて、響は立ち上がる。話はこれにてお終い。響としては、一刻も早く鍛錬を再開したい。
「――それで、君は今まで通りに努力を続けるの?」
背を向けた響に奏は呟く。声音からは数瞬前の焦りは消えて、弾劾のように厳しいものになっていた。
「はい」
その声に振り返る響は、決して明るくはない顔で返答した。
「そっちの方が正しいと思うから?」
「まあ、そうですね。少なくとも、邪道よりは正しいと思います」
「結果が出なくても?」
「…………」
咄嗟に答えが出てこなかった。少なくとも、結果の出ない努力。それは努力というより、徒労と言うべきものだ。
では徒労は、正しいのだろうか。
答えが出ない。いや、答えを出したくないのだ。自分が今から行うことが、徒労に終わるかもしれないから。
自分が今までやってきたことが、徒労なのかもしれないから。
奏はそんな響を見つめながら、まっすぐとした瞳で、
「私はね。君なら――自分に才能がないことを一番よく分かってる君なら、邪道に進むのが正しいと、そう思う」
「……自覚?」
「そう。魔術師を諦めた方がいいって言った時、君は怒ったけど、才能がないってことに関しては不機嫌にはなったかもしれないけれど、すんなり受け入れてたでしょ?」
「…………」
「それだけじゃなくて、自分のことを"落ちこぼれ"って言ったり。それに自覚してなきゃ、あんなに死に物狂いで鍛錬できない」
「…………」
図星を突かれて、響は押し黙る。
”落ちこぼれ”と、この二か月間に何度も何度も言われたから。結果の残せない自分を情けなく思い、変えようと足掻いた。それは自覚以外の何物でもない。
「でも、自覚があったって。それでいくら努力したって意味がないです」
それはこの二カ月で、嫌というほど身に染みた。
「――結果を残せない努力に意味なんてないです」
努力しても報われるのは他の努力していない誰か。
努力する”落ちこぼれ”を心であざ笑う講師。
努力そのものを否定し意味のないものと断じるクラスメイト。
「誰も、意味のない努力なんて認めないんです。意味のない努力は、むしろ嗤われるんです」
顔を俯け吐露する響。
響が辿った必死の努力の軌跡は短いものだったけれど、短いからこそ凝縮されて身に染みる。
――徒労は間違っている。
「そう、それは真理かもね」
黙って耳を傾けていた奏は、小さく首肯し響の言を肯定した。
「けど、それが全くの無意味だとは思わないわ。努力した経験は残るもの。努力もしないで失敗するより、それはよっぽど貴重なものだと思う」
「でも――!」
「本当に重要なのは、失敗した後。どうすれば成功するのかを考えないといけない。考えないでただがむしゃらに努力を続けた時、たぶんそこで努力は、本当に無意味になる」
「それは……」
「響くん。誰も認めなかった君の努力は私が認める。だからこそ選びなさい。これから進む道を。考えて選べば、君のこの二か月間は無駄にはならない」
「なにを――?」
「言ったでしょう? 私の弟子になるか。それとも、一人で鍛錬を続けるか。邪道か、王道か」
「邪道か、王道か……」
ふと、一〇年前の大災害が浮かぶ。魔獣キマイラによる、圧倒的な破壊と蹂躙の記憶だ。
燃え盛る炎の中。生命という生命が途絶え、未来への可能性をなくした場所で見た一人の魔術師の後ろ姿。
それを格好いいと思ったことは間違いない。では、どうして。
響が魔術師を将来の夢とした理由は、ずいぶん前に意識したきり埋もれている。気がつけばその目標は単なる目標でしかなくなっていた。
なぜ、自分はそんな目標を持ったのか。考え、考え抜いて、考え尽くして、思い出した。
――自分は勇ましく闘う姿ではなく、誰かを懸命に守る姿にこそ感動を覚えたのではないか。憧れを感じたのではないか。
それならば。戦い方など問題ではない。誰かを守れるようになるのであれば、邪道だろうが王道だろうが関係ない。
――冷静になって考えれば、どちらを選んだ方が可能性が高いのかという疑念を完全に考慮の外に置いた決断だった。
――いや、己の無才を深くまで自覚しているこその決断だったのかもしれない。
居住まいをただした響は奏へと向き直る。
ついさっきの、弟子にはならないという発言は撤回して。
そして頭を下げて厳かな声で、
「俺を、弟子にしてください」
「ええ。私に任せて」
* * *
「ふぅ……。緊張したぁ」
一連のやり取りが終わると、奏は大きく息を吐き伸びをした。
「キュル」
「うん、ありがとキュルリン」
「キュルウ」
「だから、一言多いって。霊体化しててもいいのに、わざわざ出てきてるキュルリンが悪いんでしょ」
相変わらずどういうやり取りが繰り広げられているのか分からないが、余計な気を遣わないやり取りに本人たちは楽しそうである。使い魔に気を遣うというのもよく分からない話だが。
奏は先までの固い表情を崩し、たびたび垣間見せていた親し気のある雰囲気で、
「本当に、もし断られたらどうしようかって思ってたのよね。私の事情としても、素直に諦めるわけにはいかなかったから」
「は、はあ。さっきのって、断ってたとしてもそれで終わりじゃなかったんですか?」
「うーん。たぶん。しつこく勧誘したりとかならしたかもしれない。それでどうしようもなかったら、見込みはほとんどないけど、王道で勝負……。あ、ごめんなさい。そういうつもりじゃ」
「いえ、いいです。才能がないのは自覚してるんで」
魔術師になれない、と言われたのはまだ少し根に持っているが、才能がないことを言及されたくらいで目くじらを立てるわけにもいかない。不快でも事実だから。それに、
「佐倉先輩って失言が多いし、気にしたら負けなんじゃないかとも思いますし……」
「ごめんなさい。本当に、ごめん」
どうやら自覚してるようだった。
そんな訓練場に流れる和やかな空気の中、響はふと解決していない事案に思い当たる。
「あの、先輩」
「ん? なぁに?」
「佐倉先輩が何を考えていたのかについては結局分からずじまいなんですけど」
失礼な発言の理由。本人からカミングアウトされた、ストーカーまがいの行動の理由。その二つに関しては解決した。だが肝心の部分が宙に浮いたままだ。
目の前の少女が何を考え、何を目的としているのか。それが一向に見えてこない。
より端的に言うのであれば、どうして”落ちこぼれ”の響を、教え導くなどという役を買って出たのか、ということだ。しかも、学園始まって以来の天才と称され、事実として学園最強である奏が、だ。
響のもっともな疑問。ともすれば奏がこの第一訓練場に入って来た時から続いていた疑問に、奏は唇に人差し指を当て、しばし黙考。
それから、申し訳なさそうでありながら、どこかイタズラを楽しむような色をその表情ににじませて、
「乙女の秘密ってことで、一応納得しておいてもらえるかしら」
疑問には答えず煙に巻いた。
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