十章~平穏な世界を求めて~

破られた平穏

 ずるずる、ひたりひたり……何かを引き摺る音と妙な足音に不安を掻き立てられる。あぁ、これは夢だ。外法師が生きていると分かってから見るようになった異形の悪夢。俺の不安の現れ。頻度はそう多くないが決まって大事な人たちが異形へと変えられている様は精神を大きく削られる。

「ワタル、どうして助けてくれなかったの?」

 重なったみんなの声が俺を責め立てる。早く覚めてくれ! 異形を見ないように目を閉じひたすらに念じる。その間も異形は俺を責め立て続け纏わりつき身体へと触れてくる――。

「ワタル、ワタル! 大丈夫ですか?」

「はっ、はぁ、はぁ、はぁ……リオ!」

 目覚めるとベッド脇から不安げにこちらを覗き込むリオが居た。不安を掻き消すように、存在を確かめるようにリオをきつく抱き締めた。

「ひゃぁ!? ど、どうしたんですか?」

「ごめん、少しこのままで」

「泣いて、いるんですか?」

 そんなつもりはなかったがいつの間にか涙を流していた。大事な人を失う恐怖と無事が分かった安堵が綯い交ぜになり心が不安定になっている。

「大丈夫ですよ。私はここに居ます、ずっとワタルの傍に、だから――」

「ありがとう。絶対に守るから、絶対に傷付けさせない」

 優しい声音と共に背中を撫でられ徐々に落ち着きを取り戻した。この歳で悪夢に泣くというのは情けないが、自分の中で失うという事がそれだけ耐え難い苦しみなんだと納得した。

「落ち着きましたね。よかった。……どんな夢を見たのか聞いてもいいですか?」

「みんなが異形へと変えられる夢、外法師が生きてるってのが分かってからたまに見るんだ」

「異形、ですか……それは、怖いですね。でもワタルが守ってくれるんですよね? だったら大丈夫です。ワタルならきっと守ってくれるって信じてます。だからワタルも自分を信じてください、きっと大丈夫です」

 俺の手を取り優しく包み込んで柔和な笑顔を向けてくれる。信じる、か……その信頼に応える為にも自分を信じる為にももっと強くならないと、絶対に失わない為に。


 アスモデウスの言葉を信じるならば、魔物はいずれ人間やエルフの住む領域に攻め入ってくる。そうなれば被害は避けられない、だからその前に叩くべきなんだが千里眼の能力者の力をもってしてもアスモデウスたちの居所は判明していない。魔物たちはハイランドを襲撃した後は目立った行動は起こさず沈黙を守ったままでいる。そんな状況に各国は不安に駆られ軍備増強が進んでいるそうだ。クロイツも例外ではなく、徴兵が行われて覚醒者や混血者が集められている。魔物に因ってクロイツが滅びかけるという事実があったからどの国も必死になっている。そんな世情に感化された、という訳でもないが不安を打ち消す為に俺もフィオ達と訓練の日々を送っている。

「ふっ!」

「せいっ!」

 アル・マヒクの長大な刃とアリスの使う大鎌の湾曲した刃が俺の身体すれすれを通過していく。アリスをまた戦わせるのはどうかと思ったんだが、俺とフィオの訓練中に自分も魔物と戦うと申し出てくれた。顔を赤くしてこちらを全然見ようとしなかったが「新しく貰った居場所を守りたい」そう言ってくれた。フィオ以外とは徐々に打ち解け始めていると思っていたが守りたいと言ってくれた事がとても嬉しくて了承してしまったのが運の尽き。今はフィオとアリスの二人を相手にするという無茶振りな訓練を受けさせられている。信用出来ないと言っていた割りに二人の連携は完璧で、攻撃を流して生き延びる事だけでも精一杯な状態だった。だが最近はそれにも慣れ始めて僅かにだが反撃を繰り出せる事も増えてきた。

「ワタル、まだ遅い。限界まで使って」

「無茶言うな、実戦前に身体がぶっ壊れる」

「これで壊れるくらいなら壊れてた方が死ななくて済むんじゃない?」

「ワタルは無茶するからその方が良いかも?」

 同調するなよ!? 戦闘に関してはフィオは手加減してくれない。俺が死なないように、生き延びられるようにと厳しくしてくる。そんなフィオのおかげで生き延びているんだから感謝しかないが……もう一人増えた事でかなりしんどい。

「わーった、分かりました! 限界まで強化を使うよ、これでいいんだろ?」

 こりゃ後で治癒能力者の所に行かないとだな。限界を使う覚悟をして剣を構え直した。

「ん。限界に慣れて使いこなして」

「まぁ、能力が身体強化でもないのに私たちの連携に付いて来れるだけでも十分だと思うけど」

「アスモデウスに対応するにはこれでも多分駄目だろうからな」

「ふ~ん? そんなに速いのね。でもそいつの相手は私とフィオがすればいいんじゃない?」

「戦闘中何が起こるか分からないだろ? 対処出来なくて何も守れませんでしたってのは嫌だからな」

「そう、ならしっかり付いてきなさい。びしばし鍛えてあげるわ」


 滅茶苦茶扱かれた…………。限界まで強化した反動で痛めた身体を治療してもらい、食事なんかを済ませてふらふらと自室まで戻ってきた。治癒能力で痛みは取れるが疲労はそのまま、全身が鉛のようだ。フィオは慣れろと言っていたが慣れでどうにかなるだろうか……いや、どうにかするしかない。外法師が生きているならまたディアボロスのような化け物を創り出している可能性もある。あれを一人で狩れるくらいにはならないと――。

「ワタル、身体大丈夫?」

「うおっ!? なんだ、また来たのか。治療してもらったし平気平気、疲れてはいるけど」

 いつの間にか背後にフィオとアリスが立っていて、状態を確かめるように二人して俺の身体をぺたぺたと触り始めた。

「これなら大丈夫そうね。疲労も明日には残らない」

「二人は疲れてないのか? 俺の訓練に付き合った後に二人で模擬戦してただろ」

「平気」

「私も平気ね」

 二人ともけろっとした様子でそう答えた。流石と言うかなんというか地力が違うからどうしようもないんだが、なんか悔しいな。俺もこのくらいになりたいものだ。

「それで、俺はそろそろ寝るんだが――」

「ここで寝る」

「またここで寝るのね……簀巻きにされるよりいいけど」

 フィオを真ん中にしてベッドへと潜り込む。フィオは俺の左腕を抱きしめ当然の如くアリスに背を向けている。訓練中の連携は凄まじく、相性がいいように思うんだが打ち解けない。どうしたものかと視線を彷徨わせているとこちらを見ているアリスと目が合った。

「アリスは寝付きが悪いのか? フィオなんかはもう寝ちゃってるけど」

「フィオが早いだけ、私は普通」

「そっか」

 お互いなにか話すでもなく見つめ合う。何か言いたい事でもあるんだろうか? 今更こちらから視線を逸らすのは負けたような気がして嫌だぞ。妙な意地で視線を逸らさずにいるとアリスが口を開いた。

「……ねぇ、えっと……そっち、行ってもいい?」

「? 別にいいけど俺の隣でいいのか?」

 質問には答えず回り込んで隣へ潜り込んできた。暗くてよく分からないが少し顔が赤くなっているかもしれない。恥ずかしいならわざわざこっちに来なくてもいいと思うんだが。

「手、握ってもいい?」

「……アリスって結構甘えん坊?」

「べ、別にそんなんじゃないし、手を繋ぐのが好きなだけだもん――あっ違っ、違うから! 別に好きじゃないから! フィオがよくやってるからちょっと興味があっただけ」

「ぷっ、俺の手で良ければどうぞ」

「この手が良いの」

 聞かせるつもりのないであろう小さな呟きが俺の耳に届いた。差し出した右手を両手で包み込んで胸に抱く様子はとても大事なものを扱っているかのように優しかった。少し前には殺し合いをしてたのに、おかしなものだな。

「ずっと、不安そうね。そんなに魔物が怖い?」

 ドキリとした。悪夢からくる不安は常にあったが周りにはバレていないつもりだったのに。

「……外法師って人を異形に変える最悪な奴が生きてるって知ったせいで悪夢が多くてな。それを振り払う為に訓練に打ち込んでるはずなんだけど、バレる程表に出てたか……上手くいかないな」

「…………私は本当ならあの時死んでた。それをあなたが拾ってくれた、だからこの命はあなたの為に使ってあげる。この私が一緒に戦ってあげるのよ? だから安心しなさいよ」

 繋いだ手に力を込めて、顔を寄せて真っ直ぐにこちらを見つめてくる。闇の中で優しい瞳が俺を映している。紅の中に居る俺は困ったような複雑な表情を浮かべている。一緒に戦ってくれる事は勿論心強いしありがたい。でも、助けた命を使うと言われると自己犠牲っぽいイメージがあって落ち着かない。

「そう言ってくれるのは嬉しい。でも無茶な事はしてくれるなよ、俺はアリスに生きててほしいんだから」

「っ! わ、分かったわ。まぁ私が無茶する必要のある相手なんてフィオ以外にそうそう居ないけど」

「そうだな、お前もフィオも強いから」

 頭を撫でると暗闇の中でも分かる程顔を赤らめてそっぽを向いてしまった。そんなに恥ずかしいだろうか? フィオやミシャは気持ちよさそうにするから撫でるのが癖になってしまっている。

「ねぇ……私も、ワタルって呼んでいい?」

「いいぞ、みんなそう呼ぶし」

「ワタル」

「ん?」

「おやすみ」

「ああ、おやすみ」

 アリスが目を閉じたのにあわせて俺も目を閉じる。二人の体温を感じて心が安らぐ。二人の温かさに心地よさを感じながら眠りの中に落ちていった。


 今日も今日とて訓練漬け。今日はフィオもアリスも大きな得物は使わずナイフと剣を使用している。大きな得物特有の大振りがない分二人本来の洗練された神速の動きで翻弄されまくりである。俺は神速の一歩手前って感じだろうか。

「ワタル、これでもまだ魔物の方が速い?」

「……フィオとアリスが神速ならアスモデウスは超神速って感じだ。それでも二人なら上手く動きを読んでカウンターに持っていける気はするな」

「む~、これでも尚負けてるなんてその魔物どれだけ速いのよ!」

 まぁ他の雑魚と違って異世界の魔神だって名乗ってたからなぁ。そんなの相手に戦おうと思ってるんだから俺たちも大概だな。

「アリスが今持ってるのは二本とも普通の剣だよな?」

「そうよ。兵士たちに余ってる物を借りたの」

「剣を使うならミシャに頼んで作ってもらったらどうだ? ミシャの作る剣は一級品で信頼できるぞ」

 使えば違いが分かるだろうとアリスにカラドボルグを握らせる。その場で軽く振り、具合を確かめた後すかさず虚空へと舞うような連撃を目で追うのが難しい速さで放った。

「この剣凄い……こんな剣を作ってもらえるの?」

「同じ物とはいかないだろうけど良い物を作ってもらえるように頼んでみるよ。アリスに合わせた紋様も描いてもらわないとだな」

「紋様? 剣身に描かれてるこれの事?」

「そ。それで色んな効果を付加する事が出来るんだ。俺のは切れ味の向上と素早さなんかの強化、フィオのナイフは自己治癒力の向上と斬った相手を弱体化させる効果の物が描かれてる」

「ふ~ん、それでワタルは私たちの動きに付いて来れるのね。確かに普段の自分より速くなってるわね」

 紋様の力を体感しようと黒剣を振るい乱舞する。今日まで大鎌使いだと思っていたが剣も得意なようで流れるように舞い踊り空を切り裂く。

「……なんで名前を呼んでるの?」

「そこ引っ掛かるか……別にいいだろ、みんな名前で呼んでるんだし、そんな事でやきもち妬くなよ」

 アリスが俺を名前呼びに変えた事に気付いたフィオから不機嫌オーラが発せられている。誤魔化すように頬をむにむにしてみるが訝しんだ様子でジト目を向けてくる。リオたちは名前くらいでは何も言わなかったがフィオ的には許せないらしくむくれている。まぁそんなフィオも可愛いんだが。

「ほれほれ、そんなにむくれるなよ。一つ何でも言うこと聞くから」

「本当? なら――」

「せんぱーい! 大変っ! 大変大変!」

 血相を変えた恋が修練場に飛び込んできた。相当走ったのか膝に手を当てて息を切らせている。こんなに慌ててどうしたんだこいつ? そんなに驚くような事があったのか?

「どうしたんだよ、そんなに息切らせて。ほら深呼吸」

「すーはー――とかやってる場合じゃないんだって! 魔物! 魔物が出たの! しかも東部の町に繋がってる複数の陣から!」

 っ! 町と町を繋ぐ陣があるのは殆どが町中だ。陣から魔物が出てきたって事は東部の複数の町が魔物に襲われている!? すぐに向かわないと――。

「如月さん! 国王様がお呼びです。陣から魔物が現れた件です。急ぎ謁見の間に向かってください」

 伝令の兵士の話を聞いて急ぎフィオ達と共に謁見の間へと走った。

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