血に染まった両手

「かっ、は…………?」

 夢なんだと思っていた。痛みは感じていても俺の居た場所は現実感の無い空間だった。能力の使える感覚も無い、どこかぼやけたような意識と不安定な感じで身体が上手く動かせないのは夢特有のものだと思っていたから、全て奪われるか殺されるかすれば覚めるものだと、でも違ったらしい。視界は闇に閉ざされ、抉り取られた目から頭の奥にズキズキとした痛みが突き抜け、千切り取られたであろう四肢の切断部分から胴に痛みが広がり、傷口から熱が、血が抜けていく感覚、英語が理解出来なくても怨嗟の声だと分かる声が響き渡っている。煩い、黙れよ…………耳障りだ、血が抜けてじわじわと死が這い寄ってくるのを待たないといけない状態か? 傷口が塞がれているわけじゃないから失血死出来るだろうけど、なかなか死なないものなんだな。

「――っ!」

 ? この声…………フィオ? ……違う、ティナ? 惧瀞さん? 分からない、複数の声が混ざり合っているような……でも確かに知っているはずの声――。

「お前ら何してるっ!? 関係無いやつを巻き込むなっ! 怨みがあるのは俺にだろ!」

「はははっ! だからだろう? お前にはこれが効きそうだ。状況は見えなくても声は聞こえるものなぁ? 知っている女の悲鳴を聞いても為す術無く転がっているしかないのはどんな気分だ? これからお前は更に失うぞ。もう懇願したところで変えられない、俺たちが受けた以上の苦しみを受け続けろっ!」

 失う? 奪われる……また奪われる、またあの痛み…………?

「やめろぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおっ!」


「如月さん! 起きてください! 大丈夫です、夢ですよ! 落ち着いて――」

「あ゛あ゛あぁぁぁあああああああああああああああっ! これ以上奪われてたまるかあああああああああああっ!」

「如月さん! っ!? 失礼しますっ! 起きてください!」

「っ!? く、じょう、さん? ……ここ、は?」

 頬に痛みが走った途端、世界が光を取り戻して、苦悶に表情を歪めた惧瀞さんの顔が目に入った。なんでそんな表情を――。

「よかった、目が、覚めたんですね。ここは如月さんの病室ですよ、魘されていたのでずっと起こそうと声を掛けていたんですけど、ようやく起きられたんですね」

「惧瀞さん、もしかして感電? 俺は…………」

 惧瀞さんはベッドの脇にしゃがみ込んでベッドに伏せっている。

「あぁ! 大丈夫です、大丈夫です。ちょっと身体が痺れてるだけですから気にしなくても大丈夫ですよ。そんな事より如月さんは大丈夫ですか? 丸一日眠ったままで本当にずっと魘されていたんですよ? とても苦しんで――」

「そんな事なんかじゃないでしょう、苦しんでるのも惧瀞さんの方で――? これは…………」

 惧瀞さんへ手を伸ばしかけて異常に気が付いた。

「あはは……酷い寝汗ですね。顔は拭いたりしてたんですけど、気持ち悪いでしょう? 早く汗を流して着替えた方が良いですよ。着替えはそこに持ってきてありますから、私は部屋の外に出てますね。何かあったら呼んでください」

「あ…………」

 蹌踉めきながら惧瀞さんは部屋を出て行った。何をやっている俺はっ!? 夢に魘されて能力を使った? そんな事で他者を傷付けたのか? 幸い酷く威力のあるものじゃなかったみたいだが、一歩間違えば殺している可能性だってあった。

「震えが…………」

 夢に対してなのか、自分の意思とは関係なく人を傷付けた事に対してか……若しくは両方か。

「自分で選んだ行動だったくせに夢に見る程ショックだったか? ……不快だな」

 フィオはどうなったんだ? 惧瀞さんは何も言わなかった……なら、そう言う事なのか? ティナが居ないのもそれと関係があるのか? すぐそこに居るんだ、呼んで聞いてみればいい…………でも――。

「クソッ! ――痛っ」

 ベッドを殴り付けてみても軽く揺れるだけ、反対の、拳を握り締めた左手には鈍い痛みがする。そういえば壊れたんだったか……丸一日寝ていてまだ痛むって事はやっぱり折れて――というか全身が痛い…………当然か、銃弾を避ける為の状態を維持して動き回っていたんだからその結果としては妥当、寧ろ軽いくらいか? 全身が筋肉痛の様だが動かせないわけでもない。フィオの訓練のおかげか。

「フィオ…………」

 聞けばいい、確認はすぐに出来るだろ? そう思うのに…………もし死んでいたら、そう考えると怖くて仕方ない。自分の力では変える事の出来ない現実、それを突き付けられる恐怖、それに怯えて、口は開けても声が出ない。

「シャワー…………」

 部屋を見回すとシャワー室が目に入った。こんな事は喋れるのか……とりあえずこの不快を洗い流そう、身体の状態が改善されれば少しは踏み出す方向に気持ちも変わるかもしれない。


「酷いものだな…………」

 水でも被ったかのように服が汗を吸って肌に貼り付いている。酷い不快感だ、これほどまでに魘されていたって事なんだろうけど……浴槽は無しか――っ…………前に入院していた時は浴槽も付いていて、フィオが引っ付いて入って来て背中合わせで浴槽に入っていた事を思い出してしまった。生きていて欲しい、でも確認するのは怖い。

 水を浴びながら自分の掌を眺める。あの時べったりとフィオの血が付いていた、それだけじゃない、もう何人もの血に染まった両手だ。洗い流したくらいじゃ決して落ちる事の無い汚れ、実際に血が付いているわけじゃないのに紅く見える、血の臭いがする。

「ぐっ、おえぇ、げぇ、げほっげほっ、が、はっ、はぁ、はぁ、はぁ…………我ながら細い神経だな。自分で選んで、より苦しむようにって……あの方法を取った、くせ、に…………能力なんか得てみても、強くなんてなっていない。強さが、揺らぐ事のない強さが欲しい…………」

 水を浴び続けて、身体が冷え切った頃にようやくシャワー室を出た。

「っ!?」

 視界に一瞬ノイズが走ってその瞬間だけ自分の四肢が失われている様な幻視を見た。それが事実じゃないかと錯覚して膝を突いた。そうして膝から伝わる感覚でそれが間違いだと認識する。震える手で身体を触って確認して、病室内を見回す。

「ちゃんと、ある。目も、見える……ぶるぶると震えて、化け物が聞いてあきれるな。選んだんだ、もうやり直しは利かない。受け入れろ――あ、はい、どうぞ」

 ノックの後に惧瀞さんが入ってきた。

「大丈夫ですか――って、ちゃんと拭かないと駄目ですよ。んん? どうしたんですかこれ!? 身体凄くひんやりしてるじゃないですか!? もしかしてずっと水を浴びていたんですか? いくら夏だからってそんな事をしてたら風邪引いちゃいますよ!」

 髪を濡れたままにしていたのが気に入らなかったらしく、首に掛けていたタオルを引っ掴まれて頭を拭かれている時に頬に手が触れて、異常に気付いたらしい。頭を両手で固定されてガシガシとタオルで拭かれてる。ぽややんとしていてもやっぱり自衛隊、力強いなぁ。

「惧瀞さん、さっきはその……ごめんなさい」

「そんな事気にしてませんよ。それよりもなんでこんなになるまで浴びてたんですか? 風邪なんか引いたらフィオさんが起きた時に心配してしまいますよ? 元気な姿でいてあげないと駄目で――」

「っ! フィオは、生きてる?」

「はい、如月さんの血のおかげで生きてますよ。まだ目覚めてませんし、熱が出たりして安定しているとは言えませんけど、それでも命の危機は脱しています」

「そう、か…………よか、った、本当に、良かった…………」

「だ、大丈夫ですかっ!? やっぱり体調が――ええっと、お薬、先生――」

「大丈夫です。ちょっと力が抜けただけです」

 フィオが生きていると聞いて全身から力が抜けて倒れ込んだ。倒れた方向が惧瀞さんの方だったものだから、惧瀞さんに抱き留められてしまった。

「でも……如月さんの身体、本当に冷たくなってますよ? 本当に大丈夫なんですか? 汗を流すにしてもお湯を使ってれば――」

「あ~、俺って元々体温低いですし、お湯に変えるのは思いつかなかった……惧瀞さんは、温かいですね」

「へっ!? あ、あ、あぁ、と、とにかくベッドで温かくしててください」

 シュバババッっとベッドに寝かされ布団を掛けられた。

「あ~、え~っと……そうだ! お見舞いに行きますか? 私車椅子を――」

 車椅子って、俺をどんな重傷者だと思ってるんだよ…………それに――。

「見舞いはいいです。生きてるのが分かっただけで」

「え? でも――」

「いいんです」

 殺してはいなくても大勢斬った。血に塗れた。そんな俺が近付くのは、穢れをうつしそうで……違うか、人を斬った自分がどう思われるのか、それを知るのが怖いんだ。惧瀞さんは怖くないのか? 俺は大勢斬ったんだぞ?

「でも如月さんが声を掛けてあげたら早く目が覚めるかもしれませんよ?」

「ティナが付いているんでしょう? だったらそれでいいです」

「確かにティナ様が一緒に居ますけど…………」

「それより状況ってどうなってるんですか? 俺ってこんな所で暢気にしていていいんですか? 拘束とかしないと駄目なんじゃ?」

「えっと……拘束とまではいかないんですけど、護衛という名目から監視に切り替わりました。すいません」

「いや、別に謝らなくても」

 その程度でいいのか? 極刑でもおかしくないくらいだと思うんだけど……若しくはアメリカに引き渡すとか、あれから一日経っているなら何かしら動きがあると思ったが、まだ状況把握の最中? それでこの扱い? ……いや変だろ、裁くつもりなら拘束しておいた方が都合がいいだろうし。

「日本政府も混乱していて、如月さんの処遇をどうすべきか揉めているんです。アメリカからは引き渡すように圧力を掛けられているみたいですけど、被害に遭って生還した方の複数が事件の様子を撮影していたらしくて、それを公開してしまったので事件の様子を世界中の方が知っている状態でして、如月さんの行いを行き過ぎと批判する人もいますけど、擁護する方も大勢いて、特に被害者や遺族の方の声が大きいのでまだ結論が出ていないんです」

「あれを、流したんですか? 規制とかは? あんなものをネットに流したら大事でしょう?」

「勿論すぐにサイトの管理者側等から削除してもらったそうなんですけど、動画を落としていた人たちが隠蔽させてはいけないと積極的に流しているみたいで、もうネット上から消す事はかなり難しいようです」

 あ~あ…………大事だわ、米軍は当然叩かれるだろうけど、俺も相当だろうな。戻ってきた時の事もあるから今更だし、不特定多数がどう見ようと別に気にしないけど、あれを流したのか…………。

「でも、罰しないってのはないでしょう? そんな事したら政府が叩かれそうですけど、アメリカとの関係とかも問題だろうし」

「ん~、どうなんですかねぇ。映像のせいでアメリカは世界中から批判を浴びていますから、それに今回の事件に加担せずに反対した兵もいたらしくて、その兵の多くが基地内で殺害されていたそうなんです。その生き残りの方が政府の指示で米軍が魔物と接触していた事を公表しちゃって更に立場が危うくなってますし、他国の駐留米軍基地への当たりも厳しくなってるそうです。そんな状態ですから、蜥蜴の尻尾切りじゃないですけど、一部の人の勝手な判断に因るもので今回の事はアメリカの意思じゃなく反乱者に因るものという見解も出て来て、アメリカも被害者という流れにしようとしているみたいです」

 せこいな、何人死んだと思っている、何人苦しんだと思っている、他国の人間だけじゃなく自国の人間だって死んで、苦しんでいるのに、上の人間は逃げるのか? そんな事が赦されていいのか?

「あの、如月さん、再度確認なんですけど、本当に魔物はもういないんですか?」

「え? ……あぁ、はい。少なくともあの場に居た魔物はそう言ってました。残っているのが自分たち二体だけで、人間と戦うのが面倒だからアメリカの保護下に入ったと」

「そうなんですね。まだ完全な安心とはいきませんけど、これで魔物の被害に遭う方は確実に減りますよね」

「まぁ、そうですね」

 そうだ、こっちでやる事は終わったんだ。次はヴァーンシア、大人しく行かせてもらえるかは微妙だが……また危険が待ってる可能性がある、そこに行こうとすればフィオ達も付いてくる。一人じゃ穴は開けられないからティナには協力してもらわないと駄目だし、でも危険に巻き込みたくないし…………あぁ~、でも行かないって選択肢を取ろうとは思えなくて、身勝手だなぁ。

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