温泉パニック
亡骸の少女がこちらを見ている。また、夢なんだろう、この夢はいつまで続くんだろう? 少女は何も言わずこちらを見ている。どうしたらいい? どうしたら許してくれる? どうすれば贖える? どうしたら俺の前から消えてくれるんだ!? 少女は何も答えず、その虚ろな瞳で俺を責める。俺に何を望んでるんだ? 俺には何も出来ない、亡骸を両親の元へ帰してやる事も、況してや生き返らせてやる事なんて出来ない。消えてくれ、消えてくれ! 消えてくれぇぇぇー!
目が覚めると梁のある天井が見える、日本人が作った村に居るのはってのは本当だったか。寝汗が酷い、着ている物が湿っていてかなり気持ち悪い、慌てて布団を弄った。よかった、布団には寝汗は染みてない。
「それにしてもべたべたで気持ち悪い」
こんな状態は前にもあった。母さんが死んだ時、祖父母が死んだ時、状態が改善したのは医者に掛かって薬を処方されてしばらく経ってからだ。この世界に精神科医が居るとは思えない、だとしたら、自分で克服するか、一生このままか、だな。克服か、この場合罪の意識を薄める事が出来ればいいんだろうけど、死んだ相手にしてやれる事なんてあるだろうか? 故人を忘れない? これは近しい人間じゃないと意味がない気がする、亡骸を両親の元へ帰す……日本に帰る方法があるなら俺はとっくに帰っている、そもそもあの少女の事を知らないのだ。出来る事なんてないように思う、あるとすれば、丁寧に弔う、或いは報復、俺に出来そうなのは弔いだろうか、報復は、そんなことが出来る力があるなら逃げ回る様な状態になっていないし、なによりあの時助けている。弔いか…………弔うなら亡骸を運ぶ必要がある、子供の遺体とはいえ片手で運ぶのは不可能だろう、ここの人たちに頼む必要がある、自分が少女を見捨てて逃げた事を告白しなきゃいけない。
「気が重い」
とりあえず着替えよう、いつまでもこの気持ち悪い状態で居たくない。俺のリュックは? この部屋には見当たらない、もしかして走り回ってた時に落とした? 俺を拾った時にリュックも拾ってないか聞いてみないと、囲炉裏のあった部屋に誰か居るだろうか? 部屋を出て囲炉裏のある部屋に向かった。
「おお、目が覚めたか。調子はどうじゃ? 何か食べられそうか? 食べられそうなら明里に何か食わしてもらえ」
部屋には源さんと明里さんが居た。食事はもう少し後の方がいい気がする、まだ吐き気が消えてない。
「すいません、食事はまだ…………。あの、俺のリュッ、荷物有りませんか? 服とかが入ってたんですけど」
「ああ、これかの? 中に入っておった服は汚れているからと明里が勝手に洗濯したがよかったかのぅ?」
「ごめんなさいね、勝手に、でも着替えるなら綺麗な方がいいでしょ?」
綺麗に畳まれた服を渡された。
「ありがとうございます。洗濯したかったんですけど手がこれだったので」
「どういたしまして、それにしても大変ね、片手しか使えないなんて」
「そう、ですね。かなり不便です。でも骨が治るまでは動かすわけにはいかないですから。寝汗を掻いたので温泉に入りたいんですけど、場所を教えてもらえませんか?」
服が洗濯されて綺麗になっているなら、余計にさっさと汗を流して着替えたい。
「一人で大丈夫? 私が案内しましょうか?」
「あぁ、一人で大丈夫です」
こんな事まで世話を掛けるのは申し訳ない。
「そう? なら家を出て左にしばらく行くと長い石段があるから、それを登ってしばらく進むと立札があるから後はそれに従えばいいわ」
長い石段か…………。
「分かりました。ありがとうございます」
「あ~待ってまって、これこれ」
靴を履いて出ようとしたら呼び止められた。これって手ぬぐい?
「身体を拭くのに要るでしょ?」
「ありがとうございます」
服と手ぬぐいを持って今度こそ家を出た。
左だよな、周りには田んぼや畑がある、本当に日本だと錯覚しそうだな、ちらほらとある民家も日本家屋ばかりだ。そしてこのあぜ道も、日本の田舎! って感じが凄くする。しばらくあぜ道を進むと言われた通り石段があった。
「かなり長いな」
真っ直ぐではなく途中で折れ曲がっているから上が見えない、それに結構急だ。登るか……早く着替えたいし、のろのろと石段を登り始める。
「長い…………」
長すぎる、途中までは何段あるんだろう? と数えていたけど五百を過ぎた辺りで数えるのを止めた。風呂に入れるのは良いけど、毎日これを登ると考えるとしんどいな。
ようやく一番上が見えてきた。あそこにあるのは鳥居か? ならこの先にあるのは神社? 神社に温泉?
「やっと、登り切った」
鳥居を潜った正面に社がある、やっぱり神社なのか? なにを祭ってあるんだろう? 日本人が住んでるとはいえここは日本じゃないから、日本の神様じゃないんじゃないか? わかんないな、今はどうでもいいか、ここから更に進むんだったよな。
「道は…………」
社の左脇に細い道が続いている。あれか? 他に道が見当たらなかったのでその道を行くことにした。合ってるよな? 神社の敷地で入っちゃいけない場所に向かってたりしないよな?
しばらく行くと立札を見つけた。
「道合ってたか」
『此の先左に温泉在り』
左ね、左、左、風呂に入るだけなのに長い道のりである。少し進むと小さな山小屋の様なものが見えてきた。
「ここ、か?」
小さな小屋があってその裏手は竹の様な物を編んだ柵で仕切りが作られている。柵の向こうが温泉でこの小屋が脱衣所って事なんだろう、小屋に入ってそのまま温泉を確認する。結構広いな、もっとこぢんまりしてるのかと思ってたけど、全然そんなことなかった。それに誰も居ない、誰か居て気を使うのは疲れるから一人で入れる方がいい。さっさと着ている物を脱いでしまおう、ただでさえ寝汗が染みて気持ち悪かったのに、長い石段で更に汗を掻いて非常に気持ち悪い、脱いだ物を棚にある籠へ適当に投げ入れて温泉へ向かう。
「っと、これ、どうすればいいんだ?」
左腕の添え木と包帯、外して大丈夫なのかな? 怪我に効くって事なら左腕も温泉に浸けなきゃダメだろうけど、少なくとも外したら自分では付けられない。素っ裸で悩む…………変な絵面だな。後で考えればいいや、と外す事にして浴場に入った。
「洗面器、洗面器……」
お湯に浸かる前に汗を流そうと思ったのに、お湯を汲む物が見当たらない、小屋にあるか? 小屋に戻ると隅に桶が積まれているのを見つけた。風呂桶ってやつかな? 初めて使うな、左腕に気を付けながら身体を洗って、汗を流してから温泉に浸かった。風呂なんて何日ぶりだろう? こっちに来てからどのくらい経ったのかも、もう分からない、色々有り過ぎた。うつ病引きこもりだった俺にはハード過ぎる日々、異世界がこんなに辛い事ばかりだなんて思いもしなかった。
久々に風呂に入れたことでウトウトし始めていた。
「少しなら寝てもいいよな」
温泉の真ん中にある大きな岩を背もたれにして目を瞑る。
「露天風呂、いいなぁ」
あ~ヤバい、本格的に寝そう。助けてもらった後も殆ど寝ていたけど、あの夢を見ていたせいで、十分な睡眠がとれたとはいえなかった。そこに温泉のリラックス効果で眠気が増した。
「…………」
「あれー! これ、誰か入ってるんじゃない?」
「っ!」
誰か来た!? どうしよう!? 他人と風呂に入るとか、かなり気まずい、小屋に居るんだろうから出るのは無理だ。とりあえず大岩の裏に隠れる。あとは見つかっても寝たふりで通そう。
「そんなのどうでもいいよ、汗掻いちゃったし、入っちゃおうよ」
「えー、男の子だったら嫌だよ。美緒ちゃんだって男の子が入ってたら嫌だよね? みくちゃんも男の子だったら嫌でしょ」
美緒? 来てるのは美緒とその友達か? 男だったら多少我慢すればいいだけ、だけど女の子が入ってくるのはマズいだろ、なんでこの温泉男女で仕切りがないんだよ。
「でも置いてあるの大人の服だよ? 父さんといつも入ってるし、大人ならあたしは気にしなーい。二人だってお父さんと入ってるんだから、大人の人なら平気でしょ?」
気にしろよ!? 平気じゃない、平気じゃない、美緒はかなり大人しそうな娘だった、入って来ないはずだ! 入ってくるな、入ってくるな。
「大人の人ならいい、かな?」
「う、うん」
いくないだろ! ガラッ、っと引き戸を開ける音がした。入って来ちゃったよ!
「あれ? 誰も居ないじゃん。誰も居ないよー、美緒もあいも早くおいでよー」
岩の裏に居るからな、そのまま気付かずさっさと済ませて上がってくれ。
「本当に誰も居ないのかな?」
湯に入って探し始めた!? 岩の裏に居るだけだからこんなの直ぐに見つかる。
「みくちゃん身体洗わずに入ったらダメだよ」
「へーき、へーき、あたし達しか居ないみたいだし、源泉掛け流しなんだから汚れてもすぐ流れていくよ」
お湯に浸かる前に身体を洗うのはマナーだと思う…………。落ち着かない。
「本当に誰も居ないの?」
「岩の裏見てなかった」
ざぶざぶと音がして、近づいて来てる。逃げる方法はない、目を瞑って寝たふりを決め込む。
「あ、人居た。でもこんな人見たことない。ねぇー! 美緒のお父さんが拾ってきた人ってこの人ー?」
呼ぶなよ…………またざぶざぶと音がする、美緒ともう一人もこっちに来たらしい。
「うん、この人」
「寝てるね。名前なんだったっけ?」
「航さん」
「あ~、そうそう、航、航」
見えないからわかんないけど、美緒の友達ならたぶん年下だろ、年下に呼び捨てにされた…………いや、よく考えたらこっちの世界に来てから俺を呼び捨てにしてるのみんな年下じゃん、年上の威厳…………そんなのうつ引きニートにあるわけないか。
「この人男だよね、髪なが~。あ、父さんよりおっきい」
っ! 大きいって、体格の事じゃないよな? 俺大してでかくないし、ってナニ見てんだよ! 勘弁してくれ、なにこの晒し者状態。
「触っちゃダメだよ、みくちゃん、航さん手怪我してるから」
触ろうとしてたの!? 美緒、よく止めた!
「怪我? 怪我なんてしてないじゃん」
まぁ見た目には分かんないよな添え木外してるし。
「手の骨が折れてるって言ってたよ」
「ええー! 骨が折れてるの!? うわーなんか痛そう」
早く離れてくれないだろうか、そしてさっさと上がってくれ。
「…………」
「どうしたの? あい。そんなにおっきいの珍しい?」
ナニの話題から離れてほしい……。
「お兄さん起きてませんか?」
っ! バレたのか? でも俺は悪くない! ロリコンじゃないし、覗くつもりもなかったし、先に入ってたの俺だし。
「え!? これ起きてるの? あたしは寝てると思うけど」
「お父さんが寝たふりしてるのに似てる気がして……」
『…………』
三人が黙りこくる。もういいだろ、早く汗流して上がってください! ざぶざぶと音がして離れていく、よかった、なんか凄い疲れえた。
『せーのっ!』
「ぼぅふ」
掛け声が聞こえたと思ったらお湯が降ってきた。
「あー! やっぱり起きてた!」
「こんなことされたら寝てても起きるわ!」
美緒の友人であろう二人が桶を持って岩の上に居た。寝たふりで逃げ切ったと思ってたのに。
「あはははははは、お化けみたーい!」
ショートヘアの天真爛漫そうな娘が大笑いしている。もう一人のセミロングの娘も声こそだしてないけどお腹を抱えている。岩の傍に居る美緒も笑いを堪えるのに必死な感じだ。俺の髪は長い、前髪は横に流してないと顔が隠れる程だ。それがお湯を思いっ切り被ったせいで顔に張り付いている、確かにホラー映画なんかの化け物の様な状態なのだろう。にしても意外だ、美緒は大人しそうだしこういうのは止める派だと思っていたんだけど、今は顔を背けて笑っている。
「起きてるのが分かって気は済んだだろ、さっさと身体洗って上がってくれ、俺は見ないように岩の裏に居るから」
じゃないと俺が上がれない。
「えー、別に見てもいいよ~、あたし達も見たし」
「そんな趣味はない!」
そう、そんな趣味はない、俺はロリコンじゃない。
「航怒ってるの? これくらいいーじゃん、ケチだなぁ。航は手が使えないんだよね? 背中流してあげるから許してよ~」
「俺はお前たちと違って、身体はちゃんと洗ってから入ったから必要ない」
「手使えないのに洗えたの?」
「使えないのは片手だけだから洗えるよ」
片手だから背中は微妙だったが。
「背中も?」
「背中は…………」
図星を突かれて口ごもってしまった。
「はーい、一名様ごあんなーい」
「は? ちょ」
「お兄さんこっちです」
セミロングの娘に手を引かれる。
「いいって! もう怒ってないから!」
足を止めて踏ん張る。これ以上子供に遊ばれてたまるか。
「ダメダメ、身体はちゃんと洗わないとね~」
「うわっ」
ショートヘアに背中を押された。
結局小屋から持ってきた湯椅子に座らされて背中を洗われている。なんでこうなった? 久しぶりの入浴でのんびりしたかっただけなのに。
「やっぱり大人の背中だと洗うの大変だね」
「みくちゃんはお父さんの背中流したりしないの?」
ああ、気まずい、そう思ってるのは俺だけだろうけど、疲れる、早く終わってくれ。
「しないしない、だってめんどくさいもん」
「あいと美緒はするの?」
「私はたまに」
「私はいつもしてる」
美緒は親孝行だな、秋広さんもさぞ嬉しかろう。
「あ、そうだ航、あたしみく、美しい空で美空ね。で、こっちが」
「あいです。愛しい衣で愛衣、美緒ちゃんの事は知ってるんですよね?」
「あぁ、桜家でお世話になってる」
拾ってもらってから殆ど寝たままで世話になりっぱなしだ。
「ねぇねぇ、骨折れてるのってやっぱり痛いの?」
美空が興味深々って感じで聞いてくる。
「そりゃ痛いよ、今は多少慣れたけど、気を付けないと今までの感覚で動かしそうになるしな」
「ふ~ん、大変そぉ、良かったねあたし達が居て」
それは微妙だ。全く気が休まらないし。
背中を流してもらって温泉を出たけど、これどうしよう? 服は辛苦したけどなんとか着た。でも添え木は自分じゃ出来そうにない。このまま戻って源さんか明里さんに頼むか…………。
「その棒なんですか?」
二人より先に着替えたのか愛衣が後ろに居た。
「添え木だよ、腕にあてて包帯を巻いて、腕を固定するのに使うんだ」
「一人でやるんですか?」
「いや、出来ないからこのまま戻って、源さんたちに頼むよ」
「それ、私がやりましょうか?」
どうしよう? 添え木をあてて包帯を巻くくらいなら子供でも出来るか?
「じゃあ、頼む」
「はい!」
手先が器用なのか、簡単に終わらせてしまった。違和感もないしちゃんと出来ている。
「ありがとう、助かったよ」
「いえいえ、さっきのお詫びです」
「愛衣着るの早い~」
「美空ちゃんが遅いだけだと思うよ?」
「え~。あ、航、あたし達先に行くから、じゃぁね~」
三人が走り去っていく。やっと一人だ。
「疲れた~」
誰かと接するのはやっぱり苦手だ、それも子供は、今は特に、年頃はあの娘達の方が上だろうけど子供はこどもだ。嫌でもあの少女が頭に浮かぶ、戻ったら話してみないといけないよな、一人じゃ亡骸を運べない、それどころかあの場所にも行けるかどうか怪しい。
「はぁ、気が重い」
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