二章~異世界の日本~

罪の意識

 ぼんやりと梁が見える、古い日本家屋の天井? ばあちゃんの家を思い出すな。なんで俺はこんな所で眠っていた? 傍に誰かいる? 目が翳んでよく見えない、黒髪? リオ?

「っ!」

 俺が顔を向けると走り去ってしまった。本当にリオに出会った時みたいだな。

「おじーちゃーん! あの人起きたよー!」

 さっき傍に居た人の声か? かなり幼い感じがする。さて、ここは民家で人が二人は居る、ちゃんと逃げられるか? 死にたいとは思ったけど、この国の奴らに殺されるのは願い下げだ! 起き上がろうと身体に力を入れようとしたけど上手くいかない、どうなってる?

「無理に動かん方がいい。運ばれて来た時ボロボロの状態だったんじゃ、それに左腕も怪我しているんじゃろう? もうしばらく寝ていなさい」

 寝ていなさい? この国の人間が異界者にそんなこと言うか? 声のした方を睨み付ける、段々と視界がはっきりしてきた。睨み付けた先には紅い瞳と黒髪の人当たりの良さそうな初老の男性と、男性に隠れるようにして、こちらも紅い瞳と黒髪をした女の子が居た。身長はフィオと同じくらいか? 二人とも着物を着ている、どういうことだ? 

「なにを言っている? 俺は異界者だぞ」

 自分から言うのは間抜けかとも思ったが、どうせ目を見られているんだから今更だ。

「わかっておるよ、君は日本人じゃろ? 儂らも日本人じゃ」

「はぁ?」

「正確には日本人の血縁じゃがの、ここは日本人の血縁の者しか居らん場所なんじゃ、安心して休むとええ」

 日本人の血縁? フィオは異界者とヴァーンシアの混血者の瞳は必ず紅だと言ってたけど。

「証拠は? 日本人と関わりがあるって証拠は?」

「証拠のぅ…………こんなのでどうじゃ?」

 少し悩んだ後、紙を取り出して筆で何かを描き始めた。桜源?

桜源さくらげん、儂の名前じゃ、この世界の者は漢字なぞ書けんからこれが証拠にならんかのぉ? みお、お前も書いてみなさい」

 みおと呼ばれた女の子も書き始めた。桜美緒さくらみお、この娘が書いたのも漢字、本当に日本人の血縁? 二人とも達筆だ。筆なんかでよくあんなに綺麗に書けるもんだ。

「この子は儂の孫でな、美緒という名じゃ」

 孫ね、それにしては若いおじいさんだな。


「なんでこんな場所が? 俺は異界者を嫌う国に居たはずなのに」

「そうじゃな、この国の人間の殆どが異界者を蔑み嫌っておる。じゃがそうでない者も居ってな、そういう者に助けられて儂等の先祖がこの村を作ったんじゃ」

 そうじゃない者、リオみたいに優しい人間が昔にも居たって事だろうけど。

「村なんて作ったら見つかるんじゃ? 俺は人の寄り付かないほどの山奥に居た覚えはないんですけど」

「覚醒者と呼ばれる者が居るんじゃが、その者は不思議な力が使えてなぁ、この村を作った儂のご先祖様もその覚醒者でな、普通の者じゃこの村に辿り着けぬ様に細工を施してあるんじゃ、その細工のおかげで遠くから村を見る事も出来んから今まで平穏無事に暮らせておるよ」

 こんな都合のいい場所があるなら、あの時多少の無理なんて気にせず助け出してれば…………。


「うっ、すいません何か受ける物ないですか? 吐きそうです」

「ちょ、ちょっと待っとれよ」

 情けない、なんでこんなに情けないんだ俺は。少女の亡骸の虚ろな瞳が頭を過ぎっただけでこの様である。

「この桶を使いなさい」

「すいません」

 一人では起き上がれず、おじいさんに介抱される。吐いた、ひたすら吐いた、吐く物が無くなっても胃液を吐いた。上がってきた胃液で喉が痛い、それでも吐き気は消えなかった。あの虚ろな瞳に責められている気がして苦しい。なんで俺はあそこで日和った? リオを助ける時は自分の命なんて顧みなかったのに、俺が見捨てた、俺のせいで死なせてしまった。罪の意識が消えてくれない。

「ごほっ、げほっげほっ」

 腹が空になったんだろう、胃液すら出なくなった。それでも気持ちの悪さは増していく。人の死には何度か遭った。母さん、祖父母、三人は病死だったから身体に外傷はなかった。眠っている様な綺麗な顔だった。カイルは一瞬で肉片に変わってしまった。人の原型なんて留めてなかったから気持ち悪いという感覚はあまり抱かなかった、何より直ぐに気絶させられたから記憶にあまり残ってない。でも今回の少女は違う、間近で見て、その様子も記憶に焼き付いている、振り払おうとしてもあの光景が勝手に頭の中で再生される。少女が虚ろな瞳でこっちを見ている、お前のせいで私は死んだのだと。




「どうして助けてくれなかったの?」

 右腕と左脚を失い、裂けた腹部から臓物がはみ出た少女が生気のない顔で問いかけてくる。

「他の人、この世界の人の為には命まで掛けたのに、どうして私は助けてくれなかったの?」

 少しずつ近づいてくる。やめてくれ! 来ないでくれ!

「同じ日本人なのにどうして見捨てたの? 手も足も凄く痛かったよ。なんで私がこんな思いをしなくちゃいけないの? お兄ちゃんが助けてくれれば痛い思いをしなくてよかったのに、どうして助けてくれなかったの!?」

 少女の左手が俺を掴んだ。


「やめろおおおぉぉぉー!」

 自分の大声で目が覚めて飛び起きた。

「ハァ、ハァ、ハァ――」

 夢だったのか? いつ眠りについたんだろう? 記憶が曖昧だ。それにしても最悪の夢だった。でも、自分の行動が招いた結果でもある。やっぱり俺のせいになるのか…………こんなことになるなんて思ってなかった。異世界の存在だとしても、同じような姿形をした相手を、それもあんな子供にあんなことをするなんて思わなかったんだ!


「大丈夫? 随分大きな声だったけど」

「っ!」

 女の人? 誰だ? 場所は眠る前と同じ所だと思う、おじいさんの家族か? 孫だと言っていた美緒に少し似ている気がする。

「ああ、ごめんなさいね、私は明里あかり、桜明里です。明るい里と書いて明里、源の娘で美緒の母親です」

 俺が訝しんでいたのに気付いて名乗ってくれた。やっぱりおじいさんの家族か。

「すいません、大声を出して」

 夢に魘されて大声を出すとかまるっきり子供だ。

「それはいいんだけど、大丈夫? 昨日も体調が凄く悪かったって父さんから聞いてたんだけど、今も顔が真っ青よ」

 自分の罪を突き付けられて魘されてました、とは言えそうにない。

「大丈夫です。少し夢見が悪かっただけなんで」

「そう? そろそろ朝食が出来るけど食べられそう?」

 食事……今食べてもまた吐くことになりそうな気がする。

「すいません、今は食べられそうにないです。ごめんなさい」

「気にしなくていいのよ。食べられそうになったらいつでも言ってね。すぐに準備するから」

 それだけ言って部屋を出て行った。そういえば昨日から普通の会話してるな、妙な感じだ、こんな国で、リオ以外とまともに会話が出来るなんて思ってなかったから。

 喉が痛い、昨日の胃液のせいだろう。少し水を貰おう、そう思って立ち上がってから気が付いた。これ俺の服じゃない、甚平ってやつだっけ? 俺の服はどうなったんだ?

 部屋を出て声のする方へ向かう。さっきの襖だったな、本当に日本に居るみたいだ。昨日は起き上がるのもままならなかったけど、今は一応動けるな。


 声のする部屋の襖を開ける。会話が止んだ、居るのは源さん、明里さん、美緒と男の人たぶん美緒の父親だろう。家族団欒の場に異物が入り込めばこうなるか。

「すいません、少し水を貰えませんか?」

 用だけ済ませてさっさと戻ろう、こんな場所居辛い。

「はいはい、ちょっと待ってね」

 明里さんが台所へ向かう。本当に古い日本家屋みたいだな、竈があるし、一家が食事してる場所には囲炉裏もある。日本に戻れたような気がして少しだけ気分がマシになる。

「どうじゃ、お前さんも食べんか? 珍しい物はないがうちの娘の料理は美味いぞぉ」

「すいません、今はまだ食べられそうにないです」

「そうか……」

 そういえば俺は名乗ってない。助けてもらってるのに名乗りもしないってかなり失礼だな。

「あの、俺は如月航っていいます。助けてくださって、本当にありがとうございます」

「いいよいいよ、気にしなくて、同じ日本人なんだから」

 男の人、美緒の父親がそう言った。同じ日本人…………俺はその同じ日本人を見捨てた。俺に助けてもらう資格なんてないんじゃないか?

「如月は分かるがわたるはどういう字を書くんじゃ?」

「船で航海するの航の字です」

 まさかこの世界で自分の名前の漢字を説明するとは思ってなかった。

「あ、お義父さん達はもう名乗ってるんでしたっけ?」

「ああ、あとはお前さんだけじゃ」

「僕は明里の夫で美緒の父の桜秋広さくらあきひろっていうんだ。字は秋に広いで秋広」

 苗字が桜なのに、秋なのか……。

「はい、お水」

 水の入った湯飲みを渡された。

「ありがとうございます、明里さん。あの、俺の服ってどうなったんですか?」

「一応捨てずに置いてあるが、所々焼け焦げておってとても着られる物じゃなくなておるぞ。一体なにがあったらああなるんじゃ?」

 俺の服を持ってきて見せてくれた。確かにそこらじゅう焼け焦げた様な穴だらけだ、タンクトップと黒シャツはもう着れないな、ジーンズの方は一応まだ穿けそうだけど好んで穿きたくはないな。なんでこうなったんだろう? 山の中を無茶苦茶に走ってて、雷がうるさくって、大きな音がした瞬間辺りが明るくなって……もしかして落雷を受けた?

「落雷を受けたのかもしれません」

『落雷!?』

 桜家一同かなり驚いた様子。まぁ、俺も信じられない、バラエティ番組で落雷から何度も生還した人の話を見たことが有るけど半信半疑だった、のにまさか自分が体験することになろうとは。

「確かに君を見つける少し前に大きなのが落ちたけど、まさかそれが当たっていたなんて……」

 秋広さんがそう言って唖然としている。

「秋広さんがここに連れて来てくれたんですか?」

「おお、そうじゃ、秋広がお前さん、航を連れ帰ったんじゃ」

「ありがとうございました」

「さっきも言ったけど気にしなくていいよ、同じ日本人なんだから」

 さっきと同じ言葉が心に突き刺さる。俺は…………どうすればいいんだろう? どうやったら贖える?

「その左腕はどうしたんじゃ? 落雷のせいじゃあるまい?」

「これは、盗賊に折られました」

「そういえば、混血者の盗賊に村や町が壊滅させられたって噂が立ってたな、その盗賊の目は紅かったかい?」

 盗賊の情報は結構広まってるのか?

「紅かったです。というか自分で異界者とヴァーンシアの混血だと言ってました」

「そうか、教えてくれてありがとう。他の人にも気を付けるように言っておかないと」

 この人たちも瞳が紅い、混血って事なんだろうけど、この人たちも身体能力が高いのか?

「落雷なんて受けたのなら、まだ休んでおった方がいいじゃろ、部屋に戻ってゆっくりやすむとええ、何か食べられるくらいに回復したら温泉に行ってみるのもええかもなぁ、あの温泉は怪我に良いから骨の治りも良くなるかもしれんからなぁ」

 温泉…………ここでは風呂に入れるのか、興味は湧いたけど入りに行こうという気分にはなれなかった。重い足取りで部屋に戻った。


 まだ、気持ちの整理がつかない、俺だって自分の事で手一杯だった! 腕だって折れているし、どうにもできなかった! そう言うのは簡単だ。でも、頑張れば助けられたんじゃないか? その考えが頭から離れない、助け出してここに来ることが出来たなら、元の世界に帰れないとしても、平穏な暮らしをすることが出来ただろう。あの時、あの娘にそれをしてやれるのは俺しか居なかった。それなのに俺は日和って逃げた。別にあの娘の事を死んでもいいとか思ってたわけじゃない、でも結果として殺されてしまった。その事実が重く圧し掛かってくる、記憶に焼き付いた少女の亡骸の虚ろな瞳も罪の意識を助長する。


 苦しい、ようやく安全な場所に来られたのに、気は休まらない、誰かに見られている気がする、そしてそれが亡骸の少女なんじゃないか、という恐怖が心を支配する。なんでこんなことに? 全部俺が悪いのか? 嫌な事から逃げるように眠りについた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る