第2話
佇雨が一斗達肝試し一行と会った日から約一週間が経った。
その間、何かおかしなことが起きた報告や、お化け鏡に関する噂が佇雨の耳に入ることはなかった。
やっぱり悪ふざけか勘違いだったか。そう思いながら例によって高校からの帰り道を自転車に乗っていた佇雨は、向こうから一人でとぼとぼ歩いてくる黒いランドセルを見つけた。
うつむき気味のその顔には見覚えがあって、記憶を辿りながら目を凝らす。あれは、お化け鏡の持ち主の少年じゃなかったか。名前は、えーと。
「悟」
地面を見ていたから気づかなかったのか、びっくりしたように少年は顔を上げる。少し気の弱そうな彼は、やっぱりこのあいだの悟だ。
「大将……」
お前まで大将呼ばわりか、と内心ややげんなりしながら、軽く声をかけた。
「しょぼくれてんなあ。肝試しはどうだったよ、お前んちのお化け鏡は」
途端、悟の顔が歪み、丸い瞳に涙がぶわりと浮かんだ。口元がひくひくと引きつり、そして。
「う……うわああああん」
えええ泣いた! まじかよ!! 俺のせい?
狼狽えながら、佇雨はしゃがみこんで何とか子どもをあやそうとした。
「ま、待て、落ち着け。泣くな。どうした、何があった」
「鏡が……」
「鏡? って、アレか? お化け鏡のことか?」
両手で目を擦りながら、悟は涙交じりに訴える。
「お化けもなんにも出てこなくて……みんな僕のこと嘘つきだって……!」
ああ、なるほどね。
あの日、鏡を見に行ったはいいが何も起こらず、一斗やあの生意気そうな眼鏡に「ほら話だ」と言いふらされたんだろう。結局、お化け鏡はただの鏡だったわけだ。妙な事件に発展しなかったことに、ひとまず佇雨はほっと胸を撫でおろす。
「まーあんま気にすんなよ。ユーレイだってそんな暇じゃないのさ。周りの奴らだってそのうち……」
「ちがう……」
「え?」
「嘘だよ……」
「嘘?」
鼻をぐずぐず鳴らしながら、悟は言った。
「嘘なんだ、お化け鏡の話」
* * *
「とりあえず飲め。そんなに泣いたらひからびるぞ」
途中の自販機で買ったスポーツドリンクのペットボトルを、佇雨はむぎゅと悟の頬に押しつけた。
お。さすがは子ども、いい弾力。
佇雨と悟の二人は今、白珠洲神社の境内へと続く長い石段の途中に並んで腰掛けていた。
白珠洲神社――そう、何を隠そう佇雨の実家である。
尾仁江には、神社仏閣の類はたった一つしか存在しない。それが白珠洲神社であり、神主として代々社を守ってきたのが白珠洲家だ。
白珠洲神社は尾仁江の一番奥まった場所、
落ちついた場所で話をするために、佇雨は悟を自転車の後ろに乗っけてとりあえずここまで連れて来たのだった。
悟は渡されたペットボトルを握りしめ、俯いて小さくなっている。涙は止まっているが、まだ時折しゃくりあげているし、顔も赤い。
佇雨は自分の分のペットボトルをぐいとあおり、こちらから口火を切った。
「――つまりだ。『お化け鏡』っつうのは、さいっしょからお前の作り話だったってことか?」
悟の丸まった肩がびくりと震える。それでもだんまりを続けようとするのを、「悟」とたしなめるような声音で呼び掛けると、ようやく口を開いた。
「……こないだの大雨の日に、一斗と悠聖と3人で怖い話したんだ。でも僕、怖い話なんて全然思いつかなくて……。その時、うちの蔵にある鏡のこと思い出したんだ。すごく古くて大きくて、それが暗い中にあると何か映りそうだなってずっと思ってたんだ。だからつい、うちの鏡にはお化けが映るって言っちゃったんだ。そしたら二人が見に来たいって言いだして……」
そうして見栄張って嘘ついて、引っ込みがつかなくなって自爆したわけだ。
実にガキらしい、しょーもなく切実な見栄だ。
佇雨は段差に背を預けるように空を振り仰いだ。
「そりゃあ残念だけど、自業自得ってやつだなあ」
「わかってるよ、そんなこと……」
「俺も適当な人間だから、嘘つくなとは言わないけどさ。つき通せない嘘は自分の首を絞めることになるんだ。これでわかったろ」
悟はますますしょぼくれたように小さくなる。佇雨はため息をついて、その沈みきった横顔をこっそり見つめた。
佇雨にだって、悟の気持ちがわからないわけではない。よく考えずに勢いで言ってしまった嘘が思いがけず大ごとになってしまったことや、いつ嘘がばれてしまうかと考えて夜もろくに眠れなかったことがある。
そういういてもたってもいられないような時間を、この1週間悟が充分味わったのだということが、その姿を見ればわかる。「やってしまった」ということは自分が一番痛感しているだろう。佇雨はこれ以上悟を弾劾する立場ではないし、するつもりもない。
どっちかといえば、まだまだ悪ガキの側、のつもり。
佇雨は丸い小さな背中を思い切りバン、と叩いた。
「今の話はさあ、聞かなかったことにしてやるよ。俺は何も聞いてない。お前の嘘は嘘じゃない。ほんとのことはお前の胸にだけしまっとけ。クラスの奴らには、知らないうちにお祓いされてたとか鏡の力が弱くなってとか、はぐらかして、周りの奴らが飽きるまで、嘘なんかついてないって言いきれ」
「できるかな、そんなの……」
「できるかじゃなくて、やるんだよ。それが嘘つきの矜持ってもんだ」
「矜持ってなにさ」
「プライドってことだよ。嘘は堂々とつけ。そうすりゃ本当らしく見えるもんだぜ。俺はずっとそれで乗り切ってきた」
腫れぼったい目で、悟は佇雨を見上げる。
「……大将って、もしかして悪いやつ?」
「なんだよ、知らなかったのか?」
佇雨は笑った。つられたように悟も笑った。
上目遣いの悟の目は、少し赤いけどもうすっかり乾いていた。
その後、佇雨はもう一度悟を自転車の後ろに乗っけて家まで送ってやった。
帰り道、すっかり暗くなった道をちんたら漕ぎながら、自分の小学生時代のことなんかを思い返していた。
佇雨のなかで、『お化け鏡』はもうすっかり解決したできごとになっていた。
* * *
それから、さらに半月ほどたったある夜。
夕食を終えた佇雨が自室で寝転がって漫画を呼んでいると、遠くから何やら騒々しい声と足音が近づいてきた。
何事かと上体を起こしたところで、「静かに! ここで待つように!」というぴしゃりとした声がした後、襖越しに呼びかけられた。
「佇雨様。よろしいですか」
「なんだよ。何事?」
するりと襖が開いた先には、作務衣姿の男・
これがおよそ厄介事というものを毛嫌いしている男で、面倒なことが起きると途端に苛々しだすのだが、まさに今も眼鏡の奥で目の下の皮膚が苛立ちを示すようにひくひくと痙攣していた。
「実はですね。小学生くらいの子どもが来て、とにかく大将を呼んでくれと騒ぎ立てておりまして。……佇雨様、この辺の小学生から大将って呼ばれてませんでした?」
「……呼ばれてるな」
佇雨はため息をつき、あぐらをかいて、自分のことを大将と呼ぶ悪ガキ達を思い浮かべた。もう11時になるっていうのにこんなとこまで押しかけてくるのは一体どいつだ。
不快感を隠そうともせずに、常陸は続ける。
「支離滅裂で要領を得ないんですが、お化け鏡がどうとか……ってこら! 向こうで待ってろって言っただろう!」
「大将!」
常陸の言葉を遮って、小さな体が部屋になだれ込んでくる。慌てて捕まえようとする常陸の手を潜り抜け、佇雨の目の前に涙でぐちゃぐちゃになった顔を突き出して、そいつ――悟は叫んだ。
「どうしよう大将! 本当に鏡からお化けが出てきちゃった!!」
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