第1章 お化け鏡

第1話

 日本のとある山あいにある土地、尾仁江おにえ

 その日、尾仁江小学校の五年一組の教室では、三人の男子生徒が窓の外を見てはつまらなそうにため息をついていた。

 外は土砂降りの雨だった。普段なら帰りの会が終わると同時に教室を飛び出して外へ遊びにいく三人は、この雨のせいで彼時間を持て余していたのだ。

 ランドセルをお腹に抱え、一人が呟く。


「雨かあ……」

「全っ然止まないじゃん」


 眼鏡をかけたもう一人が苛立たしそうに言った。


「どうする? 帰る?」

「嫌だよ。こんな時間に家帰ったってつまんねーよ」


 雨粒が窓ガラスを叩く音が大きくなる。遠く吹いている風が、何かの呻き声のようだ。空は塗りつぶされたように真っ黒で、蛍光灯に照らされた教室からは外の暗さが余計に際立って見えた。


「――せっかくだからさあ」


 黙りこくっていた三人目が、ふいに言った。


「怖い話、しようぜ」


* * *


 昼過ぎから馬鹿みたいに降り始めた雨は、四時になったあたりで思い出したようにぱたりと止んだ。

 雨上がり特有の、草花のむせかえるような匂いで満ちているなかを、佇雨は愛車(自転車)で帰路についていた。実は傘がなくて、さっきまで高校の校舎から出られずにいたのだ。

 傘くらい頼めば家の誰かがすぐ持ってきてくれただろうが、そういうふうに人を使うのはあまり好きではなかった。

 自力で帰れてよかった、と思いながら自転車を漕いでいると、 向こうからランドセルを背負った小学生三人組がわあわあ騒ぎながらやって来るのが見えた。その中に見知った顔を見つけ、佇雨は自転車を停めて声をかけた。


「よう一斗。元気だな」

「大将!」


 先頭を歩いていた少年・一斗いっとが元気よく答える。

 こいつは尾仁江小の、確か五年か六年の生徒だった。なんでか知らないがこいつが言いだしたせいで、佇雨は一部の男子小学生から大将と呼ばれていた。


「大将じゃないっつの。ていうか、お前家こっちだっけ?」

「いや、これから悟んちのお化け鏡を見に行くんだ!」


 そう言って、一斗は傍らの少し気の弱そうな少年を示してみせた。彼がさとるというらしい。


「お化け鏡?」

「そ! こないだ三人で怖い話してさあ。その時に聞いたんだけど、こいつんちの蔵にすげー古い鏡があってさ、勝手に移動したり、変なもんが映ったりするんだってよ!」

「なんじゃそりゃ。やばい話じゃないだろうな」

「やばいよ! だって幽霊が映るんだぜ!」


 一斗が言うと、残りの二人も口々にやばい! やばいよ! と競うように声を張り上げた。まるで腹を空かした雛鳥のようにやかましい。佇雨はあーあーうるせえ、と耳を塞ぐ。

 そこで、でも、と三人目の眼鏡の少年が意地の悪い顔をした。


「でも、本当だったらだけどね」

「ほんとだよ!」


 弾かれたように、悟は子どもらしい丸い顔を紅潮させる。


「本当に見たんだ、誰もいないのに、黒い影が映ったんだよ! 前見た時と場所が変わってたりするし!」

「お前の父さんが動かしたんじゃねえの?」

「違う! 誰も入ってないのに動いてたの!」

「本当かー?」

「ぼくが嘘ついてるって言うのかよ、悠聖」

「別に嘘とは言ってないけど? 悟ビビリだし、勘違いかもな」

「なんだとっ……!」

「はいはいそこまでー」


 睨み合い、急にぴりぴりした空気を出し始めた二人の間に、佇雨は自転車をごろごろと転がして割って入る。


「喧嘩すんな。仲良く肝試ししてこい」

「そうだよ。本当かどうか、これから確かめるんだろ」


 一斗も横から口を出す。二人の言葉に、悟と悠聖ゆうせいは睨み合っていた目線をしぶしぶ逸らした。

 一斗が、ぴょんと跳ねていきなり走り出した。


「悟んちまで競争な。俺いちばーん!」

「あ! 待てよ」

「ずるいぞ一斗!」


 残る二人も慌てて追いかけて行く。先頭の一斗が、走りながら振り返って佇雨に手を振った。


「じゃあな大将!」


 だから大将じゃねえっつうの。

 佇雨はため息をつき、ハンドルに乗せた両ひじにあごを乗せて、元気に揺れる三つのランドセルが遠ざかって行くのを眺めた。

『お化け鏡』か。


「……止めた方がよかったかな」


 ちょこっとだけ後悔して、ぼそりと呟く。

 例えそれが本当だろうがガセだろうが、怪異と思われる怪しげな減少には近づくな関わるな、というのが佇雨の年下の幼馴染の口癖だったから。


「……まあ、いっか」


 何もかもを規制してコントロールするなんて不可能だし、そもそも好奇心の塊みたいなあの年頃の子どもを、理屈で止めることができるとも思えないし。

 本当に何かおかしなことが起これば、佇雨の耳にも入ってくるだろう。

 しばらくは様子を見ようと決め、身を起してペダルに足をかけた。



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