あや怪し

満島

第0話

だから佇雨様、その時が来たら、必ず思い出して下さいませね。

それまでは、どうかすべて忘れたままで――。


* * *


自室の布団の上で、白珠洲佇雨しらすず・じょうは目を開けた。そして、真上の天井の木目の線を数えた。一、二、三……今朝は七本だった。十六年間見続けてきた木目だが、こいつが時折六本になったり八本になったりする。まあ、そういうことだってあるだろう。

障子からは朝の光がいっぱいに差し込んでいて、部屋はもうすっかり明るかった。

佇雨は一息に上半身を起こし、大きく伸びをした。頭の中はもうすっきりしている。元来、寝起きはいいほうだ。

いつもの通り布団を畳み、さて着替えようとしたところで「失礼します」という声と同時に襖が開け放たれた。

「おはようございます、佇雨様」

 無表情で挨拶してくるのは、セーラー服姿の少女だ。膝が半分見えるくらいの紺色のプリーツスカートと、そこから伸びるほどよく筋肉のついた二本の脚のするりとした白さのコントラストとが眩しい。

じゃなくて。

「だぁかぁらぁ、『失礼します』から一拍置いてから開けろっつうの。俺が着替えてたらどうすんの。キャッ、佇雨、恥ずかしい!」

「私は佇雨様がパンイチでもフルチンでも構いません。もうじき朝食ですので、お急ぎください」

眉をぴくりとも動かさずにそう告げると、少女はスカートの裾を芸術的に翻して去って行った。

一人残された佇雨は、部屋の真ん中でやれやれ、とため息をついた。ここまでが毎朝のルーチンである。

日常を構成する大部分は反復だ。同じことを繰り返し、積み重ねることで日々は組み上がっていく。

佇雨が繰り返し見ている夢も、その一つだ。

いつの頃からか、佇雨は同じ夢を繰り返し見るようになった。

しかし、目覚めた時にはいつもその内容はすっかり頭の中から抜け落ちている。覚えているのは、覚醒する間際に聞く声だけ。


『だから佇雨様、その時が来たら、必ず思い出して下さいませね。

それまでは、どうかすべて忘れたままで――』


女の声だ。誰の声かはわからない。でもその人物のことをよく知っているような気もする。

たかが夢だ。

けれど佇雨は、自分が「その時」を待ち望んでいるのではないかと思える時がある。いま反復し、繰り返しているこの日常のすべてが「その時」のために備えられたものであるかのように思える時が。

佇雨は障子を開け放った。庭を見渡すと隅に植えられた山茶花の木が、一つだけ薄桃色の花をつけているのが目についた。

秋の終わりから冬にかけて咲くはずの花。

今は六月。

狂い咲きだ。

知らず知らずのうちに、佇雨は笑っていた。

――不思議なことは起こる。

判で押したような生活を繰り返しているつもりでも、「それ」は気づくと日常に入り込んでいる。

木目の数が変わったり、季節外れの花が咲くように。

当然だ。だってここは、普通の場所ではないのだから。

けものとけだもの、人と人ならざるものが共に生きる土地、尾仁江おにえ

普通ではない土地。けれども佇雨の、この土地に生きる人達の日常。

「――さあ、今日も始めようか」

昨日の繰り返しの今日を。

けれど決して同じではない今日を。

始めよう。

これは不思議な土地で起こる、不思議な物語。


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