風立ちぬに対する妄想

 これは妄想です。


 本当にそうかどうかわかりません。

 金田伊功ってアニメーターの人がいました。もう亡くなっています。

 素晴らしい方でした。

 彼の描くアニメはみんなから愛され、そのフォロワーも沢山生みました。

 ときに彼の絵は疎まれもしましたが、それ以上に彼と仕事をしたい人が多かった。

 彼自身もとても愛されていました。

 それは、本当に様々な人が愛していました。

 宮崎駿もそのひとりです。

 原画頭という役職名から、頭、頭と宮崎駿は呼び自身のファンだったという彼を愛してやまなかった。

 もののけ姫以降、金田伊功が宮崎駿作品に顔を出す事はなくなってしまいましたが、それまでずっと原画を頼んでいるところをみると本当に好きだったようです。

 金田伊功が亡くなるのは2009年。

 崖の上のポニョ公開の翌年、風立ちぬ公開の四年前です。

 


 そして、ここからが妄想です。


 あの主人公二郎のキャラクターデザイン。

 金田伊功ではないでしょうか?

 金田伊功は随分現代的ではありますが、大正期の青年に映して描くとあんな感じになる気がします。

 金田伊功は、幼い頃。パイロットだった父に憧れてパイロットになる夢を抱きますが、目が悪くパイロットは断念します。

 冒頭、二郎は夢の中でたくさんの女の子の注目を浴びながら自作の飛行機で空を飛びます。

 実際の金田伊功のまわりには女の子がたくさんいて、その中で談笑する金田伊功は本当にたのしそうで、そしてみんなも彼の周りで楽しそうにしていたということです。


 金田伊功が亡くなったのは2009年の7月。崖の上のポニョの公開が2008年の7月。

 もう次回作の制作に入っていてもいい頃です。

 風立ちぬの制作時期に少なくとも彼のことが頭にあったという風に考えるのは普通だと思います。

 実際、金田氏が亡くなったその日、宮崎監督は半日ほど気が動顚していたとインタビューで語っています。


 そして風立ちぬでは友永和秀氏が30年ぶりくらいに宮崎作品に参加しています。

 氏は金田氏の盟友的な人物。

 もしもご存命ならば金田氏に空中戦を描かせてということもあったのではないかと想像します。


 そして偶然かもしれませんが、風立ちぬの公開日は金田氏のご命日の一日前。

 すべてが偶然というのは出来過ぎた話じゃないかと思いました。


 というこれらが私の妄想です。


 そう思うとこの二郎が自然と金田氏に見えてきます。

 サングラスをかけたり、長髪だったりもありませんがあの大正、昭和の初期にいたらこんな感じだったのではなかろうかという片鱗が見える気がします。


 そうするとどうでしょう、この二郎は一般的にというか宮崎監督自身は堀辰雄と堀越二郎の合体というふうに言っていますが、実際は宮崎駿と金田伊功の合体とかんがえられませんか?

 それをふたりの後輩たる庵野秀明が声を中てる。

 こんなにいかにもなこともないのではないでしょうか?

 まあ、これも妄想ですが。

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日本文化についてあれこれ思うこと 子黒蓮 @negro_len

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