「アズサちゃんさっきのブイ見てどうだった?」


 テレビ局のスタジオ、華やかなセットの上に立つ芸能人に無数のライトとカメラの熱視線が注がれる。この場を仕切っているのは俺だと言わんばかりに派手な服装をした男性が小木アズサに場のマイクを向ける。


 「えー、なんか温泉とかすごく行ってみたいと思う!」


 「普段は温泉とか行くの?」


 「行きますよー!大江戸温泉とか、富士の湯とか!」


 「それ温泉じゃなくて銭湯じゃないの?」


 MCの男性の言葉に、観覧席に座る観客からドッと笑いが起こる。それに乗じて周囲の芸能人が茶々を入れ始める。


 「アズサちゃんお嬢様じゃないの?」

 「絶対、本場の温泉なんか行ってないやん!」


 さらに場の空気はヒートアップする。

 

 アズサは顔を赤くし、なんとか弁明する機会を得ようと周囲が落ち着くのを待っていた。しかし、大江戸温泉はれっきとした温泉だと思っていた彼女にとってこれ以上口をついて出る言葉は見つからない。

 落ち着きを取り戻しつつあるスタジオ内は再びアズサの返答を待ち望んでいた。

 何と言えば正解なのだろう、お嬢様としてのアズサにはこれ以上の恥辱はないわけで、お嬢様のアズサには最早出る幕ではないように思われた。であるならば、ここは似非お嬢様として茶化しておいた方が得策だろうか。アズサは賢くない頭脳をフル回転させて言葉を返そうとした―――その時だった。



 「私も行きますよ、大江戸温泉」



 美織が落ち着いた口調で言い放った。


 「え、美織ちゃんも行くの?」


 MCが目を点にしながらその言葉に食いつく。


 「行きます。都内からのアクセスも良いし、中高生に人気の有名なスイーツ店も近くにあるし、学生の頃みんなでよく行ってました」


 観覧席を含め、周囲の人間がざわつき始める。美織は硬派なお嬢様キャラで通っていながら、これまで数々の小金持ち芸能人の武勇伝を凌駕するエピソードを話していただけにこの発言は意外な注目を集めた。

 大衆向けのスーパー銭湯に通う麗しき女学生、その稀有けうな組み合わせに人々が興味を惹かれようとしている。そんな異様な空気を美織は肌で感じながら、なおも場の主導権を握り続けた。


 「地元の大衆浴場もよく行きます。本当の贅沢ってああいう身近な場所にあるものだと思うんですよね。皆さんももっと足を運んでみるといいですよ―――」 


 「はー、これは意外ですね。こんな若い子が銭湯行くんだ……。鷲野さん、どう思う?」


 MCの男性はこれ以上、美織の空気にはさせまいと強引に別のタレントに話を振った。美織のムッとした顔はカメラワークから外れ、会話の本題は美織とアズサから遠く離れていった。


 その様子をジッと見つめる佐伯。


 今日は二人にとって何十回目かの共演であり、そして初めてテレビに出演した日でもあった。アズサはところどころ言葉に詰まる瞬間はあったものの、緊張しやすい彼女の性格を考えればむしろ及第点だろう。今日はとりあえずどのような形であれ、目立つことが先だ。彼女の良さは後から分かってくる。

 問題は美織だ。アズサに比べて地味に映る彼女は発言が後手後手に回りつつも、その特異なカリスマ性で注目を浴びていた。しかし、いつもの彼女らしくない。彼女はもう少しわがままな娘に見えていい。それが年相応であり、やけに落ち着き払った若者は鼻について見られてしまう。今のところは若者に見えないその風貌と言動で体裁は保たれているが、それもいつまで保つかは分からない。


 ただ彼女に直接それは伝えない。いくら人前に出るタレントとは言え、人の感情を抑圧するようなことはしたくない。いつかは鬼になってをする日が来るのかもしれないが、それはつまり花火玉をこしらえる行為になるのだろう、佐伯にはそれがよく分かっていた。



 セレブタレントの一日を追うという地方TV局の番組だが、内容としては予め用意されていたVTRブイを見てコメントをするというものだった。そこで最近若者の間で定着しつつあるお嬢様タレントの美織とアズサが抜擢され、晴れて公共の電波に乗る運びとなったのだ。

 収録が終わり、二人は楽屋に戻ると思い思いの姿勢で椅子に体を預けた。


 「めちゃ疲れた……」


 「あなたテンパり過ぎよ」


 美織は体の関節が抜けてしまったような格好のアズサを横目で視界に入れる。お得意の睨みも利いてないところを見ると、美織にも余程疲労が溜まっていると分かる。


 「二人ともお疲れ」


 佐伯が二人の後を追うように楽屋に入ってくる。


 「佐伯さん…、アタシはもうだめです…」


 「そんなことないですよ。二人とも華々しいテレビデビューを飾ったと思いますよ」


 美織が鼻で笑う。


 「そうかしら?その子いつも以上にあたふたしてたし、私だってあまり発言させてもらえなかったし」


 「そう悲観的になることはないんじゃないですか?新人は得てしてそういうものです」


 「私はもう自分のこと新人だと思ってないし、そんなテンプレの新人で本物の芸能人なんてなれない」


 美織は口を尖らせ、首の力を抜きながら天井を見上げる。


 「アズサさんは自分で自己をどう評価しますか?」


 「アタシ?うーん、楽しかったよ。もちろん緊張はしたし、美織に助けてもらっちゃった場面もあったけど」


 「あなた馬鹿ね。自分の評価を述べなさいって佐伯は言ってるのよ、幼稚園児みたいな感想なんて言ってどうすんのよ」


 「はあ?アンタだって新人タレントの分際でトガった中堅芸人みたいなこと言ってたくせに!」


 アズサは身を乗り出して、美織の挑発に応戦する。いつもならここから軽い取っ組み合いが始まるところだが、二人の疲労はピークに達していたのだろう。美織はそれ以上言葉を掛けず、アズサもその様子を見て黙って椅子に座り直した。


 「まあまあ二人とも。今日はお疲れだと思うのでゆっくり休んでください」

 

 「言われなくてもそうさせてもらうわ」


 「アタシもさすがに疲れたかな」


 佐伯はそこでおもむろに手帳を取り出し、二人の予定を確認する。


 「あ、そうそう。明日はラジオの収録があるので忘れずに」


 「ラジオ?」


 アズサが首だけを佐伯に向けて答える。


 「はい、有明さんのミッドナイトが」


 二人には、多くの若手タレントがゲスト主演してきたあの長寿深夜ラジオの出演が決まっていた。かつて担当していた羽島明菜も期間限定パーソナリティを務めた、あの人気番組である。佐伯は久しく会っていないマネージャー仲間の加藤と吉野に会えるのを密かに楽しみにしていた。


 「明日も大きい仕事だー!」


 アズサが力なく両手を上げる。


 「有明さんは毒舌が厳しいですが気にしないでくださいね」


 「美織に鍛えられてるから大丈夫だよ」


 「はは、それもそうですね」


 佐伯は空笑いをしながら、美織に目を配る。

 彼女は天井を向きながら目を閉じていた。もはやこちらの話など耳を傾けていないようだった。

 テレビ出演は彼女が口うるさく言っていた願いの一つだった。ひとまずその願いが叶って彼女はどのような気持ちでいるのだろうか。いつもより口数の少ない様子を見ると何か計り知れない思いを募らせているのは確かだ。

 



 *


 

 見上げれば眩暈を起こしそうになる程高い都内のビル群、人と同じようにその轟々とそびえ立つ姿を見上げる低身長な雑居ビルに光陵プロダクションの事務所はあった。一階部分はカフェになっているのだが、学生街でも駅近でも住宅街でもないこの中途半端な立地のため客はこの雑居ビルの入居者くらいのものであった。

 佐伯はその店の脇を通ってビルの階段に足を掛ける。ガラス越しにいつもこのカフェを利用しているビルの管理者と目が合う。齢六十の初老男性だが、笑いじわがとても愛らしい。佐伯はその笑顔に応え、愛想よく微笑み返した。


 普段は事務所に足を運んだりしないが、社長が顔を見たいというのでスケジュールの合間を縫ってやって来た。ここに来る時はあまり聞き心地のいい話を聞かされないので、心なしか足取りが重い。また事務所内には独断的な行動をとる佐伯のことをよく思わない者たちもおり、たまにしか顔を見せない佐伯に容赦なく冷ややかな視線を向ける。


 「ふう……」


 四階も階段を上がったことに対してついた一息なのか、これから顔を合わせる上司や同僚に対してついた溜息なのかは分からない。

 ただこれから自分の上司に会いに行く顔ではないと佐伯は両の平手で軽く自分の頬を叩く。


 「おはようございまーす」


 事務所のドアを開いて足を踏み入れる。

 佐伯の挨拶に気づいた何人かの職員が気怠い返事を返す。


 「井上社長はお部屋に?」


 「ん?あー、たぶんいると思いますよ」


 佐伯の手近にいた男性が目線をパソコンのモニターに合わせたまま答える。


 「ありがとう…」


 佐伯はあまり面識のないその職員の言葉を信じ、社長室のドアを三回ノックする。


 「佐伯です」


 室内から『入れ』という短い答えが返ってくる。

 佐伯は静かにドアを開けると革張りのソファーに深く腰掛けた井上の姿を確認する。どこで買ったか分からない迷彩柄のTシャツに橙色のチノパンを履いたその長身の女性に佐伯は頭を軽く下げた。


 「社長ご無沙汰しております」


 「おう。また急に呼びつけて悪かったな」


 「いえ、事務所に顔を出さない私も私ですから」


 「いや、いいんだよ。忙しくしてる証拠だ。ま、座れ」


 井上はおよそ女性とは思えないほど大股で豪快な座り方をしている。ここに葉巻とガラスの灰皿を持ってこれば、誰もここを芸能事務所の一室だとは思うまい。


 「で、お話とは?」


 「いきなりだな、お前も。そう固くなるなって」


 佐伯は井上の指摘で初めて自分の顔が少し凝り固まっていることに気が付いた。

 その顔を和らげるために口角を上げてみる。


 「すみません。社長とこうして二人でお話しする時は緊張しますので」


 「お前も肝が据わってねえなあ。私みたいにどっしり構えてりゃいいんだよ」


 「ははは、社長のようにはなれませんよ」


 「なってもらわないと困る。お前だってずっとそのポジションにいたいわけじゃないんだろう?」


 「私がですか?将来のことはあまり深く考えてませんね。今はこうして生きているだけで精一杯というか」


 「はーつまんねえなあ、ホスピスにいる爺さんみたいなこと言いやがって」


 「そんなホスピスだなんて」


 井上は足を組みなおして窓の外を見つめる。


 「そういやあ、明奈はホスピスで働いてた経験があるらしいな」


 以前の担当だった『羽島明奈』の名前を出すことに躊躇いがあったのか、井上は佐伯と目を合わせなかった。


 「ええ、ご存じだったんですか」


 「ご存知というか、来年の夏の特番であいつ一本の企画をするらしい。実際にホスピスに行くんだとよ」


 明奈は芸能界に入る以前、外国のホスピスで働いていた経験がある。元々は大きな病院で働く看護師を目指して勉強をしていたが、ふと訪れたイギリスで終末期ターミナルケアを学んでからこの世を去る人々の余生について深く干渉したいと思うようになったのだと言う。

 

 「そうですか。最近はテレビで見かけない日はないですよね。そういうお話が来ても可笑しくはないでしょう、彼女には豊富な引き出しがありますから」


 「まあ、な」


 何か言いたげな井上の様子に、佐伯はじっと続く言葉を待つ。


 「…………あいつは花火玉にはならなかったな。よかったじゃないか」


 「そうですね」


 その覇気の感じられない返事に井上は胃のあたりにむかつきを覚えた。くしゃくしゃと髪を掻く。


 「まあ、その…なんだ。その引き出しとやらを大事にしまったままにしておけたのはお前のおかげだろ。あのままお前が担当になってても同じ未来になってたと、私は思うよ」


 「お気遣いありがとうございます。でもお気になさらないでください、私はもう先を見ていますから」


 以前この同じ場所で、井上は佐伯に向かって羽島明奈の担当を降ろすという解任宣告を行った。その時の眼と今の眼は明らかに違っていた。井上は少しはにかみながら佐伯の頭をはたいた。


 「いたっ」


 「生意気言ってんじゃねえよ。そのを預けたのも私だろうが」


 「はは、まあ、それもそうですが」



 「で、だ。本題はあの小娘、浪川美織のことだよ」



 井上は腕を組んで顔を歪める。

 この規模の事務所では余程考えらえないことだが、美織はこの井上と顔を合わせたことがない。その挨拶にも来ない世間知らずな『お嬢様』を彼女がよく思わないのも当然のことであった。

 

 「はい、美織さんのことですか」


 「正直、お前としてはどう見てる?売れる算段はついてんのか?」


 佐伯は井上の眼をじっと見つめる。


 「社長もご存じだと思いますが、今はずっと小木アズサと行動を共にさせています。あの二人は世間的にお嬢様という一括りで見られていますが、実際に二人の性格は大きく違います。美織さんは根っからのお嬢様気質ですが、アズサさんは貧乏性が抜けなくお嬢様を気取っているキャラ……とでも言いましょうか。ただそんなアズサさんに美織さんが鋭い指摘をしたり、意外に肩を持つような発言をしたりと最近では若者を中心に二人の掛け合いを楽しみにしているファン層が増えてきました。この調子でいけば、彼女らはテレビタレントとして売れる……とは思って、います」


 佐伯は最後の結論で言葉を選ぶような素振りを見せた。


 「思っています、か。歯切れの悪い返事だな。いつも強気なお前が珍しい」

 「はい、売れるとは思っています。ただ……」


 「ただ……、二人仲良く、は無理か?」


 佐伯は唾を飲み込んで、ゆっくりとその言葉に頷いた。


 「どっちかの手は切るわけだ。どっちだ?」


 「今のままだと………」


 一瞬の静寂が部屋を包み込む。



 「美織さんを切ることになるかと」



 井上は眉をピクリと動かし、再度足を組みなおす。その答えが意外だったのだろう。小刻みに首を上下し、佐伯の言葉を咀嚼する。


 「なるほどな。私はてっきりアズサの方を切るもんだと思ってた」


 「アズサさんは今のまま行けば売れます。浪川美織を踏み台にして」


 「踏み台か!そいつは愉快だ!」


 井上は佐伯のその表現が余程、悦にいったのか喉を鳴らしながら笑い続けた。

 佐伯本人にとっては、美織を担当するマネージャーとしては面白くない。自分で言ってはみたものの美織に踏み台になどなってほしくない。しかし、現実は非情だ。アズサは世間に出なかっただけで、元々テレビタレントとしての素質はあった。熱しやすく冷めやすい性格だが、単発の情報戦が繰り広げられるテレビの収録ではむしろその方が都合がいい。一つの企画に執着して永遠に熱を帯びられても制作側としては甚だ迷惑である。百点を望まず、短期集中的にその企画にのめり込んで、後は吐いて捨てて次の目標にすぐ向かっていく方がタレントとしては使



 「アズサさんが先に売れたとして、美織さんには大きな壁もあるんです」


 「大きな壁?」


 「はい、美織さんの出演してるイベントやラジオはご覧になったことがおありでしょうか」


 井上は目線を上に、何かを思い出そうとする。


 「見たことはあるが、それがどうした?」


 「どことなく誰かに似てると感じたことはありませんか?」


 「誰か……ああ、そういや……いるな。妙な既視感を覚えてたのはそのせいか」


 今年度、テレビ出演本数ランキング女性タレント部門一位を獲得した若き視聴率女王――――――。



 「佐々木智乃、オリプロの箱入り娘か」


 

 あの加藤が担当するタレント、オリエンタルプロダクション所属『佐々木智乃』は日本の芸能界では最早敵なしと言わんばかりの活躍ぶりを見せている。大学時代からアナウンサーに憧れ、同大学の放送サークルで経験を積むも芽が出ず、大学卒業後は持ち前のプロポーションでモデルデビューを果たし、芸能界に入る。それから長らくはファッション雑誌や中小企業のイメージガールとして下積み時代を過ごす。しかし、ある時出演したバラエティ番組でその高飛車な態度と周囲を惹きつけるトーク力でお茶の間をくぎ付けにし、人気に火が付いた。それからというものバラエティだけでなく、朝のニュース番組や週末の硬派な政治番組のアシスタントに抜擢されるなど局アナ顔負けの活躍を見せている。


 「はい、彼女の振る舞いはどことなく……数年前、日本中を席巻したを彷彿とさせます」


 「同じてつを踏んだって上手くはいかないだろうなあ。まだ周囲はあの頃の佐々木智乃を覚えてるし、何より今は最前線に立ってる。あれからああいう物怖じしないタレントは量産されたし、視聴者としては飽き飽きしてるだろうな」


 「そうなんです。彼女にはもっと変化が求めたいんです」


 「変化、ねえ」


 井上は口角を上げ笑い靨を作りながら考える素振りを見せた。


 「アイツはアイツで知らない間に変化してんじゃねえのか?」


 「なぜそう思われるんです?」


 佐伯はいつもの美織を思い浮かべる。屁理屈が嫌いで、芸能界の縦社会が苦手で、世界が自分を中心に回っていると本気で考えているあの少女の不機嫌そうな顔を想像してみた。彼女の家で彼女を見た時から何も変わっていない。少なくとも佐伯にはそう感じられた。



 「生と死の変化も分からない人間がいるくらいなんだからよ」


 「なんですか、それ?なんかの宗教ですか?」


 「あ?違う違う、オリプロの加藤がこないだ話してやがったんだ」


 「加藤?佐々木智乃のマネの加藤ですか?」


 「そうだ。この間、他事務所の社長さんらと会合があったんだが、そこにひょっこり顔を出してきやがってさ。酔ってたのか知らんが、私がさっきのホスピスの話をしてやったら得意げに『怪談話できます』なんて言いやがって……」


 確かに加藤は以前もラジオブースで怪談話をしていた。嘘か本当か幽霊が見えるらしいのだが、その時もそれに絡んだ話をしていたように思う。まさかお偉い方を前にしてもそんな話ができるとはかなり腕に自信があると見える。

 

 「そんで……そのあと怪談バーっていうのに行ってよお、すっかりハマっちまったんだよな」


 怪談バーとはバー形式のお店に怪談師が来て自慢の怪談を聞かせるというものである。少し前に流行ったマジックバーの派生のようなものだ。


 「そうなんですか、それは私も行ってみたいものですね……」


 「おう、いつでも連れてってやる。いや、そうだな、その前に私が聞かせてやろうか。あれはな、まだ私が広島の田舎にいたころ―――」


 気分はすっかり怪談師となった井上はその後小一時間、佐伯に怪談と思しき話を聞かせた。かつて加藤がそうした時のように佐伯は適当な相槌とリアクションを挟んで心ここにあらずといった様子で時間が流れるのを待った。佐伯はこの手の話がどうにも苦手らしい。結局、話のオチが現実離れしていることに府が落ちないのである。


 しかし、井上の言葉に引っかかる部分がなかったわけではない。

 

 ―――生と死の変化も分からない人間がいるくらいなんだからよ。


 佐伯はその言葉を脳内で反芻しながら、自らの記憶にその情報を補完させる。

 。そんな現実離れしたことを考えていた。




 

 都内某所のラジオ局、そのエントランスでスマートフォンをいじる若い女性が一人いた。時折、誰かを探すような素振りを見せたかと思えば熱心に指を動かしたりとどうにもせわしない。

 これほど寝静まった夜更けに外を歩くことがない彼女―――小木アズサは必死に周囲を警戒していた。いつもの原色ギラギラの装いとは違う、一つも二つもトーンダウンしたコーディネートは年相応に大人びた様子を演出させていた。幼く見られれば、徒党を組んだ暴漢に襲われるかもしれないと、母親からダークグレーのロングコートを借りてきた。これなら心配はいらない、アズサはそう自分に言い聞かせこのラジオ局までやってきた。


 「遅いなあ、入りの時間もうすぐって聞いてたのに」


 アズサが独り言をつぶやくと、エントランスの自動ドアが開き、外界の乾いた風が中に押し寄せてきた。その風に髪をなびかせ、高身長の女性がヒールの音を立てながらアズサの方に向かってくる。


 「え、え……?」


 アズサは自分の方に向かってくるその女性に見覚えがないわけではないが、自分にぶつかる勢いで迫ってくる様子にひるんでしまった。


 「ごめんなさい、道を空けてくれませんか」


 女性は風で乱れた髪を手櫛で整える。


 「す、すいません」


 アズサは自分がエントランスゲートの前に立っていることに気づき、慌ててその場を離れようとする。


 「ごめんなさいね」


 「あ、あの……!佐々木智乃さんですよね!今日はよろしくお願いします」


 「え、と……ファンの方かしら?」


 佐々木智乃はアズサの顔をまじまじと見つめる。


 「いえ、あの今日のラジオで共演させていただく小木アズサと言います!今日はよろしくお願いします!」


 今まで幾度となく先輩に挨拶をしてきたアズサだが、この大物を前にしては緊張を隠し切れなかった。所々上ずった声が吹き抜けのエントランスに響く。


 「ああ、今日のゲストの……、よろしくお願いしますね。では」


 そう言い残すと佐々木智乃は香水の豊潤な香りを残して颯爽と局内に入っていった。


 「本物の智乃さんだあ……、かっこいいいなあ」


 アズサは羨望の眼差しでその後ろ姿を追う。芸能界のトップランカーと今日、自分は同じ仕事をするのだという胸の高鳴りがここに来て絶頂を迎えていた。絶対に失敗は許されない、本物の芸能人を見たアズサはそう思い込み始めていた。

 程なくして急いだ様子の二人組が自動ドアを開く。遠まきながらシルエットで分かる。あれは佐伯さんと美織だ。二人は身長にそれほど差はなく、二人とも羨ましいほどに細身なので顔が認識できなければ区別がつきにくいのだが、このところ毎日顔を突き合わせているアズサにはすぐ分かった。


 「すいません、アズサさん。美織さんから道が分からなくなったと連絡が入りまして」

 「あんな適当な地図で分かるわけないじゃん」

 「業界人ならここの場所くらいすぐ分かりますよ。こんなに大きい建物なんですから」


 「佐伯さん、美織に大きい建物なんて言っても意味ないよ。いつもヘリをチャーターして都内を移動してるんだから」


 アズサは悪戯な笑みを浮かべて美織を指さす。


 「指ささないで、本当に育ちが悪いのね」

 

 美織はその手を払うと、アズサに呆れた表情をする。


 「それに貴方って本当に馬鹿ね。都内なんてヘリ使う方が不便よ、使うのは郊外に行く時だけ」


 アズサと佐伯は黙ってしまった。

 その神妙な空気に怪訝な表情で返す美織。


 「何?23区でヘリなんて使う方がどうかしてるでしょ?」


 「美織さん、私たちが驚いているのはそこではありませんよ」

 「何?どういうこと?」

 「アズサさんもう行きましょうか。新人が遅れるなんてあり得ないことですから」


 「そうですね。あ、でも佐伯さん、アタシもヘリ使いますよ。この間もヘリで富士山登ったし」


 「そのお嬢様自慢も本番で披露してください。二人とも行きますよ」


 「あ、佐伯さん信じてないでしょ!」

 「佐伯、ちょっと待って!私変なこと言った?」


 佐伯は二人の声を無視し、エントランスゲートの警備員に入行証を見せる。

 警備員の『どうぞ』という短い返事に促され、佐伯は足早に通行門をくぐる。アズサと美織は慌ててその後を追った。



 久しく来ていなかったラジオブースは以前より小さく感じられた。いつもより到着が遅いせいかサブコン内にある程度の人数が揃っていたためだ。タレントはスタッフと打ち合わせで別室にいるため、ここには機材をコントロールする専任スタッフとディレクター、そしてそれぞれのマネージャーが顔を合わせていた。

 しかし、今日は佐々木智乃のマネージャーである加藤は来ておらず、メインパーソナリティを務める有明の専属マネージャー、吉野のみが同席していた。


 「お久しぶりです!佐伯さん!」


 「本当にお久しぶりですね、吉野さん」


 「私、本当にずっと会いたかったんです……。なかなか他の番組ではお会いしないですし……」


 吉野が今にも泣きそうな瞳で佐伯を見つめる。

 じりじりと佐伯との距離を縮めながら歩み寄ってくる彼女に対し、ひとまずその肩を持って制止させる。


 「はは、吉野さんも相変わらず物好きですね。こんな放蕩者に気を掛けてくれるなんて」


 「そんなこと言わないでください!私はずっとあなたに憧れてるんですから」


 「お気持ちは嬉しいですが、私はあなたの方がずっと立派になさっていると思いますよ」


 彼女の陰に控える有明の姿を見ながら、お世辞でなく本心で答える。

 対する佐伯はいつも元気だけが取り柄の、経験のない若いタレントばかりを連れ回って劣等感を感じないわけではなかった。誰の担当になるからと言ってそれによって格付けされるわけではないが、タレントはどこまでいってもタレントである。どれほどブランド力を持ち合わせるか、マネージャーはどれほどのブランド品を身に着けるか、みな口に出さずともそのような考えはあった。


 「今日も私は新人を連れてきました。どうか有明さんの力で美味しくしてください」


 佐伯は吉野と距離をとる計らいも兼ねて深くお辞儀をする。


 「そんな……!佐伯さん、やめてください!」


 「いえ、実を言えばこれは冗談でなく……、本心でそう思っています」


 かつて高飛車だった佐々木智乃は有明の執拗なによって新たな一面が生み出され、人気が再燃した。彼女ら二人が大きく一歩を踏み出すためにも、ここで別の可能性を探っておくことは至上命題なのである。


 「そう、ですか。分かりました。佐伯さんのお願いなら喜んで聞きますよ。後で有明にはそれとなく伝えておきます」


 吉野はにっこりとほほ笑む。


 「その代わり……!」


 「その代わり?」


 「今度ご飯に連れて行ってくださいね、約束ですよ」


 吉野は器用にウインクをする。


 「承知しました」


 

 *



 『時刻は深夜零時になりました。さあ、今夜も始まります―――有明のミッドナイトジャポン!ということで、今日も麗しき美女パーソナリティ、佐々木と皆さんの寂しい夜を癒していきますよ』


 『ちょっと有明さん、毎回その紹介やめてもらえませんか』


 『なんでよ。ちょっとその気じゃん』


 『そんなことないです。やめてください』


 『まあ、このニヤけた顔を映像でお届けできないのは残念ですが―――』


 『ニヤついてませんってば!』


 ブース内にスタッフの笑い声が起こる。


 『今日は素敵なゲストが来ております。小木アズサちゃんと浪川美織ちゃんです、どうぞ!』


 そこでスタッフがガラス越しに二人に合図キューを送る。


 『みなさん、こんばんわ!生まれはアテネ、育ちはパリ、趣味は舞踏会で社交ダンスをすること!小木アズサです!』

 『生まれは田園調布、育ちは白金台、趣味は日本舞踊、浪川美織です』


 『はい、以上のお二人に来ていただきました―――てか、すごい準備してきてるな!それ掴みのネタ?二人は芸人ってことでいいの?』


 『芸人じゃないですよ!』


 『いや、若手芸人張りの自己紹介かましてくるから、てっきり芸人さんかと思っちゃった。ねえ、佐々木さん』


 『元気があっていいですよね』


 『佐々木さんもねえ、そういうの持ってるしねえ……』


 スタッフがくすくすと笑い始める。有明は意地悪な笑みを浮かべて、終始笑いを交える。ラジオに沈黙は許されない。そう分かっていながら、有明は視線をじっと智乃に向け、返答レスポンスを求める。


 『ちょっと有明さん……!』


 『あったじゃん、あれ』


 『もう……』


 アズサは二人の攻防にゴクリと生唾を飲み込む。普段の佐々木智乃(のイメージ)から考えれば、強引に笑いを欲しがることは絶対にしない。先刻、アズサの眼前を颯爽と歩き去ったあの女性がそんなことをするはずがない。

 しかし、気が付けば智乃の眼はすでにエンターテイナーの眼になっていた。彼女は観念したように苦笑いを浮かべ、マイクに口を近づける。


 『みなさーん、こんばんは!生まれはニューヨーク、育ちはナポリ、趣味は西洋画収集、佐々木智乃です!』


 ブース内が爆笑の渦に巻き込まれ、有明が腹を抱えて笑う。


 『そうそう、これこれ……!』


 『佐々木さんに真似してもらえるなんて光栄です!』


 アズサは胸の前で両手を組む。自分の脳内にある佐々木智乃像とは大きくかけ離れているが、周囲の笑いに押されこんな一面も悪くないとそう感じるようになっていた。


 『もう二度とやりませんからね』


 智乃は顔を赤らめ、原稿に目を落とす。


 『真似はしてたけど、半分は本当の自己紹介だしなあ』


 『半分、本当なんですか?』


 有明の言葉にアズサが身を乗り出す。


 『ええ、まあ。ニューヨークで生まれたのと、西洋画コレクターというのは本当です』


 『なんていうか、そういう西洋かぶれなところが鼻につくんだよなあ』


 『なんでそんなこと言うんですか!有明さん!』


 予め準備していたようにスタッフが大きな笑い声を上げる。

 その笑い声の途切れ際に温度の低い声がマイクに乗る。


 『ナポリにお住まいだったというのは本当じゃないんですね』


 声の主は美織だった。

 その視線は智乃に鋭く刺さる。


 『え?ええ、冗談ですよ。ナポリって美しい街じゃないですか、だからお嬢様にはピッタリかと思って』


 『ナポリに行かれたことありますか?観光地としては申し分ないですが、住む街として評価は高くありませんし、ましてや、セレブが住んでいるところを想像できません』


 ブース内の空気が凍る。有明と智乃にしてみれば美織はただの冗談にムキになる異常な女性に映り、相方のアズサにしてみればいつもより声色に棘のある、やはり異常な女性に映った。


 『ちょっと、美織、そんなこと言ったら私もパリなんて行ったことないし』


 『どうせこの場でおっしゃるというならお答えが欲しかったです』


 アズサの言葉は美織の耳には届いていなかった。

 

 『あなたは、私の何を知っているというのかしら』


 それまで苦笑いで美織を避けようとしていた智乃も我慢がならないという様子で声を震わせる。すでに声色はラジオに乗せるそれではない。


 『デビュー当時の貴方はもっと飄々ひょうひょうとしていらっしゃいました。今は見る影もありません』


 『私に関心があるのは結構ね。でも私のやり方に文句は言わないでほしいわ』


 『文句ではなく、指摘です。今の貴方はかつての自分をなげうっているようにしか見えません』


 『じゃあ、あなたは他人に指摘できるほど芯のある人間なのかしら。さっきの自己紹介も相方の子にならって言ってたみたいだけど?』


 『全て事実を端的に述べたまでです』


 『とても裕福なご家庭に生まれたのね。羨ましいわ、私のような草の根掻き分けてきたような人間とは違うのね』


 『私が周囲の人間と違う環境にいたことは認めます。ただし、自らのカリスマと実力でここまで這いあがってきた貴方が、境遇の優劣で事を片付けるなんてと思います』


 『あのねっ……』


 『それに私自身の素性を持ち上げてくるなんて些か本題から外れていますよ』


 美織は喉元を食って掛かるように智乃の言葉に自分の言葉を被せる。これまで数多くの番組に出演し、数多くの芸能人の口を黙らせ、数多くのカメラを独り占めにしてきた、百戦錬磨の佐々木智乃が美織にマウントを取られていた。智乃も美織を言い負かそうと本意気になったばかりに引くに引けない状況になっていた。

 ブース内に嫌な沈黙が数秒、誰がこの場を打破するのか、目線でお互いに押し付けあう。


 『……ご、ごめんなさい!』


 アズサが回らない舌を必死に動かす。


 『あの!美織、智乃さんの大ファンで……!つい熱くなっちゃったんですよ!』

 『私は―――』 

 『そうなんだよね!ね!』


 アズサは緊張で震える声を必死に押し殺して、その丸い目で美織をする。


 『なんか今日スゲー回になりそう……!それでは聞いてください、cherrycherryで「明日の風に吹かれて」――――――』


 この異常なスタジオの空気にシュールレアリスムを感じてそれまで笑みを隠していた有明がオープニングトークの終わりを告げる。

 騒然とするスタッフの声と有明の特徴的な笑い声が徐々に小さくなっていき、音楽の音量が大きくなっていく。




 調整室のパイプ椅子に腰掛ける吉野と佐伯は一部始終を見届けると、一斉に溜息を吐く。


 「な、なんだか今日は緊張感がありますね……、佐伯さん」

 「え、はあ……」


 佐伯は肩を上下させ、高鳴る心臓の鼓動を抑えようとする。その表情には緊張と不安の色が見て取れた。

 佐伯にはよく分かっていた。美織は間違いなく智乃を『同族』と認め、その上で自身の理想像にない佐々木智乃の姿を重ね合わせている。だから苛立っているのだと。


 「また強烈な子の担当になりましたね、佐伯さん」

 「はい、まあ……」


 佐伯は言葉にならない言葉を返す。

 すると視界に影が一つ差し込んでくる。


 「相変わらずスゴイっすねえ、美織ちゃん」


 この番組のディレクターだ。その後ろには若い放送作家もついている。


 「あの独特の話し方、佐々木さんもタジタジっすわ。ウチの放送作家の―――丸山って言うんすけど、こいつが前から美織ちゃんのこと目ぇ付けてたみたいで」


 無精ひげを指で撫でながら、薄ら笑いを浮かべる。

 若い放送作家もその言葉を受けて、にっこりとはにかむ。


 「すみません、ウチの美織が……その、変な空気にしてしまって」


 佐伯は頭を下げる。


 「いやいや、いいんすよ。最近の回もマンネリしてたし、有明さんもこういう笑いの方が好きっしょ?ねえ、吉野さん」


 「まあ、そうですね。他人の困った顔を見るのが好きな人ですから」


 吉野は依然として笑みを絶やさない有明を横目に溜息をつく。

  

 「それに見てたでしょ?佐々木さん、あんな年下の子にいいように言われちゃって―――――」


 そこで無精ひげのディレクターは周囲を確認し、加藤の姿を探す。この場に彼がいないと分かるや否や、佐伯の側に近寄ってひそひそと話を再開する。


 「有明さんも彼女と組んで長いっすからね、倦怠期っていうか一辺倒な絡みにちょっと飽きてたんすよね。敢えてみたいな感じが鼻についたんでしょうね」


 業界のトップスターも大変な苦労を背負っているものだ。その玉座に胡坐をかいて座ってはいられない。周囲から飽きられないように、常に変化を求め続けなければいけないのだから。

 佐伯はディレクターの小言に内心で深くため息をつき、少なくとも美織に矛先が向いていないことにホッと胸を撫でおろす。


 「それにしても、こういう空気でやってる番組で良かったです。美織は十分、『変な子』をしていますから」


 「ああ、そっすね……」

 

 そこでディレクターは口角を微かに上げるような、笑みとも言えない表情をする。一度、世間というレンズを通して先刻のシーンを思い返してみたのだろう。そこにはきっと会話の空気が読めないが映っていたに違いない。


 

 *



 深夜のラジオ局内は人の生を感じさせない静けさに包まれていた。エアコンの排気音がひっそりと身を潜めた環境音の溝を埋める。

 その局内の一角、擦りガラスの壁に囲まれた喫煙ルームに二人の人間の影が映っている。


 「派手にやってくれたな」


 加藤はタバコの煙を吐き出すと天井を見上げてその行方を目で追った。


 「いえ、私もこんなことになるとは思っていなくて」


 佐伯も同じように天井を見上げ、その薄くなった煙が喫煙ルームの外に出ていくのを見送った。


 「智乃が泣きそうになってんの初めて見たよ」


 「美織の失礼な言動の数々お詫び申し上げます」


 「その言葉はそれとして受け取っておくわ」


 加藤の不愛想な表情はいつもより変化がなく見えた。人は言葉に自らの表情を合わせる生き物だが、加藤にそれはない。彼の心情を読み取るのは付き合いの長い佐伯にも簡単にできることでなかった。


 「先ほど智乃さんには挨拶したのですが、あまり好意に受け取ってもらえなかったみたいで……」


 「まあ、そうだろうな。特に本人よりお前に言われるのが嫌だったんじゃないか」


 「え、どうしてです?」


 佐伯は目を丸くする。


 「そりゃアイツもお前のことはよく知ってる。後ろで手綱を握ってるのはお前じゃないかと警戒したんじゃないか」


 「待ってください!私は美織に何も言ってません、それに人の言うこと聞くような子じゃないことは―――見て分かりますよね」


 「それもそうだな」


 「はい……」


 佐伯は咄嗟に美織の横顔を思い浮かべる。マイクを前にしながら、そして常に佐々木智乃に半身になりながら彼女に接するあの姿を思い浮かべていた。美織があれほど人に執着することがあっただろうか。怒ることと言えば、いつも自分のことばかりだ。そんな彼女が自分の話を脇に置いて、他人の話をするなど考えられないことである。

 

 「だが、結果的に智乃を言い負かしたことで、浪川美織に対する注目度は上がったな。それに有明も、普段見ない智乃を見ることができてご満悦って様子だしな」


 「悪目立ちはさせたくないんですけどね」


 「タレント業なんだから目立ってなんぼだろ?お前だってよく分かってるはずだ。あのまま有明に気に入れられればテレビの露出も増えてくる。智乃と犬猿の仲みたいな立ち位置でな」


 この業界は話題性をよく好む。恐らく、今頃ネットニュースでは「佐々木智乃、新人タレントに泣かされる」などという見出しで、ラジオの内容をそのまま書き出した味のない記事が書かれている頃だろう。中身はともかく、人々が食いつくには十分すぎる書き出しだ。

 そして、その人々の興味を察知した業界人がその話題の現場を再現しようと動き出す。何度も何度も話題が再現され、そうして気づかぬ間に流行が生まれていく。いつの世も変わらないこの業界の仕組みだ。その歯車を動かすのは難しい、ただ一度動いてしまえば指数関数的に動き続ける。そして今度は止めるのが難しくなる。もしかすると美織は今、その歯車の前に立たされている―――かもしれない。


 「ただあの子一人ではできないことですね。智乃さんあってのことですし、今日の様子だと彼女が共演を承諾してくれるとも思えません」


 「一人ではできない、か。智乃の方は俺の一存でどうにでもなるとしても、もう一人いなきゃな」


 そこでこの日初めて加藤が微笑んだ。


 「もう一人?」


 佐伯は半ば加藤の答えが分かっていながら、首を傾げた。


 「分かってんだろ?」


 「……小木アズサ、ですか?」


 「そうだ。今日の放送も奴がいなければ、ただの放送事故だったな」


 美織は番組の冒頭と同じように終始、佐々木智乃に激しい執着を見せていた。智乃が言葉に詰まるまで、美織の執拗な問答は続いた。ただそれを一つのバラエティとして見ることができたのはアズサが『一般人』という立ち位置に身を置いていたからである。あくまでこれは非現実的なだと聴衆に思わせる言葉を常に発信していた。


 「評価されにくいポジションでしたが、確かに今日の彼女は番組進行に必要な存在でした」


 「ああ、本来なら有明がそれを務めるところだが奴はあの状況を楽しんで、それどころじゃなかった。そこを埋めるように小木アズサが立ち回ってた」


 加藤の眼が妖艶に光る。


 「アズサにご執心ですか?」


 佐伯は煙の中の加藤をじっと見つめる。視線に気づいた加藤が眼を合わせる。


 「いや、そういうんじゃない。うちの事務所にもあれくらいの人材は吐いて捨てるほどいる」


 「それもそうですが……、ではなぜそんな顔をするんです?」


 「そんな変な顔してるか?」


 「いえ、加藤さんがタレントのことで笑うの初めて見たので」


 加藤は自分の頬をさすり、その弛緩した筋肉を確認する。


 「小木アズサは売れる人材、そして浪川美織の成功のためには奴が必要不可欠、まさに適材適所―――お前のタレントはいつもそうだ。そう思ったら笑いが込み上げてきたんだ」


 「それは……偶然です」


 「偶然なわけあるか。ついでにあんな頭の可笑しい女までぶら下げて売り出そうってんだから恐ろしいよ。お前の才能が」


 「私は浪川美織のマネージャーです。頭が可笑しくても、彼女を売れさせなければ私の仕事は終わりません」


 そこで加藤は短くなったタバコを水の張った灰皿の上に捨てる。


 「そういうところも恐ろしいんだよ、俺は。お前の思い描いているゴールと、浪川美織の思うゴールは同じか?」


 かつて美織は佐伯に「私を売れさせなさい」と言った。それはつまり芸能人として陽の目を浴びさせなさいと言う意味で、多くの観衆の前に立ちたいという気持ちの表れだと思っていた。彼女の目標は何だ。それを考えると佐伯は自分が彼女のために尽力してきたことが急に末恐ろしくなってきた。

 今すぐにでも彼女の真意を聞きたい。そう思うと同時に、真実を知りたくないという欲望も湧き上がってくる。


 「そうですね。彼女とはまた今後について話し合う必要がありそうです」


 「お前に今更こんなこと言うのも野暮だが、タレントの心の内面も見てやれ。トンでもねえこと考えてるかもしれないからな」


 加藤は喫煙ルームを出てその場に立ち止まる佐伯に振り返る。


 「それはそうと……、こないだ井上社長と飲んだぞ」


 「井上社長と……?ああ、こないだの会合ですか」

 「ああ、あの人相変わらずだな」

 「あの人は変わりませんよ。変わらないのが一番の強みなんですから」

 「違いない」

 「そういえば、社長と怪談バーに行ったとか…」


 「おう、行った行った。あの人は楽しそうだったが、俺にはどうも怪談師の話が嘘くさくてな」


 加藤も自慢の怪談をいくつか持っているようだが、それと怪談師の話は何が違うのだろう。佐伯は苦笑いをしながら、加藤の後ろを追って喫煙ルームを出た。


 「加藤さんもよく話しますよね、そういうの」


 「ああ。俺は本当の話しかしないけど」


 佐伯は加藤に気づかれないように懐疑的な視線を浴びせる。加藤にしても、井上にしても、吉野にしても、怪談の何がそんなに面白いのか。いい加減嫌気がさしていた佐伯は気づかぬ間に強い口調で口をついていた。


 「それって結局、思い込みなんじゃないですか」


 頭の中が真っ白になる。 

 この言葉をすぐにでもなかったことにしてしまいたい。

 

 数秒の沈黙の後、加藤がその虚ろな目で佐伯を見下ろしていることに気づいた。


 「お前は……」


 「……」


 「自分の見たものしか信じない、そうだな?」


 「それは、もちろん自分が見たものでないと確証が得られませんし、それに―――」


 「細かい御託はいい。『はい』か『いいえ』で答えてくれ」


 「……はい」


 加藤は佐伯から視線を反らす。

 否、反らしたのではなく何かを見定めた。


 「今、お前の後ろに霊がいる」


 加藤の一点の曇りもない眼光に背筋がぞくりとした。

 同時に、確かに自分の背後に何かの存在を感じた。振り返らなくても分かる。それまで静かだった局の廊下に人の生を感じる。霊を相手に生と表現するのも皮肉だが、確かに息づく鼓動を感じる。この場に吐息が一つ、二つ、そしてあるはずのない三つ目だ。


 「う……」


 佐伯は身じろぎをして生唾を飲み込む。


 「振り返ってみろ」


 急に加藤の言葉が遠くに聞こえる。崖下に突き落とされ、落ち行く意識の中で空を仰いでいるような気分だ。


 「……」


 佐伯は五体を動かすように命令する。体は思いのほか自然に動き出した。後ろから友人に声を掛けられたように、自然な動きで振り向く。


 「馬鹿。嘘だよ」


 スライドする視界の中で背後をしっかりと確認する前に、加藤の声に体の動きを止められた。


 「う、嘘?」


 「幽霊ってのは死んだことに気づかないで自分の足跡を探そうと周囲を徘徊する生き物だ。こんなラジオ局に来るはずねえだろ。業界人でもなければな」


 「そう、ですか」


 「何か浮かない顔してんな。もしかして、ホントにいると思ったか?だとしたらお前の言う通り、ってやつだ」


 佐伯は何かを言い返そうとして咄嗟に口をつぐんだ。舌根がその微振動を感じ取る。




 「―――――じゃあ、また次の現場でな」


 その後、加藤と二言三言交わしたが何も覚えていない。気づけば去る加藤の背中をじっと見つめていた。


 自分の見たものしか信じない―――それは決して変わらない気持ちだ。変わらないからこそ、今度はそれを見る自分が信じられなくなる。信じられない、信じられない、こうして何かのせいにしなければ頭が可笑しくなってしまいそうだ。

 

 佐伯は加藤に呼び止められた瞬間、視界の端に確かにその姿を捉えていた。


 それは白装束の黒髪女性でもなく、蒼白の面をした死体妖怪でもない。


 そうだ、こんな場所をうろつくのは業界人しかいない。



 確かに見た、そこにいるはずのない女性芸能人の姿を―――――。



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