二十幕:魔剣士
ソルが跳躍すると同時に、〈神ノ影〉が動いた。
緩慢な動作で腕を持ち上げ、その腕を迫る相手目掛けて振り下ろす。人間であれば恐れるに足らない動きだが、その見上げるほどの巨躯ともなれば、ただの腕の一振りでも十分な暴威となる。
振り下ろされた腕の衝撃で、大気が轟と唸りを上げた。直ぐ横を通り抜けた腕の巻き起こす風圧が横殴りにソルを襲う。
まるで見えない壁が襲い掛かってきたような衝撃――しかし、ソルは眉ひとつ動かさず魔剣〈狂喜セシ復讐者〉を振るった。
途端、魔剣から迸るのは
しかし――
――
〈神ノ影〉が、
同時に、今まさに〈神ノ影〉に絡み付こうとしていた赤雷が、唐突に消滅する。
――
ソルの魔剣による魔法に、〈神ノ影〉が介入して、魔法そのものを書き換えて無力化したのだ。
瞬時にそれを悟り、ソルは僅かに舌打ちを零す。其処に、仕返しとばかりに〈神ノ影〉が動いた。
――黒雷。
そう呼ぶに相応しい、漆黒に染まった無数の雷撃がソルを襲う。ソルは魔剣の一振りで跳躍の勢いを殺し、迫る魔法に向けて魔剣の切っ先を構えた。魔剣の切っ先から瞬時に対魔法障壁が展開され――幾何学紋様の描かれた障壁が、迫る雷撃を受け止めた。
――ぎちぎちぎち。
音が鳴る。
それは軋轢の音。
敵意と敵意の激突する音。
魔剣の魔力と〈神ノ影〉の魔力がぶつかり合う、相克の音だ。
その音が何度もソルの耳朶を叩いた。やがて、何十にも注がれる強烈な黒雷が、魔剣の魔法障壁を侵食していき、罅割れが生じるのを見て、ソルは舌打ちを零しながら左手に術式を展開――発動させた。
魔剣から魔力を抽出して展開した第二の障壁を翳し、ソルは再び黒雷の嵐を受け止める。しかし魔剣の保有する膨大な魔力を利用してソルが作り上げた障壁は、魔剣が自律展開する障壁に比べると貧弱にして稚拙なもので、黒雷を受け止められたのはほんの数舜だった。
黒雷の嵐がソルの魔法障壁を貫き、破壊する。砕けて光の粒子と化す魔法障壁は、黒雷の嵐によって呑み込まれた。
そして黒雷は無防備になったソルへと殺到し――されど、ソルは呵々と口元に笑みを浮かべて、掲げていた魔剣を大上段から振り下ろす。
ソル自身が作り上げた魔法障壁が稼いだ時間はほんの数舜――だが、その数舜あれば充分なのだ。
そして振り下ろされる剣撃。極光の斬撃力場――近接魔法『覇刃』が、黒雷の嵐を、そして黒雷作り上げる術式諸共に切り裂いて、その先に聳える〈神ノ影〉へと迫る!
魔剣の持つ魔力によって完全に発動した『覇刃』は、光の濁流と化して〈神ノ影〉を襲った。光の刃が〈神ノ影〉に直撃すると、刃に込められた魔力が弾け、巨大な爆発を伴って〈神ノ影〉を呑み込んだ。
ソルは魔剣〈狂喜セシ復讐者〉を振り抜いたまま、頭上を見上げ――
――次の瞬間、ソルの身体は
「――っっっっ!?」
突然の出来事に、一瞬思考が停止する。
その間に、弾け飛ばされたソルの身体は十数メルトル程の距離を飛び、建物の壁を突き抜けて瓦礫と共に屋内を転がっていた。
(…………なに……が?)
数秒、茫然とする。が、遅れてやってきた痛みの感覚で我に返る。
「――……ぐぁ……くそっ、なにを……された?」
状況をあえて言葉に発して、自分の頭へと届ける。そうすることで、今の状況を整理する。
もちろん、何をされたかなど明白だ。敵の魔法攻撃。ならば、何の魔法か――視認できなかったことから、おそらくは空気の塊を叩きつける『空撃』か、あるいは目標地点の空気を圧縮し、瞬時に膨張・爆発させる『風爆』。あるいはそれに類する何かだ。
しかし詠唱もなく、魔力展開の気配をこちらが察するよりも先に魔法を発動させるとは思わなかった。
魔剣を杖代わりにして立ち上がりながら、ソルは自分の身体の状況を確認する。魔剣の持つ魔法防御力のおかげか、外傷らしい外傷はほとんどない。体の随所に触れて確認するが、骨の折れている感触もない。内蔵も……おそらくは無事だ。
これなら動けるだろうと自己分析を終え、ソルは〈神ノ影〉を見上げて――思わず「うげっ……」と言葉を漏らした。
天高く聳え立つ〈神ノ影〉。その身体から、何かが零れ落ちてくるのが見えた。
何か――ではない。
〈
〈
顔のない顔で、ソルを一斉に見据えていた。
そしてにやりと、嗤ったように見えた。
「――……悪趣味な連中だな」
異形の能面の、見えざる眼を一身に受け止めながら、ソルはため息交じりに悪態を零し――まだ痛む身体に鞭を打って、建物から飛び出した。
同時に、〈神ノ影・兵士〉も動く。
あたかも『待っていました』と言わんばかりに。
あるいは『おいでませ』だろうか。
何にせよ熱烈な歓迎がソルを待っていた。
数十に及ぶ漆黒の人型が、一斉にソルへと飛び掛かる。その手足を剣に、槍に、鞭へと変えて、あるいは無貌の頭部に牙を生やし、爪を成し、総出をもって出迎える。
「――吼えろ〈狂喜セシ復讐者〉」
走りながら、ソルが言葉を放つ。
同時に――それに呼応するかの如く魔剣が赤く輝き、ソルは体を捻り、一回転しながら躊躇いなく魔剣を振り抜いた。
――轟!
剣圧が爆発した。
魔剣の魔力によって、吹き荒れた剣風が物理的刃となり周囲を切り裂く。剣風に煽られた〈兵士〉たちが頭上高くに打ち上げられる。切り裂けれた体躯がバラバラとなって落下してくる〈兵士〉たちの残骸の間を駆け抜けながら、ソルは視線を持ち上げて〈統率者〉を見る。
顔のないはずの貌に、表情を見た。
――くつくつと笑っている。
ソルの目には、そう見えた。
だが――
同じように、ソルは口の端を持ち上げていた。
嗤っていられるのも、今の内うちだ。そうして余裕ぶっているといいさ。
ソルは〈統率者〉に向けて、心の奥でそう罵倒する。
魔剣を握る手に、より力がこもった。朱い刃から稲光が零れる。
ソルの感情に呼応するように。
――ソルの敵意に応えるように。
迸る雷光を、ソルは『剣撃』と共に解き放つ。一太刀、二ノ太刀、三ノ太刀――走りながら容赦なく魔剣を振るい、身を翻し、跳躍し――叩き伏せる。
放たれた『剣撃』は幾重もの軌跡を描いて周囲の〈兵士〉たちを薙ぎ払い、雷熱で焼き焦がし、あるいは吹き飛ばす。
その間にも、〈兵士〉たちは物量でソルへと迫った。
無数の人型。
無数の黒影。
それらがソルの『剣撃』を掻い潜って、牙を剥いて来るが、ソルは臆することなく突き進む。
変異した腕の剣や槍が掠め、爪や牙が外套を突き破って肉を抉る。鮮血が迸り、痛みが随所に走るが、気には留めない。致命傷にならない怪我ならば、魔剣〈狂喜ノ復讐者〉の魔法で痛覚を遮断し、その間に治癒させればそれで済む。
殺到する〈兵士〉たちを魔剣で切り伏せながら、ソルは〈狂喜セシ復讐者〉の魔力から術式を展開する。
「――『我は法を破る者。
我は理を超える者。
我は望む。我は乞う。
怒りを糧にし、憎悪を糧に。
怒りを焔へ、憎悪を稲妻へ。
敵意は道に、害意は標とす。』」
魔剣から魔力が零れて渦を巻いた。魔力は赤い色を帯び、暴風を呼び、ソルの詠唱に応じてその権能を顕現させた。
「――《
途端、赤雷を孕んだ暴風雨がソルの眼前に発生し、周囲を大気ごと巻き込み呑み込み蹂躙した。
半壊した建物も、夥しい数の〈兵士〉たちも一切関係なく呑み込み――暴風の刃と多頭の雷蛇が焼き払い、噛み砕き、破壊する。
そして雷の嵐が消え去った後には、あれほどいた〈兵士〉の数が目に見えて激減していた。
それを確認したソルは、溜息を零し――その場で膝をつきそうになる。魔剣を地面に突き立てて身体を支えながら、零れる汗を拭う。
それでも――本来ならば魔力欠乏で意識を失ってもおかしくない上級魔法を操りなお意識が保っていられるのは、魔剣が大部分の魔力を肩代わりしてくれていたからに他ならない。
ソルは自分の中の魔力の残量を確認する。まだ意識を手放さずに済むだけの魔力が残っていることを認識し、ソルは安堵の息を零した。
そして魔力のパスをクラフティへと繋ぐ。
『――遅かったですねぇ、莫迦弟子』
「開口一番に罵倒とか、本当に最悪な師匠だ」
『生意気な口を利けるだけの元気はあるようでなによりです』
パスの向こうでクラフティが失笑する。ソルは逐一対応するのも億劫な気分となった。
「――師匠。準備は?」
『淡白な弟子ですねぇ。心に余裕がない表われですよ?』
「――師匠」
『あー、はいはい。できてますよ。安心して〈統率者〉を消し飛ばしてくださいな。それに合わせて、結界を展開しますから』
投げやり気味にクラフティが答えると同時にパスが切れ、以降クラフティの声は聞こえなくなった。
恐らく言葉の通り、結界を展開する機会を窺っているのだろう。
まったくもって、あの師匠も謎が多い人だ。ファーレスのことといい、〈神ノ影〉のことといい、普通ならば知る由もないことを当たり前のように知っていて、当たり前のように話す。
謎な人だと思う。
普通ならば、疑ってしかるべき相手だ。だが、ソルにとっては、あの人の素姓などどうでもいいことである。
怪しくはあれど、そこに猜疑を抱く気持ちはソルにはない。まあ、それは長年の付き合いによるものだけれど。
そして大事なのは、あの人と共にいることが、結果的に最もファーレスの手掛かりを得られるということだ。
ソルにとって、クラフティと行動を共にする理由はそれだけあれば十分であり、それ以外のことなど、さして興味もない。
今必要なのは自分が〈神ノ影〉を倒せるということ。
そして〈神ノ影〉の現れる裂け目を封じる結界を、クラフティが修繕できるということだ。
ならば、するべきことは単純だ。
目の前の怪物を――〈神ノ影・統率者〉を屠ればいい。
ソルは口の端を持ち上げて、〈統率者〉を見上げ――そして、魔剣を頭上へと掲げた。
跳躍――術式の補助で空高く舞い上がりながら、ソルは魔剣を振り上げた。魔剣の纏う魔力が解放され、巨大な『剣撃』となって〈神ノ影・統率者〉を襲う。
巨大な『斬撃』を纏った魔剣を振るいながら〈統率者〉の頭上高くまで飛び、その体躯に巨大な刀傷を刻み付けた。
――GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!
〈統率者〉が悲痛な声を上げる。切り裂かれた傷を、〈統率者〉はその長い腕で己の傷を抑え蹲る。
さしもの〈統率者〉とて、極大の魔力刃を打ち込まれてはただではいられなかったのだろう。
そして、ソルの魔法は一撃で終わらない。この程度では、終わらせない。
――必ず、此処で滅ぼす!
怒気を宿した双眸を見開いて、ソルは振り上げた魔剣になお魔力を込める。
今まさに撃ち放った巨大な『剣撃』が魔力へと還元され、再び魔剣へと
そして魔剣〈狂喜セシ復讐者〉は、より巨大な『剣撃』を纏い――
「――『
ソルは、その『剣撃』――否。『千々に切り裂け、空襲の剣』を叩き込んだ。
放たれた『剣撃』は、巨大な一刀と化して〈統率者〉に襲い掛かる。放たれた『剣撃』は無数に分かたれ、それは幾百幾千の斬撃と化し、驟雨さながらに〈統率者〉を呑み込んで――
――そして〈統率者〉は。
文字通りに降り注いだ『剣撃』の雨に全身を切り刻まれて、その齎した衝撃や被害とは打って変わって、あまりに呆気なく消滅し――
後には、赤い魔剣を携えた少年が、一人瓦解した街の真ん中に佇んでいた。
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