十八幕:暴威、荒ぶりて


「――おい、大丈夫か?」


 声を掛けられて、彼の意識は浮上する。目を開き、見上げた先にいたのは、自分と比べても遥かに屈強な男であり、見覚えのある顔だった。

 確か名は、トールキンと言っただろうか。自分達を助けてくれた少年――ソルに果敢に挑むも大敗した、あの男である。

 男はその屈強な体躯に物言わせるように、父親の上に覆いかぶさっていた馬車の残骸を除けていく。それを見て、自分の上に積み重なっていたものが、自分の馬車であることに気付いた。


「こりゃ……もう使い物にならんな」


 思わずそう零すと、トールキンが「命あるだけ儲けものだろうがよ」と鼻で笑う。まったくその通りだと、父親は思った。馬車一台に対して命一つ。犠牲になったのが替えのきく商売道具なのは幸いだったと言えるだろう。

 其処まで考えて、彼は周囲を見回した。自分が倒れていた――それはつまり、共に馬車に乗っていた――


「娘さんならそこだ。まだ気ぃ失ってはいるがな」


 様子に気付いたのだろう。トールキンが顎をしゃくって見せる。父親は慌てて彼の促した方に目を向けると、其処には地面に横たわった娘の姿があった。慌てて駆け寄る。身体の節々に痛みを覚えたが、気にはならなかった。それよりも娘だ。

 駆け寄って様態を確かめる。顔や腕などに擦り傷などがあるが、大きな怪我は見当たらなかったことに、彼は安堵の息を零し、父親はトールキンを振り返った。


「あんた……感謝するよ。娘と私を助けてくれて」


 そういうと、トールキンは決まり悪そうに眉を顰め、後ろ髪を掻きながらそっぽを向きつつ、言った。


「例を言われることじゃあない――……それに、昼間は随分と失礼なことを言った。その侘びとでも思ってくれ」


 その科白に、父親は僅かに目を丸くして、言葉なく苦笑を零した。どうやらこの男は、それとなしに気にしていたようだ。粗暴な男と思っていたが――粗にして野だが、どうやら根っからの卑ではないのだろう。

 そんなことを考えていると、トールキンは「それよりも」と少しばかり語気を強めながら言った。


「娘を連れて、冒険者協会へ向かえ。俺の手下を護衛に付けるが……あまり期待はするな。状況が、状況だ」


 トールキンは険しい表情で彼方を見ていた。つられて、父親も彼の視線を追う。

 追って――そして、それを見た。

 天高く聳えるように悠然と佇む漆黒の異形。

 思い出す。

 意識が途切れる寸前に、何があったのかを。

 そう。

 あの異形。

 黒い影のような怪物が手を翳した――そして次の瞬間、辺り一体が凄まじい衝撃波に呑み込まれて、自分達が乗った馬車ごと吹き飛ばされたのだ。


「あれは……魔獣、なのか?」

「さあな。この仕事もなげぇが、あんなんは初めてだ。どう戦えばいいのかもさっぱりだよ」


 トールキンの言葉に父親は困惑する。冒険者ですら存在を知らない怪物――そんなものが存在するというのか。


「ど、どうするんだ?」

「さあな。聞いた話じゃ協会が今周辺の支部に救援要請を送ってるそうだが……間に合うとは思えねぇ――なっ!」


 応えながら、トールキンは鋭い踏み込みと同時に片手斧を投擲した。風を切って中空を駆け抜ける斧が彼方へと飛んで行く。その先には、あの巨大な人型に似た、漆黒の影がいた。

 トールキンの斧は鮮やかな弧を描いてその怪物を切り裂く。


 ――GYAAAA痛いAAAAAA痛いAAAAAAAAA痛いぃぃぃ


 怪物が、漆黒の人型が、名状し難い断末魔を上げて消滅していくのを見て、父親は思わず腹の底から込み上げて来る不快感に口元を抑えた。そうしなければ、胃の中身が逆流するような気がしたからだ。


「くそがっ。なんべん倒しても湧いてきやがる……気持ちがわりぃんだよ!」


 回帰した手斧をキャッチしながら、トールキンは吐き捨てるように言って、すぐそばに出現した怪物に向けて斧を振るう。

 だが、彼が倒す以上に怪物たちが湧いて出て来る。じりビンなのは明らかで、そんな様子を見ながら、父親は天を仰いだ。

 まったく。今日は本当に何という日だろうか。ビッグボアに追いかけられ、怪しい二人組みに助けられ、冒険者協会前ではひと悶着に巻き込まれ、その夜には意味の分からない怪物たちが待ちを襲撃して、それに巻き込まれている――人生において最大最悪の厄日だと思う。


(ああ、神よ――)


 大して信じたことはなかったが、今日ばかりは祈ったって許されるだろう。そんなことを考えながら空を仰ぎ見た彼の視線の果てで、ふと――赤い閃光が迸った。

 閃光――朱色の輝き。

 それが、男の丁度頭上辺りで煌き、徐々に近づいてきて――

 


 凄まじい衝撃と共に、赤い雷光が周囲に降り注いだ。



「――ッッッッッッッッッッッッッッッッ!!!?」


 声にならない悲鳴を上げて、父親はその場にへたり込む。怪物たちと相対していたトールキンは呆然とした様子で立ち尽くしていた。

 そして、そんな二人の間に割って入るように佇んでいるのは――青い髪の少年で。


「――ソル・ルーン=ファルラ?」


 トールキンが、少年の名を口にする。

 間違いなかった。

 父親も、彼のことは知っている。なにせ昼にビックボアに追われていた自分達を助けてくれたのは彼だったのだから。

 だが、と。

 同時に思う。

 この目の前に立っている少年は、本当に昼間自分たちを助けてくれた少年と、同一の人物なのか、と。

 昼間に顔を合わせたときの温厚で人当たりのよさげな雰囲気は鳴りを潜め、代わりに冷たい気配を身に纏い、その双眸は虚ろで、赤い輝きを放っていた。

 何より、その手に握っている剣――おそらく剣なのだろう――が目に留まる。

 彼は名を呼んだトールキンのことを一瞥する。

 だが、それだけだった。言葉を交わすこともせず、何かを言い残すこともせず――彼は放たれた矢のごとく中へと飛び上がり、その姿を消す。

 残された者たちは、ただただ彼が飛び去っていく姿を呆然と見送ることしかできず、その場で立ち尽くしていた。

 一体、何が起きているのか。

 父親たる彼にはわからなかった。それでももし、何か一つでも判ることがあったとすれば、それは――


「……なんと冷たい目をしているんだ」


 自分の記憶の中にある少年とは似ても似つかない、怜悧で暗澹とした眼光。まるで冥界の淵を覗いたかのような暗い双眸に、父親は名状し難い怖気に襲われた。下手をすると、彼方に佇立するあの異形よりも余程恐ろしい何かに思えたほどだ。

 一体何があれば、あのような表情に、あのような眼差しになるのか――まるで想像がつかず、彼は言葉を失う。

 そして、そんな父親の隣に経っていたトールキンもまた、少年が飛び去った彼方へと視線を向けていた。

 その表情は険しく、元々厳しい顔立ちを一層深くし――しかし視線をそらすことはなく彼方を見据えている。

 その視線の先には、先ほど彼らの周囲に降り注いだのと同じ、赤い稲光が幾つも地表目掛けて降り注ぐという、現実離れした光景だった。


      ◇◇◇


 冒険者組合フロンティア支部長たるファウゼン・ロームは、次々と舞いこんで来る冒険者や組合の職員の報告にため息を零した。

 状況は、一言で表すならばまさに〝絶望的〟だった。

 正体不明の怪物。魔獣とは全く異なる異形の存在の突然の出現と、その攻撃によって街に齎された被害の大きさは、彼が支部長を務めて以来の大惨事だった。

 その上街に常在していたはずの巡回騎士たちは、何者かによって惨殺されているという。街の防衛戦力の要とも言えた彼らが、このタイミングで壊滅させられている――何者かの作為を疑うものの、その解明に人員を割く暇はない。

 今は一刻も早い住民の避難と、あの正体不明の怪物たちへの対処が最優先だった。

 しかし、


「――周辺からの援軍は?」

「は、はい! 今向かっているとの報告はありました……ですけど、どれだけ急いでも夜明け前の到着は難しいそうです!」

「……だろうな」


 報告をするジェシカの言葉に、ファウゼンは渋面しながら天井を仰ぎ見る。フロンティアから最も近い街でも、早馬を飛ばして約半日はかかる。その距離を、ある程度の数の武装した冒険者や兵隊を向かわせるとなれば、それだけの時間がかかるのは想像に難くない。

 しかし、理解は出来るものの、納得できるかといえば別問題である。状況は刻一刻と変化しており、現状のフロンティアにいる冒険者だけでは対処はまず不可能なのだ。

 相手は正体不明の怪物だ。

 これまで冒険者協会が過去に遭遇した例のない、特異存在イレギュラー。フロンティアを拠点に活動する冒険者の多くはその階位がBを前後し、とてもではないがあの謎多い怪物に対し順応な対応が出来るとは思えない。

 それの報告によれば、あの怪物に直接触れた者の何人かが錯乱し、冒険者仲間や住人に襲い掛かったという話しまである。

(まったく……最悪とはこのことだな。いや、あるいは災厄か……)

 ファウゼンは深いため息を零した。

 可能ならば大都市防衛を担う騎士などの出動要請を願いたいところだが――現状、小国連合の主だった戦力はル・ガルシェとの国境防衛にその殆どが割かれていることを、ファウゼンは知っている。

 故に、大規模な戦力は期待できない。

 贔屓目に言っても最悪――絶望的といっても過言ではないだろう。

 ファウゼンは思案する。せめて住民だけでも逃がせないものか……――

 そう、考えた時だった。


「あ、あの――支部長、あれ! あれ見てください!」


 考えにふけっていたファウゼンの耳にジェシカの大声が響いた。慌てて顔を上げジェシカを見ると、彼女は窓の外を指さしている。ファウゼンは今更何があるというのか?と訝しみながらも、彼女が指さす窓の向こうの光景に目を向け――今まで険しく歪めていた顔に困惑の色を浮かべる。

 ファウゼンは目にしていた。

 窓の外。

 あの異形たちが闊歩するフロンティアの街の情景。

 そこに走る、無数の赤い雷光を。

 その雷光が次々と異形たちを貫き、奴らを消し去りながら――徐々にあの巨身へと迫っていく。

 ファウゼンは慌てて机の上をひっくり返し、半ば書類に埋もれていた双眼鏡を手に取り、双眼鏡越しに再び窓の外を見る。

 ――影、一つ。

 あの巨大な異形へと向かって迫る者。

 赤く輝く異形の剣を携えた、青白い人影。

 青い髪。

 白い外套。

 身の丈ほどある剣。

 ああ――と、ファウゼンは感嘆の吐息を零した。

 昼間、ジェシカの報告に聞いた少年の容貌と同じだ。

 そうか。

 即ち。

 あれが――彼が、そうなのか。

 ファウゼンは注視する。空を翔け、宙を舞いながら、赤い稲妻を引き連れて謎の異形と対峙する少年の様子を。

 一見しただけで判る。判ってしまう。

 その凄まじい――下手をすれば禍々しいとすら感じる力の程。

 果たして彼は、この街を救う救世主となるのか。あるいは――


「――ソル=ルーン・ファルラか」


 双眼鏡から顔を上げ、ぽつりと少年の名を口にする。

(さて……どうなることか)

 ともあれ、これが好機であるのには違いなかった。彼の意図がどうであれ、彼が奮闘しているこの機を逃すわけにはいかない。

 そう決断し、ファウゼンは新たに指示を出すべくジェシカを振り返った。




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