十七幕:渇望の根源


 ぞわりと、背筋が凍るような感覚に思わずミルドレッドは足を止めて振り返った。視線の先に見えたのは、割れた空でもなければ、あのおぞましい黒い巨身でもない。

 ――空に立ち上る、赤い朱い一条の光。

 何か。

 思わず、息を呑むような。

 だけどそれは恐怖によるものではない。

 ただ、その光を目にした途端、言葉を失ってしまったような錯覚に捉われてしまって。

 それはあのおぞましい黒い巨身――〈神ノ影〉の姿を見たときのような戦慄ではなく――何処か哀しく、寂しさが胸の内に去来してしまうような気配。

 そんな形容し難い感覚に、ミルドレッドは捉われていた。そしてなにより、


「――……ソル・ルーン=ファルラ?」


 何故その名前が口から零れたのか、ミルドレッドには判らなかった。

 ただ、何となく。

 何となく、あの赤い光は、彼によるものなのではないか――そう思ったのだ。

 理由は説明できない。ただなんとなく、、、、、という、あまりに漠然とした感覚によって齎される――確信。

 思わず、引き返そうとした。だけど――


『あー、もしもーし。ミルドレッドさんや。聞こえまーすか?』


 何処までも緊張感から程遠い気軽な科白が耳元で囁かれ、ミルドレッドは思わずその場で立ち止まり、深いため息をついた。


「あの……クラフティ、さん」

『お、聞こえているみたいですねぇ。良かった良かった。それで、魔剣の回収は出来ましたか?』


 クラフティの口調に思わず苦言しそうになってしまったのだが、ソレを遮るようにしてクラフティはそう言うのだ。物申すことも適わず、ミルドレッドはもう一度ため息を零して答える。


「今、工場に着きました。これから回収して、其方に向かいます」

『それは僥倖僥倖。やっぱりその若さで巡回騎士の隊長をやれるだけのことはあって、優秀ですねぇ』

「巡回騎士の入団試験はさほど難しくありませんし、小隊長規模ならばある程度の実戦経験がある人なら誰だってなれる程度のものです――って、私の地位とかは今関係ないでしょう!」

『一人でノリツッコミまでこなせるとは……やっぱり優秀エリートは違いますね』

「……何故でしょうか。クラフティさんと話していると、凄く疲れます」

『それはお疲れ様です、とだけ言ってあげましょう。まあボクは誰に似たのか人の揚げ足を取って煙に巻くのが得意な性質なので、その辺の折り合いはご自身でつけた上で、気合いで乗り切って下さい』


 ……結局最後は根性論になるんじゃないですか! という突っ込みを入れたら負けな気がした。

 なので、ミルドレッドはその言葉を飲み込み――代わりに「ひとつ、宜しいですか?」と質問を投げた。

 クラフティは声だけで「どうぞぉ」と続きを促した。その声音には聞きはするけど答えるかは別――という意味合いニュアンスが込められているのを感じながら、ミルドレッドは訊ねる。


「――先ほど、あの黒い怪物たちとはまた別の――何か物々しい魔力を感じたのですけど……なにか心当たりはありますか?」

『……んー。それを聞いてどうするんですか?』


 質問に対して質問で応じるクラフティ――それは、ミルドレッドの問いに対する答えを有しているという証明だった。

 だが、同時にミルドレッドも言葉を窮した。クラフティの問いに対して、納得のいく答えを開示できないからだ。

 ただ、なんとなく気になっただけ。

 でも、どうしてか聞かずにはいられなかった。

 そんな答えで、クラフティは果たして納得するだろうか? 少なくとも、自分がクラフティの立場ならば、答えはノゥだと思う。

 だけど、


「……知りたいと、思ったんです」

『ふむ……随分奇矯な人ですね、貴女は』


 帰ってきたクラフティの声が、少しだけ笑っているような気がした。

 自分で言っておいて、本当によく判らない理由だと思う。奇矯と言われても仕方がないだろう。

 それでもミルドレッドは知りたかった。知りたいと思ったのだ。

 彼を。

 ソル・ルーン=ファルラを。

 今日始めてであった相手である。自然体でありながら、何処か肩肘を張って無理をしているような、それでいてやたら自身ありげな態度を窺わる少年である。

 一度、刃を交えて。

 二度、肩を並べて戦って。

 年齢を考えれば実力は同年代より数段抜きん出ているだろう。にも拘らず、それに満足せず尚高みを目指す姿勢は、実に戦士らしく男の子らしい――と思ったのだが、どうやらそれは違うものだと、今は思っている。

 彼の強さに対する渇望は異常だった。それはすぐに気付いた。対峙した時に感じた危うさは、クロード・ルジェと戦った時に顕著となって。

 戦う彼の姿に感じた違和感。ソル・ルーン・ファルラという少年剣士。年相応の少年らしいさの中に窺える、何処か空虚で歪な気配。

 異様な――自らのみを省みずに強さに固執する少年。

 それがミルドレッドの彼に対する今の印象である。 

 そしてつい先ほど――あの異形たち〈神ノ影〉を前にした彼を見た瞬間、ミルドレッドの中にあった彼に対する違和感は、明確な形を有した。

 彼の奥底に潜んでいる歪んだ気配。

 怒り。憎悪。怨恨――そう呼ばれる感情が、ふつふつと彼の瞳の奥で煮えたぎっているのが、ミルドレッドには見えた。

 何より、彼の口から聞かされた彼の経歴。彼の故郷が何処であるかを知った時、ミルドレッドは言葉を失ったほどである。


 ――アンフェスバイナ。


 一夜にして滅び去った悲劇の都市にして、今この大陸を呑み込もうとしている戦火の火種となった場所。

 生き残りは誰ひとりいなかった――そう聞かされていたミルドレッドにとって、その生き残りがいたというだけでも驚きだというのに、その都市が滅んだ原因が、あのような化け物によるものだなんて、想像もしたことがなかった。

 連合国の誰もが口さがなく囁いている『ル・ガルシェが戦争を仕掛けるために滅ぼした』という俗説を鵜呑みにしていたわけではなかったが、ソレに近い陰謀があったのでは? と思っていた。

 だが、滅んだ都市の生き残りを名乗る少年が口にした真相。そしてその少年があの怪物を目の前にして見せた静かな殺意が、何よりも彼の言葉に真実味を与えていて――

 そう。

 だからだ。

 先ほど感じたあの物々しい魔力の原因が、彼であるのではと確信したのは。一度対峙し、二度共に戦ったミルドレッドは、感じ取った殺意に彩られた魔力の中に、ソルの気配を感じたのだ。

 だけど、彼はあれほどの魔力を有していただろうか? 少なくとも、そんな気配は感じられなかった。実力を隠していた――というわけでもないだろう。

 では、あの強力な魔力の正体は何か。そう考えて、ミルドレッドはふと思いついたことを口にした。


「……彼も【ファーレスの魔剣】を手にしているんですか?」

『どうしてそう思うんです……って、ミルドレッドさんはソルと戦ってますし、共闘もしてますもんね。そら魔力やら実力の程やら判っちゃいますよね』


 言外にソルを未熟と断じるクラフティの言葉には答えを返さず、ミルドレッドは乾いた笑いを零す。

 だが、次の瞬間返って来た返事は、ミルドレッドが想像したものとは真逆だった。


『残念ですが、その予想は外れです。あの莫迦弟子は、【ファーレスの魔剣】を保有してません。なにせあの莫迦弟子、【ファーレスの魔剣】を毛嫌いしてますからねぇ』


 その返答に、ミルドレッドは「え?」と目を丸くした。

 まさか予想が外れるとは思わなかった。強さを渇望し、復讐と怒りに駆られている少年の姿から、きっと【ファーレスの魔剣】欲しさに魔剣蒐集家のクラフティと同道しているのだろう――そう推理したのだが。

(そうじゃないなら……どうして?)

 一体、何が目的でクラフティさんこの人と旅を?

 その疑問に、クラフティは大したことじゃないといった様子で答えてくれた。だけど、


『ソルがボクと旅をしている理由は簡単です――魔剣鍛冶師ファーレスへの、復讐です』


 声だけで届けられたクラフティの言葉に、ミルドレッドは我が耳を疑った。


「――え?」


 と。

 ミルドレッドはわれながら間抜けだなと思う声を上げる。

 今、クラフティこの人はなんと言ったのだろう。

 復讐? 

 誰に? 

 ファーレスと、クラフティは言った。

 だけど、それはおかしい。だって彼の住んでいた街を滅ぼしたのは、あの黒い異形たちのはずだ。彼の口から、事実そう聞かされたのだから。

 〈神ノ影〉への復讐。それならばまだ判る。だが、どうしてその復讐の対象にファーレスが含まれているのか?

 その疑問にすら、クラフティはまるでなんでもないと言わんばかりの気軽さで、ミルドレッドへと教える。


『アンフェスバイナ事変の折、ソルの父親はある人物に殺されたそうです。ソルはその現場を目撃したみたいでして――以降、彼はファーレスを嫌悪……いえ、憎悪しているんですよ。困ったもんです』

「ま、待って下さい!? 父親が殺されて――それで、ファーレスを嫌っていて、ファーレスを憎んでいる? まさか――」

『ええ、そのまさかですよ』


 ミルドレッドの疑問に、クラフティは淡々と答えた。鼻で笑うという、おまけまでつけて。




『ソルの父親の胸に剣を付きたてていた人物――それが魔剣鍛冶師ファーレスです』


 



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