十四幕:世界の軋む音



――ぴしり……ぴしり……


 軋轢の音がする。

 それは世界が軋む音。

 それは隔たりが歪む音。

 ぴしり……ぴしり……二つ三つと響く罅割れの音が、次第に大きく、そしてその間隔を早くする。

 それは人間には知覚することの出来ない音だった。だからこの街に住む人々の耳に、この音が届くことはない。

 ――だけど。

 だけど、ただ一人だけ、その音に気付いた者がいた。ただ一人、その音を耳にした者がいた。

 だから走る。

 クラフティ・アッシュは走る。

 ぴしり……ぴしり……と、広がる音を耳で拾って。

 びしり……びしり……と、大きくなる罅割れを見上げて。

 ああ、誰だ。 誰が、何故こんなことをしている?

 どんな悪意を持って、この世界を脅かしている?

 誰にともなく、問う。

 返答は皆無。

 回答は得られず。

 故に、クラフティは憤る。

 彼方を見据えて。

 音の生まれる場所を探って。

(――くそったれめ)

 クラフティは、そう心の中で呪詛を吐く。怒りを覚える。反吐が出る。

 だから、走る。

 この音を止めるために。

 この音の果てに起きることを、防ぐために。

 クラフティ・アッシュは、その音が生じる原因がある場所目掛けて、夜の帳を駆け抜けていった。


      ◇◇◇


  男が踏み込んできた――そう思った時にはもう、男の姿は眼前に迫っていた。凄まじい速度での接敵。文字通り、地面を切り裂くような疾走。そしてその勢いのままに振り上げられる右蹴り上げ。迫るのは、爪先から伸びる長大な刃の脚撃!

 考えるよりも先に身体が動いた。大剣を盾にする様に構えて、男の脚刃を受け止め――全力で刃を横に滑らせ、どうにか刃を受け流す。

 一撃、凌いだ。だが、一撃では留まらない。留まるわけがない。

 男は受け流された蹴足を戻すと、その戻しの勢いを利用して逆回転し、左足を振りぬいた。迫る左後ろ回し蹴りをしゃがんで躱すと、頭上から断頭台の刃のように踵落としが降ってくる。

 これを受け止める。だが、その一撃が莫迦みたいに重い。身体強化されているにも関わらず、受け止めた途端に全身が蹴りの圧力で悲鳴を上げた。


「く……ぐぅぅ!」

「おらおら、しっかり受け止めろ! 少しでも気を抜けば、その瞬間に真っ二つだぜ。坊ちゃん!」


 男がげらげらと笑ってそう叫ぶ。対して、ソルは受け止めている剣を全身で支えるので手一杯だった。

 本当に、一瞬でも気を抜けば、その瞬間に男の刃で両断されかねない――そんな光景が容易に想像できてしまい、ソルは背筋に冷たいものを感じる。

 対抗手段を必死に考えるが、自分の持ちえる手札の全てを晒しても、この男に対して攻勢に出るだけの手が思いつかないのだ。

 いや、そもそもに――

(考える余裕すら与えないってか!?)

 考え事などしている暇は一瞬たりともなかった。

 全神経、全集中力の目の前の男に注いでいないと、防御すらし切れない。男の蹴足は、それほどに速かった。


「――唸れ『戒脚ペインケリス』!」


 男が腰を沈めながら声高に叫ぶと、それに応えるように男の機械足がぎぃぃぃぃぃぃん! と、奇妙な鳴動を発し始め、僅かに輝きを放つ――霊子反応。それも、かなりの量の魔力が一瞬で充填されて――


「――吹っ飛べ!」


 その声と共に男の右足が天高く振り上げられ、魔法が発動。振り上げた脚刃の軌跡から放たれた光芒が、ソル目掛けて襲い掛かる。

 ――光属性ジン=ブレイズ魔法『晄断こうだん』。

 しかし桁違いの魔力が込められたその魔法は、ソルが知る『晄断』を遥かに上回る巨大な刃となってソルへと迫ってきた。

 咄嗟に剣に魔力を込めて、術式展開――魔力を纏った剣を振り上げる。最も得意とする『斬撃』を撃ち出して威力を殺そうと試みるが、


「――くそっ、やっぱり駄目か!」


 ソルの放った『斬撃』は、男の放った『晄断』に易々と呑み込まれてしまった。

 僅かばかりとも威力を削ることすら適わず、ソルは迫る『晄断』に対して剣を盾のように構えて防御術式を起動。対魔法障壁アンチ・マジックシールドを展開に入る。

 しかし苦手な防御魔法で、果たしてどれだけこの魔法を凌げるだろうか? 迫る『晄断』に対してそんな不安を抱いていたソルの目の前に、突然出現した幾何学文様の壁。

 ――対魔法障壁。それも高濃度の魔力が込められた高等術式が、ソルを飲み込まんとしていた『晄断』を受け止め、激しい火花を散らした。

 一体誰が? なんて疑問は、


「――何を呆けているんですか!」


 挟む余地もなかった。

 振り返れば、其処には両手を大きく広げた姿勢で、必死に魔法障壁に集中しているミルドレッドの姿があった。

 彼女は険しい表情を浮かべながらも障壁の展開に魔力を注ぎ込みながら、此方を鋭く睨んで叫ぶ。


「早くなんとかして下さい! 長くは持ちません!」

「う、うん!」


 ソルは慌てて剣を構え、魔力を込める。ありったけの――それこそ自分が操れる霊子のすべてを魔力へ変換。術式を脳裏に思い描き剣を頭上に掲げて――


「――吹き……飛べぇぇぇ!」


 全力で大剣を振り下ろした。途端、剣に込められた魔力が爆発的に増大し、霊子反応の輝きがソルの眼前に広がった。

 同時に魔法が顕現する。

 ――光属性近接魔法『壊塵かいじん仮初かりそめ』。

 迸るのは巨大な剣閃。剣の延長上にある障害を、等しく両断し、圧壊し、斬砕する高等魔法であり、ソルが扱える中で最も威力が高い魔法――の劣化版である。

 ソルの現在の魔法技能では完全な『壊塵』には放てず、仮初の名が師より与えられていた。

 それでも、その威力は間違いなくソルの手持ちの魔法では最高峰だ。

 『壊塵・仮初』によって生み出された光の刀身が、男の放った『晄断』に正面から激突し、互いの魔力を食らい合い――やがてどちらともなくその術式を維持できなくなり、崩壊。残った魔法攻撃の攻撃力だけが、周囲に衝撃波となって広がった。

 工場内の壁や床がその威力の余波で罅割れ、窓硝子が砕けて破片を撒き散らす。

 そして粉塵と降り頻る硝子片で視界が遮られるその中目掛け、ソルは躊躇いなく床を蹴って踏み込み、剣を振り下ろした。

 同時に、粉塵を突き破るようにして出現する巨大な鋼刃。男の放った飛び蹴り上げと、ソルの振り下ろした大剣が激突する。

 剣撃が男の蹴り上げの威力で弾かれた。ソルはその威力に抵抗せず、代わりに弾かれた反動そのままに身体を捻り――横一文字に剣を薙ぎ払う。

 男の目が、僅かに見開かれる。そして次の瞬間には男が動いた。

 振り上げた脚を引き戻してソルの剣を受け止める。そしてそのままソルの剣の上を回転して乗り越え、着地と同時に左の足を打ち込んで来る!

(――やばっ!?)

 対応が遅れる。そんな即座に対処して反撃してくるのは予想外だった。攻めて一撃くらい受け止めるに留めると思っていたのだ。

 迫る鋼刃に、ソルは振り抜いた勢いそのままにもう一回転して、剣を振るった。ほとんど破れかぶれの抵抗だったが、紙一重で剣が男の脚刃を受け止める。

 しかし、威力も踏ん張りも足りなかった。防いだ剣が、男の蹴りの威力で弾かれる。

 いっそ殴り飛ばすくらいの勢いで振れば良かったと後悔するが、そういうのは全部後の祭りで。


「やっぱり弱ぇなあ!」

「まったく同意見です!――『操糸・飛鑓サイブレス・クレス』」


 男の追撃。剛脚によって放たれる刺突は、しかして横から絡みついた魔力の糸によって大きく逸れた。更に追い立てるように男の頭上から降り注ぐ、何百もの糸を束ねて作り上げられた糸の鑓。

 男が舌打ちを零しながら後ろに跳び――追ってくる糸の鑓を高速の脚撃で切り裂いていく。

 切り裂かれた糸が中空に舞って、ミルドレッドが不敵に笑う。その両手の指先が、眩い光を放つ。

 

「――『囲糸・籠檻キルクルス・クルヴィ』」

 

 少女がそう言葉を口ずさむと同時、男の周囲を舞っていた糸が輝きを放つ。ミルドレッドの魔力が散逸する糸に力を注ぎ――術式が発動する。

 散り散りになったはずの糸同士が再び結合し、新たな形を形成する。魔力によって操作された糸は、一瞬にして男をその内に封じ込める籠檻クレイドルとなった。


「なんだよこりゃぁ……俺を閉じ込めたつもりか? こんなもの――」


 自分を覆う糸の檻を見上げ、男はその鋼鉄の足を振るおうとする。しかし、余裕伺えた男の顔が、次の瞬間険悪なものとなる。

 理由は明白だった。

 檻が狭いのだ。

 男の足にある鋼鉄の刃は、爪先に装着された折り畳み式の刃。故に、その刃を振り抜くにはある程度の広さが必要であり、それは例え折り畳んだ状態でも同じ。

 それでも男は可能な限り身体を縮込ませながら足を振るった。しかし、


「――くそっ、硬ぇ!」


 閉所によって足を振り切れないという事情もあるだろうが、それ以上に魔力によって硬度が高められているのだろう。男の脚刃は、囲う糸の檻に容易く弾き返された。

 男が歯噛みする。

 そんな男を見据え、ミルドレッドは笑みを深めた。魔力が――ミルドレッドの練り上げた魔力が渦を巻き、男を封じる糸へと注ぎ込まれていく。

 同時に、男を封じた糸の檻が震え始めた。霊子反応の輝きが糸の檻から迸り、注ぎ込まれた魔力が爆発する。


「――『断糸・震陣リュゼ・ラミナ』!」


 それがその魔法の名なのだろう。

 ミルドレッドがその名を口にすると、男を覆っていた糸の檻から劈く音が響き渡り、同時に男を囲んでいた糸から、その内側に向けて無数の閃光が迸り、その内側に捕らえられていた男を容赦なく襲った。

 閃光と爆音が広がるその光景を目にしていたソルは、思わず構えていた剣の切先を下して、隣で大きく息を吐くミルドレッドを見る。


「――……なに、今の?」

「『断糸・震陣』。私の『操糸』専用の魔法です。『囲糸・籠檻』で展開した糸から高周波の音波を発生させて防御を崩し、同時に斬撃の魔法を内側に照射して切り裂く攻撃術式ですよ」

「動きを封じて、そのうえで封殺する――か。エグい魔法だね」

「い、いいじゃないですか! 味方の被害を抑えられて、魔獣やル・ガルシェの鋼機兵を確実に倒せるんですから!」


 ミルドレッドの説明に、ソルは率直な感想を口にした。するとミルドレッドは顔を真っ赤にしながら訴えてくる。顔が赤いのは、自覚していることを指摘されたことによる羞恥からなのか、それとも単純にソルの感想に怒っているのか……あるいはその両方か。

 たぶん両方かな、なんて考えて微苦笑すると、ミルドレッドは柳眉を吊り上げてソルを睨みながら言った。


「と、とにかくです! これなら流石に通用したでしょう。もしあれで無事でいるなら、それこそあの男は化け物か何かの類となりますね」











「――それじゃあ……俺は化け物の類、ってことになるよなぁ?」











 轟――と。

 一陣の旋風が巻き起こり、ミルドレッドの『操糸』の檻が粉微塵に吹き飛ばされる。頭上高くに片足を振り上げた姿勢で、男が超然と佇んでミルドレッドを睨む。


 ――マズイ。


 直感がソルの脳裏を過ぎった。と思った時にはもう、身体が自然と動いていた。剣を持ち上げ肩に担ぎ――一歩、前へ。

 同時に、男が飛び出した。驚異的な初動スタートダッシュ。一足飛びで男の凶刃がミルドレッドに襲い掛かる。

 そこに、ソルが割り込む。

 魔力を込める。

 霊子が剣に収束する。

 簡略起動ダムキャスト

 術式展開スペルオープン

 魔法発動ルーンフォース


 ――近接魔法『覇刃はじん』。


 極光纏った剣撃が、ミルドレッドを貫かんとした男の脚刃と激突する!


 そして――

 閃光。

 轟音。

 衝撃。

 世界がそれらで支配された。

 続いて感じたのは、激痛を背中から。そして地面に足から落ちた感覚で、意識が覚醒する。

 視界が眩み、耳が音を拾えていないのが判った。それでもどうにか背中の壁を支えに立ち上がって――途端、誰かが肩を掴んだ感触。そして全身に流れ込む温かい感覚。


「――……! ――え……ラ! ――判りますか、ソル・ルーン=ファルラ!」 


 しばらくして、視界が開ける。音が聞こえる。名前を呼ばれていると気づき、ソルは声の主を見た。

 ミルドレッドが、片方の手で自分の肩を掴み、支えながらもう片方の手で魔法を行使している姿が最初に飛び込んでくる。

 神聖魔法の『治癒』らしい。魔術使ソーサラーだけではなく、神官の魔法まで使えるとは……天才ってやっぱりいるんだなぁ、なんて何処か他人事のように感じながら、ソルは自分の肩を支えるミルドレッドの手を左手で掴んで、微笑んだ。


「……判るよ。ありがとう、ミルドレッド。それで――どうなった?」

「お礼を言うのは私で――ではなくて! 随分無茶しましたね! 明らかに魔力容量超えキャパシティ・オーバーの魔法ですよ、あれ!」

「だよねぇ。おかげで魔力切れエンプティだよ。枯渇になってないのが奇跡だ。あと、右腕すっごい痛い……」

「骨折してるんですから当然です!」

「え、マジで?」


 言われて右腕を確認すると――ミルドレッドの言う通り、なかなかに衝撃的グロテスクな惨状と化している腕があった。腕の大きさが倍くらいにパンパンと腫れ上がっていて、真っ赤になっている。内出血が酷そうだ。そしてそんな状態にも拘わらず剣を手放していない自分を褒めるべきか呆れるべきか。なんて考えていると、ミルドレッドが「とにかく『治癒』をかけます! 疲弊が酷くなるかもしれませんが、それは自業自得と思ってください!」と苦言した。

 ソルは黙って頷き、彼女の『治癒』の魔法を受け入れる。『治癒』はあくまで人間の持っている再生能力を促進する魔法だ。故に、それによって傷を癒す場合はそえだけ体力が必要になる。重症の際に『治癒』の魔法をかけると、逆に体力を消耗して死んでしまうこともあり得る。

 尤も、骨折自体は酷いが、ソル自身の疲労はそこまで酷いものではない。骨折を治すくらいならば、立ち回るくらいはまだできるだろう。

 なんて考えていた時である。



「――……ああ、くそっ。今日はなんっつー日だよ」




 ソルたちは目を丸くして、声の聞こえた方向に目を向ける。視界の彼方。ずっと向こうの壁際で、ゆっくりと立ち上がって前髪を掻き上げる男の姿があった。

 遠目に見ても、男の体には随所に擦過傷などの軽傷は見られるが、それ以外に目立った外傷はないようだった。

 魔法を放った此方ソルは魔力切れに右腕の骨折だというのに、この差はいったいなんのだろうか?

 割と本気でそんな疑問を抱くソルに向け、男は渋い顔で此方を見やり――溜息をついた。


「ったくよぉ。そっちの嬢ちゃんはまあ当然だったが……お前、なんなんだよ。少し腕の立つガキかと思えば、突然達人みたいな反応しやがって……。おかげでこっちは散々な目にあっちまったじゃねぇか」


 そう言って、とこは「見ろよ」と片足を掲げた。

 鋼鉄の足。

 刃を携えた足。

 機械仕掛けの足。

 その右足の脚刃が、僅かにだが刃毀れしているのが判った。


「どぉぅしてくれるんだよ、コレ。帰ったら怒られちまうじゃねぇか……ただのお使いのはずが、なんでこんなことになってんだよ? こんな予定じゃなかったってのによぉ」

「いや、お前事情なんて知るかよ」

「はっ! まったくもってその通りだよなぁ。ああ、ホントその通りだ。くそったれめ」


 ソルのぼやきに、男は同調するような科白を吐いて――にやりと笑った。


「でもまあ……おかげで面白い連中に出会えたわけだし、よしとするか。どうせ本命は別だし。その魔剣は、お前らにやるよ。ソル・ルーン=ファルラ。そしてミルドレッド、だったか?」


 名前を呼ばれた。ソルは男のその態度に嫌な予感を覚えた。なんとも慣れ親しんだ気配だった。そう、初めての冒険者協会に足を運んだ時に感じるのと似た感覚。


「俺の名前はクロード。クロード・ルジェだ。覚えておけよ、お二人さん」


 男が名乗ると同時。ミルドレッドが息を吞んだ。見れば彼女は顔面蒼白という様子で男を見据え、言葉を絞り出すように口を開く。


「クロード・ルジェ!? まさか……ル・ガルシェの『七戒』……ッ!」

「おっっと。俺も有名になったなぁ。そう。その『七戒』の一人。

 ――『戒脚かいきゃく』の機神人デウス=マキナ

 それが俺だ。今度は戦場で会おうぜ。尤もぉ、この後に起きるやつを生き延びれれば――の話だけど」


 ゲラゲラとひとしきり笑った後、男は――クロードは「それじゃなぁなぁ」と片手を振りながら踵を返すと、凄まじい勢いで空高くに跳躍し――一瞬にして、その姿は夜の彼方へと消え去ってしまう。

 残された二人はしばし男の飛び去った空を見上げ――やがて、どちらともなくその場に座り込んだ。


「……さっき、ル・ガルシェの『七戒』って言ってたけど……あの男、そんなに凄いの?」


 訊ねると、ミルドレッドは「知らないんですか?」と目を丸くし、続けて仕方ないですね、という風に溜め息一つ零した。


「『七戒』というのは、ル・ガルシェの誇る最高戦力。七人の機神人デウス=マキナのことです。皇帝アルキュシア自らが設計した、高出力の魔導機関ガジェットを肉体に埋め込まれた人間兵器、半人半機械者マンマシーン・インターフェイスたちに与えられた称号。それが『七戒』です」

「奴は、その一人ってこと?」

「そうです。私たち、よく無事だったものですよ。たった二人で『七戒』と戦っていたなんて……自殺志願もいいところです」

「僕なんて自信なくした。これでも冒険者階級セイバー・ランクAマイナスなのになぁ」

「ご愁傷様。でもその若さでA-はすごいですよ、と言ってあげましょうか?」

「いらないよ」


 ミルドレッドの嫌味に、ソルは苦笑で応じた。そして右腕を確認する。驚くことに、もう腫れは引いていた。軽く腕を動かしてみるが、痛みも違和感もない。見事な『治癒』だった。いかに人間の再生能力を向上させるといっても、こうも早く再生するということは、彼女の神聖魔法の腕も相当なものであることの証明だ。

(そんな人と正面衝突ガチンコしてたのか、僕は……)

 数刻前の自分の無謀さを改めて思い知りながら、ソルは剣を支えにして立ち上がる。


「取り合えず、師匠マスターと合流しよう。あの男、なんだか不穏な捨て科白を残してたし」

「そういえば、言っていましたね。この後のやつを生き延びれたら――でしたか? 一体どういう――」


 ソルを見上げながら首を傾げるミルドレッドの言葉が、そこで止まった。「ミルドレッド?」と声をかけるも、反応がない。

 よく見れば、彼女は口を開いたまま目を見開いてソルを――ソルの背後。吹き飛んだ屋根の向こうを凝視している。信じられないものを見るような、そんな目で。

 一体何が――そう思ってソルも振り返り、空を見る。

 空を見て、そして、ソルは言葉を失った。

 あり得ないものを見た。

 信じれらないものを見た、とミルドレッドの様子を表現したのは、あながち間違いではなかっただろう。

 だけど――


「――なんで、あれが……!?」


 ソルは目の前に広がる光景が信じられず、そう言葉を口にする。

 彼は、それを知っていた。

 彼は、かつて直にその現象に遭遇したことがあった。

 忌むべき記憶。

 憎むべき過去。

 脳裏に過るのは、あの日の災厄。

 それは空に浮かぶ怪異。

 それは空に刻まれる事象。

 びしり……と、音が鳴る。

 あの日のように。

 そう。空が――





 ――空が、割れていた、、、、、










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